-西欧地域-
第7節 西 欧 地 域
(1) 欧州の東西関係
(イ) 概論
73年はドイツの東方政策が一段落し,欧州における東西間の緊張緩和の促進をめざす多数国間レベルの交渉が開始されたが,米ソ核戦争防止協定(6月),中東戦争(10月)およびソ連におけるソルジェニッイン等の反体制知識人問題等は東西関係の進展に微妙な影を残した。
同年中の東西間接触の主な出来事としては,ブレジネフ・ソ連共産党書記長の訪独(5月),訪仏(6月),両独間基本条約の発効(6月),欧州安全保障協力会議の開催(7月),両独の国連加盟(9月),中欧相互兵力削減交渉の開始(10月),独・チェコ条約調印(12月)等があげられる。
(ロ) ドイツ連邦共和国の東方政策
73年6月のドイツ連邦共和国およびドイツ民主共和国間の基本条約発効後,両国は同年9月国連に加盟した。これにより両独は事実上独立主権国家として国際場裡に登場することとなつた。12月にはドイツ連邦共和国とチェコ間の正常化に関する条約が調印された。
この結果,69年秋以来ブラント政権が推進してきた東方政策は一段階を画し,今後独政府は,東欧諸国との経済交流を一層活発化して行くものとみられる。
ベルリン協定(注)の適用と実施をめぐつては,ドイツ連邦共和国とソ連,東欧諸国との間で見解の相違があり,ベルリン問題は今後も東西関係の進展にとつて無視できない要素となろう。
(ハ) CSCE(欧州安全保障協力会議)
72年11月からヘルシンキで開催されていた欧州安全保障協力会議準備会議は,73年6月8日終了した。
73年7月本会議の第1段階としての外相会議がヘルシンキで35カ国代表の参加を得て開催され(a)欧州の安全保障に関する諸問題,(b)経済,科学,技術および環境分野における協力,(c)人道上およびその他の分野における協力,(d)会議のフォロー・アップが討議議題として決定された。
9月からジュネーヴで開催されている第2段階では,各議題毎に専門委員会,小委員会の検討がなされているが予想された通り,東側諸国は第1議題の安全保障原則の作成に重点を置いているのに対して,西側諸国は安全保障の基本となる相互の信頼醸成措置および緊張緩和の前提としての第3議題の人・情報の交流拡大を重視し,意見の対立がみられる。
(ニ) 中欧相互兵力削減交渉
欧州における緊張緩和進展の軍事面の裏付けをめざすMBFR(相互均衡兵力削減)予備協議は73年1月31日ウィーンで開催されたが,ハンガリーの参加資格問題,削減の均衡性等をめぐつて東西双方の意見が鋭く対立した。この結果,主要問題については実質的な合意が成立しないまま,「中部欧州における兵力,軍備の相互削減とそれに関連する諸措置についての交渉」を73年10月30日からウィーンで開始することについて合意し,6月終了した。本交渉は73年10月30日からウィーンで開催され西側は現在中欧における地上軍兵力につき東西間に存在する「不安定な不平等」を是正することを主要目標とし,第1段階では先ず米ソ両軍の地上兵力を一定数削減し,第2段階では外国軍,自国軍をあわせた東西の地上軍に共通の上限を設定することを提案している。一方,東側は地上兵力のみならず,空軍,核戦力をも削減の対象に含め,3段階にわけて削減することを提案している。東西双方の提案には相当の開きがあるので,74年3月現在交渉はほとんど進展をみせていない。この交渉は関係国の利害関係が複雑にからみ,高度に技術的な問題でもあるので,SALT交渉にも匹敵する長期交渉となることが予想される。
(2) 欧州統合の進展
(イ) 西欧の政治協力
73年はEC加盟国による政治協力の進展という点で,画期的な年であつたといえよう。
EC諸国の政治協力は69年12月のハーグ首脳会談以来具体化が進められて来ており,外相会議,政務局長会議(いわゆるダヴィニヨン委員会)等の場で加盟各国の外交政策の調整に努めてきた。
米国の提唱による先進工業民主主義諸国間の協力の原則宣言作成問題をめぐり,また中東戦争および石油危機等を通じ,欧州の一体性確立のための政治協力の基盤が醸成されて来ている。11月のEC外相会議は各国の立場の相違を乗り越えて中東問題に関する宣言を発表し,さらに12月にコペンハーゲンで開催されたEC首脳会談では,ECの一体性宣言,今後の首脳会談のよりひんぱんな開催等を骨子とするコミュニケおよびエネルギー宣言を採択した。
しかし,74年に入つてワシントン・エネルギー会議をめぐつて仏と他のEC加盟国の間で必ずしも見解が一致せず,3月4日の対アラブ協力に関する外相会議決定を機に米欧関係のあり方に関する米欧間および欧州内部の意見対立がいつそう表面化した。英国労働党政権の登場(3月)という新たな要因も加わつて,今後当分の間欧州の政治協力は,対米関係に関する各国の思惑の相違をめぐり紆余曲折が予想される。
(ロ) EC情勢
72年1月22日の加盟条約に基づき,英国,デンマーク,アイルランドを加えた拡大ECが73年1月1日から正式に発足した。この拡大ECは人口2.5億人,GNP84百億ドル,世界貿易の41%を占める巨大な経済圏を構成し,また残留EFTA諸国,アフリカ,地中海地域等の60余力国との特殊関係をもつており,世界経済および国際政治に与える影響は極めて大きなものとなつている。
しかし,上記3カ国が加わり,加盟国間の利害関係がより複雑化した上,国際通貨不安およびエネルギー危機などの外的要因もあつて,拡大後1年目の統合進捗ぶりは必ずしも順調とは言えなかつた。すなわち,72年10月のパリ首脳会談で定められた経済通貨同盟実現等の統合スケジ ュールは予定通り実施されず,特に共通農業政策,地域開発基金および73年10月のアラブ産油国の供給削減措置に関する共同歩調などについて加盟国間の意見不一致がみられた。
さらに,74年に入つてから,1月17日にはフランスがEC共同フロートから離脱し,2月のワシントン・エネルギー会議ではフランスと他の8カ国との間に意見の対立がみられるなど,不協和音が減少するきざしは見えない。
他方,3月に誕生した英国労働党政権は加盟条件に関する再交渉を要求しているが,これに対して他の加盟国は基本条約の改訂には消極的であり,現行条約の枠内での英国の要求の検討を進めるとの態度をとつている。今後,英国から具体的要求が出され加盟国間の折衝が行なわれることとなるが,その結果によりECの統合の将来に大きな影響を及ぼすこともあり得る。
欧州経済統合は息の長い事業であり,拡大後第1年目の73年は,加盟国の国内経済および国際経済上の困難,ならびに国内の政治的不安定もあり,EC統合の進捗ぶりは芳しくなかつた。しかし,80年までの経済通貨同盟および欧州同盟実現に関する加盟国間の合意もあり,長期的にはこの目標に向つて進展して行くものと思われる。
(3) 各国情勢
(イ)フランス
ポンピドウ政権は,73年に入り5年目を迎えたが,同政権にとつて,73年は国民議会の総選挙,中東戦争,石油危機,インフレ等の内外の諸問題に直面し,必ずしも平坦な年ではなかつた。3月に行われた国民議会総選挙で,与党連合(共和国民主連合,独立共和派,民主進歩中道派)は急迫する杜共連合を辛くも抑えて過半数の議席を確保し,その結果,4月第2次メスメル内閣が発足した。同内閣は内政面ではインフレ対策,福祉・教育・労働政策等の諸施策に重点を置いたが,インフレの高進,特に年末に入つて表面化した石油危機の影響を受け,その諸施策は必ずしも十分な成果を挙げるに至らず,国民の不満は高まつた。また76年に予定される大統領選挙への思惑も絡み,与党内でもポンピドウ政権への批判の動きが見られた。
外交面では,フランスの政策は欧州の建設,米欧関係の再検討および超大国の世界支配に対する批判の3点を軸として展開されたが,米欧関係再調整の動きの中で,フランスの志向する欧州の独立をどのように達成していくかが今後の最重要課題の一つとなつた。
(ロ) イタリア
内政面においては,6月中道政権のアンドレオッティ内閣が崩壊したあと,7月キリスト教民主党,杜会党,民杜党,共和党で構成される中道左派連立の第4次ルモール内閣が成立した。同内閣は,経済の回復とインフレ抑制に取り組み,経済成長率5.1%にまで立ち直つたが,石油危機の影響で消費物価が再び急騰し,深刻な経済,社会情勢の下に新しい年を迎えた。
外交面では,ルモール内閣においても従来の基本方針を維持し,EC統合推進,NATO忠誠,緊張緩和促進,中東紛争調停努力に重点を置く外交を展開したが,不安定な国内情勢に制約され顕著な成果は見られなかつた。
(ハ) 英 国
内政面における主要課題は,賃金物価抑制を中心とする経済問題および北アイルランド問題であつた。所得物価政策の第2段階途中(73年夏ごろ)まで成長気運が見られたが,秋ごろからインフレの急進と貿易収支の悪化等経済情勢は悪化,また,世界的な石油危機に加えて炭鉱,国鉄,電力等の労働争議の重大化により,深刻なエネルギー不足を招来,一転して戦後最悪ともいわれる経済危機の様相を呈するに至つた。北アイルランド問題に関しては,事態はなお楽観を許さないが,プロテスタントとカトリックの両者より成る連立執行部が成立したことは,英政府年来の宿願を達成したものであり,北アイルランドの歴史上画期的なことといえよう。
外交面における最大の課題はEC問題であつたが,ECの対外政策,欧州議会のあり方等政治協力の分野においてかなりの影響力を行使し,実績を挙げたと見られる。反面,共通農業政策,共通培域政策等に関する具体的討議において出来るだけ英国の利益を守るため粘り強い外交折衝を展開したが,この努力は74年に引継がれることとなつた。
(ニ) ドイツ連邦共和国
内政面は,72年末の総選挙における現与党SPD(杜会民主党),FDP(自由民主党)の勝利により概ね平穏に推移した。しかし,与党内部では,SPD青年部の党指導部批判や,企業管理に関する共同決定権および勤労者財産形成権問題等の内政改革等をめぐつてSPDとFDPの間の見解の相違が表面化するなど,波乱含みの様相を呈した。74年に入つてから一部地方選挙が行なわれたが(3月),与党SPDの退潮が顕著であり,今後行なわれる地方選挙の結果によつては現政権への影響が注目される。
経済面では,72年からの景気拡大傾向は73年に入つても衰えを見せず,このため政府は物価安定に努め,引締政策を大幅に強化した。この結果,秋に入ると物価上昇率も鈍化する気配を示したが,中東戦争を契機に表面化した石油危機のため結局当初の物価安定目標は達成できなかつた。
外交面では東欧諸国との関係樹立に成功したが,ベルリン協定中の西ベルリンと連邦共和国との結びつき等に関し東欧諸国との間で今後の問題を残している。
(1) 要人往来・定期協議
(イ) アンドレオッティ・イタリア首相の来日
イタリアのアンドレオッティ首相は,日本政府の招待により,夫人同伴で,4月23日から27日まで公賓として訪日した。これは,同国首相による最初の訪日である。同首相は,天皇・皇后両陛下に拝謁したほか,田中総理大臣,大平外務大臣と会談し,欧州,アジアおよび太平洋を中心とする国際情勢について意見を交換した。これらの会談を通じ,双方は,世界の平和と安定を推進するためできる限りの協力を約し,また,日伊両国間の極めて良好な政治的,経済的および文化的関係を確認し,同関係の一層の増進のため接触を密にする希望を表明した。
アンドレオッティ首相は,田中総理大臣の訪伊を招請し,この招待は受諾された。
大平外務大臣は4月28日から5月6日まで欧州を訪問し,ユーゴースラヴィア,フランス,ベルギーの3カ国政府およびOECD,ECの首脳と会談した。
5月1日から4日まで滞在したフランスではジョベール外務大臣との間で第10回日仏定期協議を行ない,国際情勢,特に欧州における東西緊張緩和の動きおよびアジア情勢,さらに国際経済問題,日仏関係緊密化の具体的方策等につき意見を交換した。大平大臣は,ポンピドウ大統領,メスメル首相,ジスカール・デスタン蔵相,ヴァン・レネップOECD事務総長とも会談した。
さらに大平大臣は4日ブラッセルに赴き,ヴァン・エルスランド・ベ ルギー外務大臣およびオルトリEC委員長,ソームズ同副委員長と会談した。ヴァン・エルスランド外相との会談では,国際情勢一般,ECと日本との協力関係,日白両国間の協力関係等につき意見交換した。
ヴァン・エルスランド外相との間で日白文化協定が調印された。
(ハ) 日伊定期協議
大平外務大臣は9月27日から29日までイタリアを訪問し,モーロ・イタリア外相との間で第3回日伊定期協議を行つた。両外相はアジア・欧州情勢,国際経済問題,二国間経済問題等につき意見を交換した。また大平大臣はレオーネ大統領,ルモール首相とも会談し,ローマ法王に謁見した。
(ニ) 総理訪欧
(ホ) 日英定期協議
第10回日英定期協議は,田中総理大臣の訪英の際,大平外務大臣とヒューム外務英連邦相との間で10月2日行われた。協議においては,アジア,中近東,アフリカ情勢,国連問題等,双方が関心を持つている問題につき,卒直な意見交換が行われた。
(ヘ) 日独定期協議
大平外務大臣は,田中総理大臣の訪独に同行した機会に10月5日シェール独外相との間で第6回日独外相定期協議を行つた。両外相は,米欧関係,欧州情勢,アジア情勢および日・EC関係等につき卒直な意見の交換を行つた。
(ト) 皇太子・同妃両殿下のスペイン・ベルギー御訪問
皇太子・同妃両殿下は,73年10月13日から20日までスペイン政府の賓客として同国を御訪問になつた。スペイン御滞在中両殿下は,フランコ国家主席夫妻および元首継承者ドン・ファン・カルロス殿下・同妃ソフィア殿下をはじめ多くの要人にお会いになられるとともにスペインの文化,杜会福祉,産業などの諸事情を視察され,史跡なども御覧になられた。両殿下のスペイン御訪問は,日西両国間の相互理解を深め,友好親善関係を一層強化する上で大きな成果があつた。
また,両殿下はスペイン御訪問の前後(10月12・13日,20・21日)にベルギーを非公式に訪問されボードワン国王・同王妃両陛下およびアルベール皇弟・同妃両殿下にお会いになつた。
(2) 日・西欧経済関係
(イ) 現状
73年のわが国と西欧の間の貿易実績は通関統計で輸出63億8,200万ドル(FOB),輸入40億1,100万ドル(CIF)で,72年に比べ輸出は36%の増加,輸入は64%の急増を見せた。特に対拡大EC貿易については,輸出44億ドル(対前年比33%増),輸入31億8,000万ドル(同62%増)で69年以来拡大傾向にあつたわが国の貿易黒字は前年比1億ドルの減少を見せ,12億ドルに止つた。輸出では電子産品,科学光学機器,船舶,自動車等の機械機器,化学製品が大きな比重を示しており,輸入は繊維,化学製品,機械機器等が目立ち先進国間貿易のパターンを示している。
このような貿易バランスの改善にかんがみ日・西欧貿易は基本的に拡大均衡に向いつつあると期待されるが,他方わが国の対西欧輸出の増加は電子産品,自動車等の一部産品に集中している点が注目され西欧諸国の一部では対日警戒心を依然弱めていない。わが国は西欧側の事情を 配慮し,適正な輸出秩序維持の立場から,問題となつている品目の輸出規制を実施するなど均衡のとれた経済関係の達成のための努力を継続した。
また日欧間の経済交流は貿易面のみならず,資本交流,科学・技術協力,第3国における日欧協力などの分野で活発化しつつあるが,今後とも幅広い経済協力関係の樹立に努めていく必要があると思われる。
(ロ) 貿易交渉
70年以来EC加盟国との二国間貿易交渉はEC規約上行えないことになつているが,EC非加盟国とは例年通り貿易交渉が行われた。
(a) 日・オーストリア貿易交渉
日墺間貿易は,66年11月4日付け取極に準じ,以来毎年の年間取極によつて行われている。73年度取極が,同年12月末に失効するため,74年以降の取扱いにつき73年10月からウィーンで交渉が行われた。その結果,両国は前年度の取極を単純延長することに同意し,12月19日その旨の書簡交換が行われた。
(b) 日・ギリシャ貿易交渉
71年2月18日付交換公文による日本・ギリシャ貿易取極(70年10月から1年間有効,その後更に2年間自動延長された)は73年9月に有効期限が終了したため,それ以後の取扱いにつき同年12月からアテネで交渉が行われている。
(c) 日・ノールウェー貿易交渉
わが国は,62年以来ノールウェーとの間に毎年貿易取極を締結してきた。73年も,11月26日より交渉を開始し,現在対日輸入制限の削減を計るため交渉中である。
(d) 日・スペイン貿易交渉
66年2月に締結された日・スペイン貿易協定は,70年まで毎年延長されてきたが,これに代る新しい貿易協定を締結するため,71年11月東京で第1回交渉および72年5月にはマドリッドでの第2回交渉が行われた。73年9月14日,東京での協議でも妥結に至らず,あらためて74年の早い時期に交渉を再開することとなつた。
(ハ) 日本・ベネルックス電子産品政府間協議
日本製電子産品の対ベネルックス輸出急増にともない,日本・ベネルックス貿易議定書に基づく政府間協議が73年に東京およびハーグで3回にわたつて行われ,12月12日最終的に妥結した。
合意内容は(あ)74年の1年間,日本側はラジオ,テレビ(白黒,カラー),テープレコーダーのベネルックス諸国向け輸出を自主規制する,(い)ベネルックス諸国は,73年4月から適用していた暫定的輸入制限措置を撤廃する,(う)75年以降の取扱いについては74年秋に再協議する,というものである。
(3) 航空交渉
(イ) 日仏航空協定の附表修正
72年4月にパリで行われた航空当局間協議での合意に基づき,73年3月9日大平外務大臣とノアヴィル駐日臨時代理大使の間で日仏航空協定附表修正のための書簡交換が行なわれこの結果,協定附表に東京とタヒチおよびニュー・カレドニアを結ぶ南太平洋路線が追加された。
(ロ) 日・北欧3国航空当局間協議
日・北欧3国航空当局間協議は,73年4月に東京で,10月にストックホルムで開催された。その結果,74年4月から,北極路線でのDC-8機週1便追加運航および大型機材の使用につき合意された。
(ハ) 日伊航空協定の附表修正
72年9月東京で行われた航空当局間協議での合意に基づき,73年8月24日竹内駐イタリア大使とモーロ・イタリア外務大臣の間で日伊航空協定附表修正のための書簡交換が行われ協定附表にシベリア経由路線が追加された。
(ニ) 日・スイス航空協定の附表改訂
73年3月ベルンで行われた航空当局間協議の合意にもとづき,9月11日大平外務大臣と駐日スイス大使との間で,日・スイス航空協定の附表改訂のための書簡交換が行われ両国は新たに北極路線の路線権を得,また,現行路線の地点にダッカが加えられた。
(ホ) 日蘭航空当局間協議および航空協定の附表修正
73年6月に東京で行われた航空当局間協議での合意に基づき,73年10月19日大平外務大臣とベルフスマ駐日オランダ大使との間で日蘭航空協定附表修正のための書簡交換が行なわれ協定附表にシベリア路線が追加されまたバングラデシュの成立に伴なう附表の字句の一部修正が行なわれた。
(4) 日・EC関係
(イ) 概 観
73年から74年始めにかけて日・EC関係は大きな進展をみせた。5月には大平外務大臣がわが国の外務大臣として初めてブラッセルのEC本部を訪れオルトリ委員長およびソームズ副委員長と会談,9月には同副委員長がGATT東京閣僚会議出席のため来日,田中総理大臣をはじめわが国主要閣僚と会談したほか,事務レベルの意見交換も2度にわたり開催された。さらに,74年2月には政府公賓としてオルトリ委員長が一週間訪日し,総理,外務大臣を始め主要閣僚と有益な話合いを行なつた。またその際EC委員会の在日代表部設置問題につき合意した。
(ロ) 大平外務大臣のEC訪問
(ハ) オルトリ委員長の訪日(74年2月18日~23日)
オルトリ委員長とわが国閣僚との間の会談では日・ECが直面している問題として,エネルギー問題が大きな比重を占めたが,この問題を解決する上で国際的な協調および日・EC間の協力が不可欠であることで意見が一致した。また,国際通商問題に関しては,国際経済の困難な現状において,自由な貿易体制の維持が益々必要とされており,この意味で日・ECが多角的通商交渉の推進に寄与すべき旨が確認された。
(ニ) 日・EC通商問題
(a) 日・EC統一通商交渉で解決をみなかつたセーフガード問題等の懸案については,73年5月の閣僚レベル会議で当面多角的通商交渉を通じて最大限の解決を図るとり方針で意見の一致をみた。他方ECは12月対日通商関係の共同体アプローチを表したが,これは日・EC間の統一通商取極のない現状において今後の双方間の通商関係を進める上でのEC側の一応のガイドラインとなるものとみられる。
(b) テープレコーダーに関する日本・EC交渉
わが国のテープレコーダーの対伊輸出急増に対してEC委員会がとつたガット19条に基くセーフガード措置につき,わが国とEC委員会との間で話合いが行なわれセーフガード措置を撤回することで73年12月わが方が自主規制を行うことを条件に合意が成立した。
(ホ) EC委員会の在日代表部設置
EC委員会は73年7月,わが国との関係を強化するためEC委員会の権限ある事項全般について委員会を代表してわが国政府と接触・交渉する任務をもつた在日代表部の設置および同代表部に対するわが国による外交上の特権免除付与の希望を伝えてきた。これに対してわが国はECが超国家性をもつ機関で,在日代表部が通常の外交使節の機能に準ずる機能を果すことを考慮し,特権免除供与に同意することとし,オルトリ委員長訪日の際その内容につき最終的に合意した。(74年3月11日署名)
(5) その他
(イ) 日仏数次査証取極
わが国とフランス政府は,73年4月26日東京で,数次査証の相互付与に関する口上書を交換した。この取極は,73年6月1日から,相互主義に基づき,会社代表者・役員および報道関係者に対して4箇年有効の数次査証を発給すること等を定めたものである。
(ロ) アイルランドとの租税条約締結交渉
所得に対する二重課税の回避および脱税防止のための条約を締結すべく,72年10月東京で第1回交渉が開かれた後,7月2日から6日まで,ダブリンで第2回交渉が行われ案文につき原則的な合意に達した。
(ハ) 対北欧輸入促進ミッションの派遣
北欧諸国との貿易はかねてから日本側の大幅出超となつていることから,これら諸国は機会あるごとに貿易アンバランスの是正を求めてきていた。これにこたえて北欧諸国からの輸入を促進すべくわが国は実業界代表を中心とする34名の使節団を北欧諸国に派遣した。同使節団は,73年末から約1カ月間政府,業界代表者との間に協議,商談を行い,対日認識の啓発,北欧からの輸入促進に努めた。
(注) ベルリン協定……ベルリン協定は71年9月ベルリン共同管理国である米・英・仏・ソの四カ国がベルリンに関る通行問題および同市の国際的地位等について取決めた協定である。 戻る