-田中総理大臣の各国訪問-
第3章 わが国の行つた外交努力
田中総理大臣は,73年夏から74年初頭にかけて,米国,フランス,イギリス,ドイツ連邦共和国,ソ連,フィリピン,タイ,シンガポール,マレイシア,およびインドネシアの各国を公式訪問し,その間各国首脳と二国間関係に止まらず,広く相互に関心のある国際問題について隔意のない意見交換を行つた。このように総理の各国訪問は,国際社会における相互依存関係が緊密化し,それに伴つて相互理解の増進が必要とされている今日,大きな意義をもつものであつた。
田中総理大臣は,73年における首脳外交の皮切りとして同年7月29日から8月6日まで,ワシントンをはじめ,ニュー・ヨーク,シカゴ,サンフランシスコの米国各地を訪問し,この間7月31日および8月1日の両日,ワシントンでニクソン大統領と2回にわたり会談した。
72年9月のハワイ会談では,両国間の「間断なき対話」の必要性が確認されたが,今次の日米首脳会談はこの対話の重要な一環をなすものである。ハワイ会談の際懸案であつた日米貿易収支不均衡問題はその後大幅に改善され,今回の会談は両国間に特に目前の懸案がない状況の下で開かれた。席上両国首脳は,成熟したパートナー・シップを築き上げてきた日米両国が広くの中でそれぞれ果して行くべき役割および協力がいかなるものであるべきかについて忌憚のない意見交換を行つた。上記の如き考え方を反映して,首脳会談後発表された共同声明では,まず,アジアの平和と安定のために日米両国が果すべき役割について,両首脳は,日米安保条約の下における両国間の密接な協力関係の維持が,同地域の安定を維持するための重要な要素であることを確認した。また,インドシナの復興を援助する決意を再確認し,朝鮮半島における平和と安定の促進のために貢献する用意があることを表明,さらにアジアにおける地域的協力を引き続き助長してゆくことを約束した。また,いわゆるキッシンジャー構想(原則宣言)に対し,総理大臣は積極的な関心を表明し,両首脳は,日米両国が本件につき密接に協議して行くことを明らかにした。
次に国際経済問題については,通貨,貿易,資源,エネルギー,環境等の諸問題は,先進工業諸国間の共通の問題として広範な国際協力を必要とするとの認識の下に,両首脳は,貿易および通貨の分野における多数国間交渉が成功することを重視していることを再確認し、エネルギー資源の安定した供給を確保するための努力をひき続き調整していくことに合意した。
今回の総理訪米は,日米間のコミュニケーションの強化に寄与した点で意義深いものであつた。総理大臣は,日本国政府が米国の大学における日本研究に対して講座の寄付を含む支持を行うために総額1千万ドルの資金を贈与する意図をもつていることを明らかにした。さらに,田中総理は,ワシントンのナショナル・プレス・クラブでわが国の外交政策の基本につき演説し,その他,ニュー・ヨーク,シカゴ,サンフランシスコの各地でも,議会,言論界,財界,地方指導者等各層の人々と広範に接触した。また全国的テレビ番組であるNBCのミート・ザ・プレスに出演し,米国民に直接語りかける等の精力的活動によつて,日本の実情および日本国民の願望等についての米国民一般の理解を深め,ハワイ会談以来の両国間の「間断なき対話」の継続に大きく寄与した。
田中総理大臣は,9月26日から10月7日までフランス,イギリス,ドイツ連邦共和国の三カ国を訪問し,各国政府首脳および経済界の指導者と親しく会談した。またこの間,大平外務大臣は,国連総会出席後9月27日から29日までイタリアを訪問し,外相レベルの日伊定期協議に出席の後,田中総理の英・独訪問に同行した。
わが国の総理大臣の欧州訪問は62年の池田総理訪欧以来11年ぶりのことであり,わが国の国際的地位の向上およびこれに伴なう外交活動の一層の積極化を示すものとして内外から注目された。また,訪問の相手国側もこの訪問を重視し,接遇につきなみなみならぬ意欲を示したが,これは対日関係の重要性に関する西欧各国の認識を示すものと思われる。これら各国首脳との直接の対話は,日欧間の相互理解を促進し,世界的な枠組の中における日欧協力関係を推進する契機となるとともに,多極化時代における日本外交の推進 という観点からも,わが国外交の基盤拡大に貢献したものと考えられる。
フランス,英国,ドイツ連邦共和国各国首脳との会談では,二国間の問題だけでなく,主要な国際問題につき卒直な意見の交換が行なわれ,今後の世界のあり方について広い分野にわたり見解の調整が行なわれた。また貿易・通貨・資本移動,エネルギー,文化,科学・技術,環境,第三国への開発協力などの面で具体的な協力関係推進のための方策が協議された。
具体的には,ガット新国際ラウンドおよび通貨に関する多国間交渉を成功に導くための日欧協力の必要性が確認されたほか,とくに資源問題では, 日,欧ともに資源の分野における対外依存度が大きいという共通の観点から,第三国への開発協力など種々の協力の可能性が検討された。
具体的な協力として,日仏間ではフランスを中心に推進されているユーロディフ濃縮ウラン工場からの濃縮ウラン買付けの原則的合意,日英間では,北海油田開発へのわが国の参加の検討,日独間では,資源合同委員会の設置に関し合意が得られた。
また,73年4月米国が提案したいわゆるキッシンジャー構想と関連して, 日米欧間の協力関係が話合われた。その形式は別として,日欧間のパイプを 一層太くし,今後緊密な協議を行つていく必要性について各国とも意見の一致をみた。
日欧関係の緊密化にとつてのかなめとも言える経済関係について,田中総理大臣は,とくに日欧双方の経済力を考えると,交流がいまだ不十分であることを指摘し,今後貿易のみならず資本,科学・技術交流など広い分野にわたつて拡大均衡の形で経済関係の発展をはかつていく必要性を強調した。さらに田中総理大臣は,このような目的のため,わが国が従来の生産優先から福祉優先の経済政策に転換し,貿易・資本の分野における開放化の努力を進 めていることを説明し,西欧企業が対日経済進出のため一層努力するよう要請した。とくに西欧企業が対日進出にあたつて遭遇する障害をはじめとして,日欧経済関係の種々の摩擦要因は日欧間の相互不信を招く可能性があるとして,それらの解決に積極的姿勢を示し,先方に強い印象を与えた。
文化交流については,フランス,英国,ドイツ連邦共和国に対して,日本政府からこれらの国における日本研究促進のため,それぞれ3億円相当の基金贈与を申し出た。これは相手国首脳から感謝の念をもつて受入れられた が,このような基金が日欧間の相互理解の増進に大きく貢献することが期待 される。なお,ポンピドウ仏大統領が,わが国へのモナリザ貸出しに同意し たことも,日仏間の文化交流にとつて極めて意義深いものである。
田中総理大臣は,大平外務大臣とともにドイツ連邦共和国訪問に引続き10月7日から10日までソ連邦を公式訪問した。 わが国総理大臣のソ連訪問は,56年日ソ国交回復時の鳩山総理大臣訪ソ以来17年ぶりであつた。田中総理大臣の訪ソは,ブレジネフソ連邦共産党中央委員会書記長が総理大臣にあてた書簡(72年外交青書210頁参照)において従来からわが国の総理大臣に対してなされていた訪ソ招待を確認してきたのを受けて行われたもので,総理大臣は訪ソに際して北方領土問題をはじめ日ソ関係全般につき,ブレジネフ書記長をはじめソ連邦最高首脳との間に忌憚のない話合いを行つた。
田中総理大臣は,ブレジネフ書記長等ソ連側首脳者との4回にわたる会談,およびポドゴルヌイ最高会議幹部会議長との会談で,日ソ間に真の善隣友好関係を樹立するためには,北方領土間題は避けて通ることのできないものであり,この問題の解決は両国の最高責任者に課せられた使命であるとして大局的見地からのソ連最高首脳の英断を求めた。
その結果は,10月10日付の日ソ共同声明第一項で,「双方は,第二次大戦の時からの未解決の諸問題を解決して平和条約を締結することが両国間の真の善隣友好関係の確立に寄与することを認識し,平和条約の内容に関する諸問題について交渉した。双方は,1974年の適当な時期に両国間で平和条約の締結交渉を継続することに合意した。」旨規定されているとおりであり,さらに,この「第二次大戦の時からの未解決の諸問題」の中に,北方領土問題が含まれることについて両国最高首脳間で確認された。
このことは,ソ連が従来一貫して領土問題は解決ずみとの態度をとつてきたことを考えると,北方領土問題解決のための端緒を開いたものといえる。
総理訪ソに際して,日ソ間のその他の諸懸案についても最高首脳間で話合いが行われ,また,渡り鳥保護条約,科学技術協力協定及び文化取極の実施 細目取極が調印された。(第6節6,および附属資料の日ソ共同声明参照)。
さらに,総理大臣からブレジネフ書記長,ポドゴルヌイ議長およびコスイギン首相に対してなされた訪日招待が受諾され,訪日時期については別途協議することになつた。
(1) 明けて74年1月,田中総理は,7日から17日の11日間,フィリピン,タイ,シンガポール,マレイシアおよびインドネシアの東南アジア5カ国を訪問した。
この訪問は,67年の佐藤総理の訪問以来6年振りのものである。その間,日中正常化,ヴィエトナム和平協定等,アジアをめぐる国際環境は急速に変化するとともに,わが国と東南アジア諸国との関係も経済面を中心に相互依存関係を飛躍的に発展させた。
このような諸事情を背景にして行なわれた本訪問では,各国首脳との間で当面の国際情勢,特にアジア情勢,地域協力,経済・経済協力など広範囲にわたる諸問題につき卒直な意見が交換され,相互の友好協力の促進につき実りある対話が行なわれた。
この訪問にあたり,総理は,わが国と密接な関係にある東南アジア諸国に対するわが国の基本姿勢として,以下のような諸原則を明らかにした。
(i) 東南アジア諸国との間の平和と繁栄を分ち合うよき隣人関係の増進。
(ii) これら諸国の自主性の尊重。
(iii) これら諸国との相互理解の促進。
(iv) これら諸国の経済的自立を脅かさず,その発展に貢献。
(v) これら諸国が自主的に行つている地域協力の尊重。
各国首脳はいずれも上記諸原則についての総理の説明を歓迎し,各訪問国との間の共同新聞発表文にもこれらの原則が盛り込まれた。
2国間関係についても突込んだ話合いが行なわれ,経済協力に関しては,マレイシアヘの第三次円借款の供与に応じるなど今後ともわが国は,各国の開発努力に積極的に協力してゆく用意のあることを表明した。
なお,石油危機に関連して,各国首脳よりわが国からの石油関連製品,特に肥料の安定供給につき共通した強い要望があつた。これに対し,総理は石油危機のわが国経済への影響を詳細に説明すると同時に,これら諸国の経済に悪影響を与えることを避けるため,既契約分は出来るだけ尊重するとの立場を明らかにした。
(2) 近年,東南アジア諸国では,わが国の急速な経済的プレゼンスの巨大化,進出企業のあり方,邦人のビヘイヴィア等をめぐり対日批判が強まりつつあるが,本訪問に際しても,バンコックおよびジャカルタで学生の反日デモ,暴動等が見られ,またマレイシア等でも抗議行動が行なわれた。
総理は,このような動きの中から上記(1)で述べたわが国の対東南アジア基本姿勢をふまえて,わが国として正すべきは正すとの態度をはつきりと示した。これと同時にわが国に対する批判のうちにはむしろ相手国政府の権限に属する問題もあることを卒直に指摘するなど,先方の誤解と思われる点はこれを正すように努めた。
上述したように,フィリピンを除く各国において程度の差はあれ,それぞれ対日批判の動きが見られた。その反面東南アジア諸国はわが国の援助や経済力をそれぞれの国造りのために必要としており,その意味では基本的にわが国に対する期待感をますます強めている。また資源の不足しているわが国としても,繁栄を維持し,国民生活を豊かにして行くためには東南アジア諸国との円滑な経済の発展を必要としている。
対日批判の動きはあつたものの,このような認識の下で,各国における首脳会談自体は友好的な雰囲気の中で行われ,東南アジア諸国とわが国との相互依存関係があらためて確認された。同時に,こうした関係を相互に利益となるような方向でますます建設的に進めていく必要があるとの共通の認識が再確認されたことはこの訪問の大きな成果であつた。