2.朝 鮮 半 島
(イ) 南北朝鮮関係
(a) 南北対話
離散家族捜しのための南北赤十字会談は,73年中第5回(3月21~22日於平壌),第6回(5月8~11日於ソウル),第7回(6月10~13日於平壌)の本会談が行われたが,韓国側は純然たる人道的問題に限つて話合おうという立場をとつているのに対し,北朝鮮側は韓国の反共法廃止,反共教育の中止等社会的障害の除去が先決条件であると主張し,実質的な進展はみられなかつた。次回会談の日取りについては合意が得られず,双方の代表者会議で決定することになつている。
また,南北調節委員会も第2回(3月14~16日於平壌)および第3回(6月12~14日於ソウル)会合が開かれたが,文化,スポーツ,経済の交流等容易な問題から解決して相互の信頼関係を築くべきであるとの韓国側主張に対し,北朝鮮側は軍備縮小と駐韓外国軍隊の撤退問題等をまず解決すべきであると主張,さらに政党,社会団体を参加させることにより調節委員会を拡大させることを提案し,合意は得られなかつた。8月28日北朝鮮側は,李厚洛中央情報部長は金大中事件に関与しているため調節委員会南側委員長として不適格であると非難し,その後対話は中断状態になつた。12月に調節委員会再開問題につき協議するための調節委員会副委員長会談が2度にわたり開催された。
(b) 五 島 紛 争
南北対話がこのように停滞する一方,11月中旬以来,休戦協定により国連軍の管轄下におくことが定められた白ニヨン島等五島嶼に対する北鮮海軍艦艇の接近があいつぎ,軍事的にも緊張が増した。北朝鮮側は,従来上記五島嶼への接近を自粛していたが,五島嶼付近の海域が北朝鮮の領海であるから航行船舶は北朝鮮の許可を必要とすると主張(国連軍側は,五島への通航に対するいかなる妨害や挑発も許されないと反論),問題は長期化の傾向をみせている。
(c) 南北の対外政策
73年は北朝鮮が,韓国と外交関係を有する相当数の諸国(アルゼンティン,イラン,スウェーデン等12カ国)と外交関係を樹立し(73年12月31日現在の韓国承認国90,北朝鮮承認国62,うち双方承認国30),また,韓国が加盟しているWHOに加盟した(5月)ことが注目された。WHOは,北朝鮮が国連の専門機関に加盟が認められたはじめての例であり,その結果北朝鮮は韓国同様,国連に常駐オブザーヴァーを置く立場を得た。
このような北朝鮮の外交政策に対応して,朴大統領は6月23日「平和と統一のための外交政策に関する特別声明」を発表した。その内容は,従来の政策を転換して(i)南北統一までの暫定措置として国連への南北同時加盟に反対せず,(ii)互恵平等の原則にもとづき,あらゆる国に門戸を開放し,理念と体制を異にする国も韓国に門戸を開放するよう求めること等を表明したものであつた。しかし,金日成北朝鮮主席は同日,従来から主張している南北連邦制を再度提案し,国連には連邦制ができた後,「高麗連邦共和国」の国名で一つの国家として加盟すべきであるとして韓国の新政策に反対した。
(国連における朝鮮問題については,第3章第1節参照)
(ロ) 韓 国 の 動 向
(a) 維新体制の確立と反体制運動
72年末の憲法改正と朴大統領の再選に引続いて,2月27日国会議員選挙が行われ,新しい体制の基礎固めが完了した。(以上の一連の措置を韓国では「10月維新」と呼んでいる。)
しかし,金大中氏事件を契機として10月初めにソウル大学で反政府集会が開かれ,この学生の動きは11月に入りソウルの各大学および一部の地方大学にも波及した。また,これらの学生運動に呼応して一部の文化人,言論界,宗教界においても政府に対する批判的動きが高まつた。
(b) 内 閣 改 造
このような動きをふまえて,政府は12月3日に内閣改造を行ない(外務部長官に金東祚駐米大使を起用,同時に中央情報部長,駐日大使奪を更迭した),金鍾泌国務総理等を中心として,国民に対話を積極的に呼びかけたが,政府批判の動きはむしろ拡大し,一部には維新体制以前の状態に戻すための憲法改正請願100万人署名運動が展開されるに至つた。
(c) 緊急措置の発動
このような動きに対し,政府は12月26日の全国務総理声明および同29日の朴大統領演説を通じ,維新体制の基本に対する批判は許せないとの立場をとり,74年1月8日憲法改正運動,維新体制反対運動およびこれに関する報道の一切を禁じる大統領緊急措置を発表した。
(d) 韓国経済の状況
73年の韓国経済は,実質経済成長率16.9%(年初計画9.5%)と史上最高を記録し,一人当り国民総生産は前年の302ドルから373ドルヘと,23.5%も増加した。この好況の原因は,32.5億ドル(対前年比18.0%)に達する輸出が景気を主導したこと,「8・3措置」(72年8月3日に発表された私債凍結等経済安定のための緊急措置)により経済が相対的に安定したことにある。さらに米の作柄が史上最高の豊作であり,景気の下支えをしたことも見逃せない。このように全般的には順調であつたが,後半に入り国際的な景気のかげりの影響を受け始めたところに石油危機により大きな打撃を受け,生産活動の低下,物価の騰貴等困難な問題に当面し,暗い見通しのまま74年を迎えた。物価上昇率は年間を通じて卸売15.1%,消費者7.3%にとどまつてはいるが,年末より急騰傾向が生じており,74年の先行きは注目を要しよう。
(ハ) 北朝鮮の内政
73年は前年12月27日に公布された北朝鮮新憲法施行の最初の年であり,金日成氏を国家主席とした体制を一層強化するため朝鮮労働党の指導による思想・技術・文化の三大革命路線,(社会主義の達成,南北朝鮮の平和的統一促進のため全国民の革命化,労働者階級化をめざす思想革命,
労働条件および環境の改善ならびに生産性の向上,新しい技術の導入等をめざす技術革命,
国民の教育水準の向上をめざす文化革命)が引き続き遂行された。ことに同年は,これらのうち思想革命が最優先とされ,並行して技術革命を強く打ち出しているところから,全国民の結集を計りつつ実施中の経済6カ年計画を成功裡に達成することに最重点をおいたものとみられ,国内での要求に応じ,さらに南北対話ひいては南北朝鮮統一を自国に有利に導びくために経済計画の実績向上に多大の努力が払われたものと思われる。
北朝鮮は,71年から工業総生産額を2.2倍,工業生産の年平均成長率14%(いずれも70年比)を目標とする経済6カ年計画を実施しているが,74年はその3年目に当つており,この経済計画を一年間短縮して達成するためキャンペーンを行なつている。北朝鮮は,73年に工業生産が70年比1.6倍となり,この3年間の年平均成長率は14%となつたとしており,また農業生産も豊作であつたと発表した。しかし今後引き続き発展を続けるためには,技術の開発および近代設備の導入等が必要であり,このために先進諸外国との交流が必要となつて来るものとみられる。
(イ) 金 大 中 氏 事 件
8月に東京で発生した韓国の前大統領候補者金大中氏の誘拐事件は,国際事件として世論の注目をあびた。被害者である金大中氏自身は事件発生の5日後ソウルの自宅に帰つたが,9月に入り日本側捜査の結果,在日韓国大使館の一等書記官が事件に関与していたとの容疑が出て,事件は日韓間の大きな政治問題に発展した。
日本政府としては,事件の真相を解明し,内外の納得のいく解決をはかるとの方針で韓国政府の協力を求めた。なかでも被害者となつた金大中氏の身の安全・自由の回復の保証といつた人権問題について特に配慮した。10月末に至り,韓国において金大中氏白身が自由を回復した旨の声明を発表し具体的な進展が見られ始めた。さらに11月1日金溶植外務 部長官が,(i)韓国政府も上記書記官の事件関与の容疑を認め,捜査の結果が出た後法により処理する,(ii)金大中氏は出国を含めて自由であるとの発表を行なつた。翌2日金鍾泌韓国国務総理が朴大統領の親書を携えて来日,田中首相に対し,日本政府および国民に対し遺憾の意を表明するとともに,捜査を継継し監督責任者を処分し将来このような事件をくり返さないよう努力する旨約束した。
(ロ) 日 韓 閣 僚 会 議
第7回日韓定期閣僚会議は,12月26日東京で開催された。同会議には,わが国からは,外務・大蔵・通産・経企の4省庁の大臣・長官が出席し,韓国側からは副総理兼経済企画院長官・外務・財務・商工の各長官が参加した。会議の議題は(1)両国関係一般および国際情勢,(2)両国の経済情勢,(3)日韓経済関係(日韓貿易,経済協力),(4)国際貿易経済問題であつた。
会議の目的は,両国の主要閣僚が一堂に会し,卒直な話し合いを行うことにより,日韓両国間の相互理解を深めることにあり,日韓両国をとりまく国際情勢が流動的なおりから,有益な意見交換が行なわれた。日韓関係の基本的なあり方については,主権尊重・内政不干渉・互恵平等の諸原則に基づき・国民的基盤に立脚した公正な関係の発展のため一層努力すべきこと,両国民の相互理解をさらに深めるため文化,学術等幅広い交流の促進が望ましいことが確認された。
(ハ) 通 商 関 係
73年のわが国の韓国向げ輸出は約18億ドル(前年比8.3%増)輸入は約12億ドル(同18.5%増)に達し,韓国は貿易規模においてわが国にとつて第5番目の貿易相手国となつた。特に注目されるのは韓国からの,輸入の拡大であり,その結果,輸出入比率は前年の2.3対1より1.5対1となり,貿易不均衡は是正された。また,韓国側の資料によれば,わが国は韓国にとつて最大の輸出相手国(昨年は米国に次いで2位)となつた。
日韓貿易をめぐつて政府間では第10回日韓貿易会議(6月外務省)と日韓のり会談(3月外務省)が開かれ,貿易会議では関税引下げ,特恵関税制度の改善,のりの自由化,開発輸入の促進など日韓貿易上の諸問題について,のり会議では韓国産のりの輸入割当枠をめぐつて意見交換が行なわれた。
(ニ) 経 済 協 力 関 係
韓国に対するわが国の経済協力は,65年の日韓国交正常化の際の請求権,経済協力協定に基づく10年間5億ドル(内無償3億ドル)の枠によるものに始まり,この枠内のものは8年目に当る73年末までに8割弱を消化した。対象は韓国の農水産業,繊維産業,浦項総合製鉄所設備等であるが,近年はこれに加えて,金烏工業高校設立計画に対する無償協力や,韓国の農水産業近代化あるいは輸出産業育成などのための円借款供与を行なつており,73年は278億円の円借款供与の書簡交換を行つた。さらに6月には韓国の食糧事情緩和のために米の延払い輸出も行つた。また資金による協力以外にも,研修生の受入れと専門家の派遣,各種開発計画の調査,医療協力等幅広い技術協力を実施した。
民間輸出信用については,わが国は一般プラント,漁業協力および船舶輸出に48年末現在輸出承認ベースで約6億ドル(48年だけでは約900万ドル)の延払輸出を行つている。(詳細については,第2章の関係部分を参照のこと。)
(ホ) 民 間 投 資
わが国の民間資本の韓国への進出状況は,前年までの直接投資残高にして約300件1億ドルであつたのが,73年は1年間で約300件2億6千万ドル強(外人投資全体の9割強)にのぼり,累計すると韓国における外国民間投資総額の6割を占め,前年までの首位であつた米国資本を抜いた。このような資本移動は日韓両国の経済発展に資するものとして歓迎されるべきものであるが,投資が活発化するに伴ない受入れ国側との協調がますます重要となつている。
(ヘ) 漁 業 問 題
第8回日韓漁業共同委員会が7月外務省で開催され,日韓両国が行つた漁業資源の共同調査の結果を審議するとともに,両国漁船間の海上事故防止と迅速な処理のための政府による指導を徹底する必要のあることが確認された。
(ト) 竹 島 問 題
外務省は,韓国の竹島不法占拠に対し従来からくり返し抗議しているが,73年6月にも,韓国官憲による竹島周辺における日本漁船臨検があり,これは同島がわが国の領土であることと相容れないものである旨韓国へ抗議した。
(イ) 通 商 関 係
73年の貿易は,わが国の輸出が1億ドル(前年比約7%増),輸入が約7,000万ドル(前年比約89%増)に達した。72年に引続き,73年もわが国は北朝鮮にとつてソ連,中国に次いで大きな貿易相手国になつている。
(ロ) 人 的 交 流
(a) 邦人の北朝鮮への渡航は,年間旅券発給数によれば約770名であり,72年924名に比しやや減少したが,商用,スポーツ交流など多様な分野にわたつており,また,報道および地方自治体関係者の北朝鮮訪問が目立つた。
(b) 北朝鮮からの入国は大幅に増大,多様化し,総勢220名の万寿台芸術団をはじめ商用,技術打合せ,国際会議出席,スポーツ交流などを目的とする入国が認められ,のべ16件316名が来日した(47年度4件32名)。
(c) 在日朝鮮人の再入国については,従来の北朝鮮へのいわゆる里帰りからさらにスポーツ,学術,文化,南北赤十字会議参加,商用,また,第三国での国際会議参加等を目的とするものへと徐々に幅が広げられ,その許可数も大幅な増大を示している。73年の再入国許可数は,里帰り,第三国での国際会議出席,赤十字会議参加・取材,商用,芸術・スポーツなどで462名であつた(72年度145名)。
(d) 在日朝鮮人の北朝鮮帰還も続けられており,73年は3回にわたり計約670名が北朝鮮に帰還した。