-安全保障理事会-

 

第2節 安全保障理事会

 

1972年の安保理理事国は,常任理事国5カ国のほか,日本,パナマ,アルゼンティン,イタリア,ギニア,インド,スーダン,ソマリア,ユーゴースラヴィア,ベルギーであった。わが国の任期は72年をもって終了した。

バングラデシュの国連加盟問題で中国が初めて拒否権を行使したこと,およびイスラエルとシリア,レバノン間紛争問題で米国が史上2度目の拒否権を行使したことが注目された。

 

1. バングラデシュの国連加盟問題

 

バングラデシュは,1972年8月8日国連への加盟申請を行なった。安保理は同月10日本件を審議し,加盟審査委員会(安保理メンバーをもって構成)に本件を審査させることに決定した。加盟審査委ではソ連,インド等がバングラデシュは加盟資格を十分に具備していると主した。これに対し中国がバングラデシュは1971年の印パ戦争の際の国連総会決議および安保理決議を無視しパキスタン人捕虜の送還を履行していないので加盟資格は有しないとして強硬に反対したため審議が紛糾した。加盟審査委は結局投票により各メンバーの態度を表決で示しそれを安保理に報告した(加盟賛成11,反対1,投票不参加3)。8月25日安保理はソ連,インド等4カ国共同提案のバングラデシュ加盟推奨決議案,中国提案の本件審議延期決議案,および加盟推奨案に対する修正案を表決に付したがいずれも否決された。このうち加盟推奨決議案は11票の賛成票を獲得したが中国が拒否権を行使したため採択には至らなかった。

わが国はバングラデシュが憲章の定める加盟要件を充足しているとの立場に立って同国の加盟問題についてはこれを積極的に支持した。しかバングラデシュの加盟は出来るだけ円満に実現することが望ましいとの見地から一時審議延期を提案してソ連,インドと中国との対立緩和に努める等の努力を払った。

 

2. アフリカ問題

 

 (1) 南ローデシア問題

国連は,1965年英国よりの独立を一方的に宣言し南ローデシアにおいて白人少数政権を確立しているスミス政権を非難し,これを終息せしめる目的で1966年,1968年などの安保理決議に基づき対南ローデシア経済制裁を行なってきたが,南ア,ポルトガルの制裁不履行,スミス政権支持などのため十分な成果をあげていない。

1972年2月下旬においては,米国の南ローデシアよりのクローム輸入問題が契機となり安保理が開催され,制裁履行確保の方法について検討することを安保理制裁委員会に要請することが決定されていたが,この制裁委員会の報告をうけ7月28日に開催された安保理においては,右報告を承認するとともに,南ローデシアと経済関係を続けている国に対しかかる関係を直ちに止めるよう要請する趣旨の決議が採択された。さらに国連総会開催中9月27日~29日に開催された本件安保理では,米国を明示してこれに経済制裁履行のための協力を要請する旨を含む決議が採択された。

他方,英国政府とスミス政権の間で本件の政治的解決を目指すべく成立していた合意は,その内容が原地住民によって拒否されたところ(1972年5月ピアス委員会報告),上述の9月下句の安保理においては,制裁関係決議のほかに,英国に対し,スミス政権にいかなる権限も移譲しないこと,南ローデシアにおいて憲法会議を招集すべきこと,および民意確認の際には一人一票の原則を保証することを要請するとともに,多数支配が確立される前に独立を付与しないという原則を確認する趣旨の決議案が提出されたが,英国の拒否権行使により否決された。

わが国は上記安保理決議のすべてに賛成した。

なお第27回総会においても引き続き本件が審議され,制裁に関しては(i)米国のクローム輸入を非難し,(ii)ポルトガル,南アヘの制裁拡大につき安保理に検討を要請する趣旨の決議案が採択され(わが国は棄権),政治的解決に関しては,上述の安保理で否決された決議案とほぼ同趣旨の決議案が採択された(わが国は賛成した)。

 (2) 南ローデシア・ザンビア国境閉鎖問題

南ローデシアのスミス政権は,1973年1月9日,ザンビア領内を拠点とする反スミス政権ゲリラによるテロ活動が頻発化しており,これにつきスミス政権は1972年8月以来ザンビア政府に右ゲリラ活動を取締るよう要請してきたがザンビア政府がこれを無視し続けてきたことに対する報復措置であるとして,ザンビア国境を閉鎖した(なお,2月4日,南ローデシア政府はザンビア側よりゲリラ取締りの保障をとりつけたので国境を再開する旨発表したが,ザンビア政府は右保障を与えていない旨表明し国境閉鎖を続けると宣言した)。1月29日ザンビアは本問題審議のための安保理開催を要請し,同日安保理が開催された。2月2日安保理は,南ローデシア不法政権によるザンビアに対する経済封鎖,軍事威嚇等を非難し,現地調査のため安保理4メンバーからなる特別調査団を真ちに現地に派遣することを骨子とする決議案を採択した。さらに右決議に基づく調査団に対しザンビアが他の運輸網によって通常の貿易量を維持するためには何が必要であるかを査定することを委任する旨を骨子とする決議案を採択した。これら決議に基づきインドネシア(団長),オーストリア,ペルーおよびスーダンの安保理4メンバーからなる特別調査団が2月8日から21日にわたりザンビアでの現地視察を行なうほか,英国,ケニア,タンザニアをまわり関係者と討議し,その結果を報告書にまとめ安保理に提出した。同報告書は,国境地帯に相当程度の緊張がみられることを確認した後,本問題解決の鍵は第一に南部アフリカにおける多数支配の実現であり,第二には南ローデシア経済制裁の厳格な履行であるとし,南ローデシア経由の搬送に変る陸上代替ルート確保のためのトラック,鉄道用車輌などの費用として1億2,400万ドルを要する旨述べている。3月8日本件報告書を検討するための安保理が開催され,同10日安保理は特別調査団の報告書を承認し,南ロ不法政権のザンビアに対する挑発的かつ侵略的行為が緊張状態を高めている,南ローデシアより軍隊引揚を拒否している南アを非難する等を骨子とする決議案を採択し,さらに,(i)すべての国に対し特別調査団の勧告に従いザンビアが通常の輸送量確保と強制制裁の完全履行能力を高めるようザンビアに技術的,財政的および物的援助を行なうよう要請する,(ii)国連および専門機関に対し特別調査団報告書が指摘する分野においてザンビアを援助することを要請する,(iii)事務総長に対し国連の適当な機関と協力してザンビアが南ロ人種差別政権から経済的に独立しうるようあらゆる形のザンビアに対する財政的,技術的および物的援助を直ちに推進するよう要請する旨を骨子とした決議案を採択した。

 (3) ナミビア問題

南アの連盟時代にその委任統治領であったナミビア(旧南西アフリカ)に対する統治継続問題は,従来より,国連総会,安保理によってとりあげられ,南アのナミビアに対する委任統治権は終了しており,南アは直ちに同地域より撤退すべきである旨の決議がいくつか採択されてきた。

1972年初頭のアディス・アベバで開かれた安保理では,国連事務総長に対しナミビア人の自治達成につき関係者と接触することを要請する趣旨の決議案が採択されたが,これは手詰まりにあった本問題に打開の糸口を与えうるものとして注目されていた。

事務総長は南ア政府の承諾を得て,1972年3月南アおよびナミビアを訪れ,南ア政府および現地住民各層と接触し,その報告を7月19日に安保理に提出した。右報告は7月31日~8月1日に開催された安保理において承認され,(i)事務総長にナミビア人民が自決および独立の権利を行使することを可能にする条件を確立することを目的として関係者との接触を継続することを要請し,(ii)事務総長が右任務遂行にあたって,事務総長代表を任命することを承認する旨の決議が採択された。

これに基づき事務総長はスイス人エッシャーをその代表に任命し,10月一杯現地住民との接触を行なわしめ,第2次報告を11月16日に安保理に提出した。同月28日に開催された安保理においては,人民自決の原則に関し何らの進展が得られなかったとして,事務総長による接触を打ち切るべしとの強硬意見がアフリカ諸国より出されたが,結局,事務総長に対し,適宜その代表の助けを受け,その努力を継続することを要請する旨の決議案が採択された。

しかし引き続いて行なわれた,国連総会での審議においては,事務総長の任務継続に全く触れない南ア非難の決議案が,ナミビア基金への拠出要請決議案とともに採択された。

わが国は上記決議案のすべてに賛成した。

 (4) セネガル・ポルトガル事件

10月16日国連セネガル常駐代表より,12日ポルトガル軍のセネガル領攻撃によりセネガル側に軍・民間人の死傷事件が発生したので安保理の審議を求める旨の要請がなされた。よって安保理は19日より本件審議を開始した。席上ポルトガル政府がセネガル側に陳謝し損害賠償の責を負うべき用意ある旨の申し入れをすでにセネガル政府あて申し送ったとの事実が発表されたため,米,英等の西側諸国はポルトガル非難は,ポルトガル政府のかかる態度にかんがみ当を得ないとの見解を述べた。

結局,23日の安保理では,ポルトガル政府よりの上述の申し入れに留意しつつ,ポルトガル軍の度重なるセネガル侵犯を非難し,ポルトガルに対しアフリカ諸国の主権と領土保全の尊重を要請する旨の決議案が,賛成12(日本を含む),反対0,棄権3(米,英,ベルギー)で採択された。

 (5) ポルトガル施政地域問題

アフリカ37カ国は,国連総会が本件審議を行なっている最中(前節参照)の1972年11月7日,ポルトガルがアフリカにおける自国施政地域人民の自決と独立の権利を認め,これら地域人民の代表へ権限を移譲することにつき安保理が措置をとることを求めて安保理開催を要請した。本件安保理は11月15日開催され,11月22日ポルトガルに対し(i)アンゴラ,ギニア(ビサウ),ヴェルデ岬諸島,モザンビク人民に対する軍事行動およびすべての抑圧行為を止めるよう要請する,(ii)同地域での軍事対決の解決ならびにこれら地域人民の自決および独立の達成を目的として関係当事者と交渉に入るよう要請するとの趣旨の決議を全会一致で採択した。

本件決議が近年のアフリカ植民地問題審議においては異例ともいうべき全会一致で採択されたことは,第27回総会で採択された本問題に関する決議と相まって,ポルトガルに解放運動団体との交渉開始に圧力をかけるものとして重要視されている。なお,わが国は植民地人民の自決および独立支持の立場から本決議案に賛成した。

 

3. イスラエルとレバノン,シリア間紛争

 

 (1) レバノン・イスラエル国境のUNTS0強化

さきに1972年2月29日の安保理において,わが国はイスラエル・レバノン国境にUNTS0(国連パレスチナ休戦監視機構)監視の復活を示唆していたところ(当時監視員は7名にすぎず,監視の機能は名目的にすぎなかった),3月27日レバノン政府はUNTS0監視強化のため安保理メンバー国の打診を開始した。これを受けて安保理メンバー国は,非公式協議を重ねた結果4月19日コンセンサス(決議の方式をとらなかった)をもって,両国国境のレバノン側3カ所に監視ポストを設け,監視員を21名に増員することを決定した。

 (2) イスラエルの対レバノン攻撃

72年5月30日テル・アヴィヴのロッド空港で日本人ゲリラ3名が多数の市民を殺傷する事件が発生し,また6月20日と23日にはレバノン南部からイスラエル領内ヘテロ攻撃があった。イスラエルはこれに対する報復として6月21日と23日レバノン南部を砲爆撃して多数の死傷者を出させた上,シリア軍高級将校5名,レバノン軍将校1名を捕虜とした。

6月24日からこの問題を審議した安保理は,6月26日(i)イスラエルに対して,対レバノン軍事行動を差控えるよう要請する,(ii)全ての暴力行為を深く遺憾とする一方,レバノン領に対するイスラエル軍の反覆された攻撃を非難する,(iii)シリア,レバノン軍将校の早期釈放を強く希望する,との英,仏,ベルギー決議案を賛成13,反対なし,棄権2(米,パナマ)で採択した(決議316)。

わが国は,(i)無差別な攻撃を含む全ての行為を遺憾とする。停戦侵犯はその動機の如何にかかわらず停止さるべきである,(ii)攻撃と報復の悪じゆん環を断つため,安保理はイスラエルに対し,レバノン攻撃を行なわないよう要請すべきであると発言し,英,仏,ベルギー決議案に賛成した。

 (3) シリア,レバノン軍将校釈放問題

上記(2)の決議にもかかわらずイスラエルはシリア,レバノン軍将校を釈放しないため,7月21日安保理は,これら将校を遅滞なく釈放するようイスラエルに要請するギニア,インド,ソマリア,スーダン,ユーゴースラヴィア決議案を賛成14(わが国を含む),反対0,棄権1(米国)で採択した(決議317)。

 (4) イスラエルの対シリア,レバノン攻撃

72年9月5日アラブ・ゲリラ組織によるミュンヘン・オリンピック村テロ事件が発生したが,9月7日イスラエルはこれに対する報復として,67年中東戦争以来といわれる規模で,シリア領内7カ所とレバノン領内3カ所を爆撃した。これに対して9月9日シリアはゴラン高地のイスラエル陣地を爆撃した。

9月10日開かれた安保理では,軍事行動即時停止を当事国に訴えるソマリア,ユーゴースラヴィア,ギニア共同決議案が出されたが,これに対し米国は本事件と密接に関連するテロリズムに対する非難に言及しないのは片手落ちであると強硬に主張して,テロリズム非難に焦点をしぼった決議案を提出して鋭く対立した。英,EC諸国はソマリア等3カ国決議案に対する修正案を出して両決議案間の打ちゆうを試みたが,同修正案は否決された(分割投票に付され,2項目は賛成票が8票しか得られなかったため否決,残る1項目は賛成9票を得たもののソ連,中国の拒否権行使で否決された)。ついでソマリア等3カ国決議案が表決に付されたところ,結果は賛成13,反対1(米国),棄権1(パナマ)で,この米国の反対票が拒否権行使となり,決議案は否決された。これは米国の2回目の拒否権行使である。

わが国は,(i)軍事行動と停戦違反は停止されるべきである,(ii)暴力とテロリズムを非難する,(iii)テロリズム防止をきたる総会の議題にとり上げようとする事務総長のイニシアティヴを勧迎すると発言し,英・EC修正案,ソマリア等3カ国決議案に賛成投票した。

 (5) レバノン国境UNTSO強化

10月23日レバノンは同国常駐代表発安保理議長あて書簡をもって,イスラエル国境のレバノン側のUNTS0監視ポストと監視員の増加を要請した。

安保理は10月30日非公式協議を行なったところ,監視ポストを2カ所,監視員を21名から34名に増加する事務総長の案に反対を表明する国はなく,このとおりの強化が実施された。レバノン国境のUNTS0強化はもともとわが国がいい出したものであるので(上記(2)参照),この非公式協議ではわが国は積極的姿勢で対処した。

 

4. サイプラス国連軍

 

サイプラスには1964年3月以来国連平和維持軍が駐留し戦闘再開の防止,法と秩序の回復および正常状態への復帰に努めている。この国連軍は当初は3ヵ月の駐留期間で創設されたが,所期の目標が達成されないため今日まで3~6ヵ月の期間で延長されてきている。1972年6月15日および同年12月12日の安保理はそれぞれ21回目,22回目の国連軍のサイプラス駐留延長(各々1ヵ月)を決定した。

 

5. パナマ安保理

 

1973年3月15日から21日まで,パナマにおいて2度目の安保理本部外会合(第1回は1972年1月のアフリカ安保理)が開催された。

同安保理は,1903年条約によりパナマ運河および運河地帯上の永久支配権を有する米国に対し,同条約の廃棄,パナマの主権回復を要求するパナマが国際世論を喚起する意図の下に招請したものである。審議において,パナマ側の主張を骨子とする決議案が提出されたが,これは安保理が二国間交渉の対象となっている問題の実質に立入るべきではたいとする米国が拒否権を行使した結果,否決された。票決後米国は,(i)安保理は二国間交渉の問題の実質に関する決議案を採択すべきではない,(ii)決議案はパナマの利益には触れているが,米国にとって重要かつ正当な利益を無視しているとの投票理由説明を行なったが,タック・パナマ外相は,米国は決議案をVET0(拒否権行使)したが,世界は米国をVET0したと述べて国際世論の支持を誇示するとともに,今後の安保理,総会において本問題を議題とするよう要請するつもりであると述べ,あくまで国際世論に訴えるとの態度を維持する姿勢をみせた。

 

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