-国連第27回総会における政治問題- |
第27回国連総会は,1972年9月19日に開会され,92の議題について審議を重ね,146の決議案を採択して12月19日閉会した。
国連は,1947年以来朝鮮問題を取上げ,朝鮮の平和的統一と同地域における国際の平和と安全の完全回復とを目的とし,国連朝鮮統一復興委員会,在韓国連軍の活動を支持してきている。しかし,北朝鮮は,国連が朝鮮問題に干渉する権限はないとの立場から朝鮮における国連のプレゼンスに反対しており,最近では毎総会,国連朝鮮統一復興委員会,在韓国連軍の活動を支持する韓国側と国連朝鮮統一復興委員会の解体,国連軍の撤退を要求する北朝鮮支持国側との間で争いが繰り返されてきた。1971年に至り,韓国支持国側は南北赤十字会談を契機に南北対話を暖かく見守ることが望ましいとの立場から朝鮮問題の審議延期を提案し,この提案が認められて朝鮮問題の実質審議は行なわれなかった。
第27回総会では,前年のとおり再び朝鮮問題の審議延期を希望する韓国支持国側とこれに反対する北朝鮮支持国側との争いとなった。しかし,南北の直接対話,南北赤十字本会談の開催等前年の審議延期以降の南北間の自主的対話の進展とこれをさらに促進する雰囲気を譲成することが望ましいとの韓国支持側の主張が通り,結局,賛成70,反対35,棄権21をもって本件は第28回総会章で一年審議が延期されることになった。
総会は11月29日から12月8日まで中東問題の審議を行なったが,中東和平の安保理決議242(1967)がいまだに実施されず,イスラエルによるアラブ領土の占領が5年以上も続いている事態を反映して,議論はAAの多数の支持を得ているアラブ側に有利に展開した。そして第25回,第26回会期のようにラ米諸国から,非同盟決議案に対する対案が出されることもなかった。
アラブ諸国が起草した非同盟決議原案は,(i)イスラエルの即時かつ無条件撤退,(ii)イスラエルによる占領地天然資源開発のための経済財政援助の禁止,(iii)イスラエルの占領継続のための軍事援助の禁止,をうたった強硬なものであった。このうち上記(i)は安保理決議242の微妙なバランスを崩したものであった。しかし英,EC諸国が修正のため強く働きかけた結果,(あ)上記(i)の「無条件かつ即時」が削除されて,安保理決議242と同じく撤退が交戦状態の終了,主権,領土保全等の尊重と確認とともに中東和平の原則として併記され,(い)上記(ii)と(iii)については,占領の承認となる行為(援助面での行為を含む)をしないよう要請する,との趣旨に穏和化された。このように改訂された決議案は賛成86,反対7,棄権31で採択された。本決議2949は上記(あ)と(い)のほかに,イスラエルに対して,武力による領土併合否認の原則をまもる旨宣明するよう勧奨し,また安保理に対して決議242の迅速な実施のため行動するよう要請した。わが国は本決議案が安保理決議242のラインに沿ったものに改訂されたので,賛成投票した。
わが国は一般討論において,(i)戦争による領土獲得の不許容の原則を固く支持する,(ii)主権,領土保全,政治的独立,安全かつ承認された境界線内に平和に生存する権利の保障のため,国際的保障が考え出されるべきである,(iii)中東地域の国際水路の航行自由の原則は全ての国に公平に適用さるべきである,(iv)スエズ運河再開を含む部分解決に賛成すると述べた。
南部アフリカ問題すなわち,ポルトガル施政地域・南ローデシア・ナミビアにおける植民地問題と南アにおけるアパルトヘイト問題は,国連において長年にわたって審議され,問題解決のための努力(経済制裁(対南ローデシア),国連関係基金による犠牲者の救済,各種広報活動,事務総長による当事者との接触,その他)が重ねられてきたが,南ア,ポルトガルなどの協力を得られず,問題は依然未解決である。
今次総会においては,上記三つの植民地問題が,安保理における同議題の審議と相前後して審議されたが,ポルトガル施政地域問題の審議において注目すべき進展がみられた。
(1) ポルトガル施政地域問題
国連総会は,1960年に植民地独立付与宣言を採択して以来,ポルトガルのアフリカにおける施政地域(アンゴラ,モザンビク,ギニア・ビサウ,ヴェルデ岬諸島)を憲章上の非自治地域として,原地住民の自決権を認めるようポルトガルに要請し,またポルトガルの植民地政策を非難する旨の決議を採択してきた。
今総会において,アフリカ諸国は,上記地域における解放運動(特にギニア・ビサウにおけるPAIGC)が一部解放区を事実上支配しているという現状を強く国際世論に訴えんとしたが,総会第四委員会において解放運動団体の代表者がオブザーヴァーとして討議参加を認められ,総会本会議において解放運動団体が原地住民の真の願望を代表するものであるとし,ポルトガル政府と解放運動団体との間で交渉が直ちに開始されるべしとした決議が採択(賛成98,反対6,棄権8)されたことは,ほぼ同趣旨の決議が安保理において全会一致で採択されたことと相まって,アフリカ諸国の成功と考えられる。
わが国は,オブザーヴァーとしての地位を解放運動団体に付与することは布地位が憲章上明確でないとの理由よりこの決定に際しては棄権したが上記決議に対しては賛成した。
(2) 南アのアパルトヘイト問題
南ア政府の実施しているアパルトヘイト政策は,人種差別政策であるとして,1952年以来国連はアパルトヘイト政策を非難してきた。アフリカ諸国は従来対南ア経済制裁を強く主張してきたが,1970年以降はこれに限らず,多角的な反アパルトヘイト運動推進のためさまざまな決議を成立させている。今次総会においても経済制裁決議のほか,広報活動,南ア信託基金などに関する計5つの決議が採択されている(わが国はこれらのほとんどに賛成した)。
(3) 南ローデシア問題
第27回総会は,ワルトハイム事務総長が提案した国際テロリズム防止問題を審議した結果,国際テロ問題に関する加盟国の見解を審議し,第28回総会に報告書を提出する特別委員会を設置するとの趣旨のアジア・アフリカ非同盟決議案を賛成76,反対35,棄権17で採択した。
わが国は,同決議案が国際テロを強く非難せず,国際的な防止措置が明確に保証されていないこと等のため,一同決議案に反対の意志表示をしたが,今後設置される特別委員会には参加して国際的立法措置の成立をめざして協カする意向を明らかにした。
国連発足後四半世紀を経た今日の国際情勢に国連の機構,機能を適応させ,国連を強化するため,国連憲章を再検討しようという動きが活発化したのは,第24回総会および第25回記念総会の時である。
とくに第25回総会においては,わが愛知外相が一般討論演説の全てを費し,安保理など国連機構の強化,国連平和維持活動の明文化,旧敵国条項の廃止などを訴えたのをはじめ,フィリピン,コロンビア等主として中小諸国がさまざまな具体的提案を行ない本問題を推進しようとした。かかる推進派の動きは,ソ連,フランスをはじめとする安保理常任理事国,東欧諸国,一部西欧諸国の強い反対にあつたが,結局1972年7月1日までに各国が国連憲章再検討に関する意見を提出し,これを事務総長が同年の第27回総会に報告することおよび第27回総会の仮議題に「国連憲章再検討に関する意見を検討する必要性」という議題を含める旨の決議の採択にこぎつけた。
第27回総会においては,本問題検討のための特別委員会設置を主張する日本,フィリピン,コロンビア,イタリー等を中心とする推進派と,国連憲章再検討ないし改正の一切の試みは国連の強化にとってかえって有害であるとして本問題審議そのものを中止または妨害しようとするソ連・フランス等の反対派が真向から対立したが,結局妥協案として,2年後の第27回総会に本問題審議を持ち越すことに決まった。
バングラデシュは,1972年8月8日に国連への加盟申請を行ない,安保理はこれを審議した。しかし安保理では結局中国の拒否権に遇い今次第27回総会におけるバングラデシュ加盟は実現しなかった(安保理における審議概要については次節参照)。バングラデシュの加盟を支持する諸国は場所をかえ国連総会での審議を求め,ユーゴースラヴィアから「新メムバー加盟」問題を第27回総会の議題として要請した。ユーゴースラヴィアはさらに総会での本件取扱いぶりにつき各国に打診を行ない,バングラデシュ早期加盟推奨決議案を総会に提出した。ソ連,インドはこのユーゴースラヴィアの動きを支持した。他方,パキスタンは当事者間で平和的解決の気運が高まっている折に総会で本件を取扱うことは双方の対決を招き問題解決に役立たないとして本件審議に強く反対し,またユーゴの早期加盟推奨決議案についても捕虜の釈放につき言及していないことを理由に反対した。中国はこのパキスタンの動きを強く支持した。このように事態が双方の対決ムードとなるにおよびアルゼンティンは双方の陣営の面子を立てるため捕虜釈放を規定した第二の決議案をユーゴ案と並行して提出することを探究し始めた。パキスタンは捕虜の早期釈放に関する一項を加えてユーゴ案を修正することを主張したが結局これを断念し,アルゼンティンが進めている第二の決議案をユーゴ案と並行して提出する構想にのることを決意し,決議案採択時に総会議長よりユーゴ案およびアルゼンティン案の両決議案は相互に依存するものである旨の発言を行なう形で処理することに応じた。総会における本件審議は結局ユーゴ案とアルゼンティン案の採択および議長の発言という方法で全会一致で採択される見通しが立つた11月29日に行なわれた。そして本会議審議では予定通り早期加盟推奨決議案と捕虜釈放決議案の両決議案が討論および表決なしで全会一致で採択され,議長が両決議の相互依存を述べて審議は終了した。
ワルトハイム国連事務総長は,昭和48年2月13日から17日まで,公賓としてわが国を訪問した。わが国にとって,国連事務総長を迎えるのは昭和45年万博の際のウ・タン前事務総長の来日以来2度目のことである。ワルトハイム事務総長は,昨年1月の就任以来,すでに五大国を含む主要国連加盟国への訪問を精力的に行なってきており,今回の来日もかかる訪問の一環として行なわれたものである。滞日中の主要行事としては,天皇・皇后両陛下の賜わった謁見・宮中午餐,総理主催の晩餐,国連協会主催の晩餐が行なわれ,また田中総理,大平外務大臣,奥野文部大臣との会談が行なわれた。これら会談において,わが国は,従来より堅持している国連協力の姿勢を重ねて強調するとともに,国連財政赤字問題について同事務総長の要請に応えて応分の財政的寄与を行なう用意のあることを明らかにした。これに対して同事務総長は日本の国連に対する積極的姿勢を高く評価し,とくに財政赤字問題に対する日本の協力的態度を多とした。このほか,日本の安保理常任参加問題,国連大学の日本誘致問題等の国連関係諸問題,アジア情勢一般とくにインドシナ問題について,意見の交換が行なわれた。
ワルトハイム事務総長は,今回の訪日の結果に極めて満足しているが,わが国としてもその積極的な対国連協力姿勢を内外に示したものであった。