-科学技術に関する国際協力-

 

第8節 科学技術に関する国際協力

 

1. 原子力の平和利用

 

 (1) 国際原子力機関(IAEA)第15回総会

1971年9月第15回総会が開かれたが,本総会は次の2点より注目された。第1は,この総会が国連総会に先立つて開催されためた,中国代表権問題をどう処理するかと言うことであつた。結局中国代表権問題の如き,極めて政治的な問題は国連総会に委ねることとするとの常識論が多数を占め,何らの関連決議も出さずに終つた。しかし,輪番制の慣行により極東地域より理事国に立候補した中華民国は,賛成37を得て当選したもののフィリピン10,棄権30と言う多数の批判票があつた。

なお,その後国連総会における決議を背景にIAEAの12月理事会で中華人民共和国が中国の唯一の正統政府であり,国府をIAEAより直ちに追放することが決定された。

注目された第2の点は,NPT保障措置協定のモデルが4月特別理事会で承認され,これに基づき多くの国がIAEAとの間に交渉中であつたが,このような情勢を反映して,NPT批准およびNPT保障措置協定交渉の促進の気運が強く,このための決議案が提出されようとしたことである。結局,ユーラトム諸国がIAEAと交渉に入る旨の声明を出し,また,わが国も近い将来,予備的話合いに入る用意があることを明らかにしたため,決議案提出は差し控えられた。

 (2) 非核兵器国会議関係

第26回国連総会においては,第25回総会の決議にもとづいて(イ)非核兵器国会議の結論の実施,(ロ)適当な国際管理下での平和核爆発サービスの設立,についてそれぞれ事務総長報告が提出された。さらに,わが国が共同提案国となつて非核兵器国会議の成果実現のためIAEAなど関係機関に引き続き協力を要請する旨の決議が採択された。

 (3) 核兵器不拡散条約(NPT)下の保障措置問題

NPT第3条に基づいて締結される保障措置協定のモデルについては,IAEA保障措置委員会における審議を経て,46年4月の理事会で承認された。

このモデル協定においては,国内計量管理制度の有効な利用が定められ,査察は必要最小限のものとすることとし,従来の査察方式に比べ簡素化,合理化が図られており,特に具体的な査察最大業務量の数字および基準が合意され,ユーラトム諸国も同一の数字,基準に従うこととなるので,これによりユーラトム諸国と平等性確保のための骨組みができたものと思われる。また,NPT保障措置の経費についても,わが国の主張に沿いIAEA通常予算の枠内と決められている。

このモデル協定に基づき,NPT批准国のフィンランド,オーストラリア,ウルグァイ,カナダ,ポーランド,ブルガリア,ハンガリー,チェコスロヴァキア,イラクの9ヵ国がすでにIAEAとの交渉を終了した。また,デンマーク,ルーマニア等31ヵ国がIAEAとの間で交渉中である。

この他,ユーラトム諸国はNPTを未批准であるが,NPT保障措置協定交渉が終了した段階でNPTを批准するとして,45年11月よりNPT保障措置協定締結のための予備交渉をIAEAとの間で行なつている。

 

2. 宇宙空間の平和利用

 

1. 宇宙開発には,月等を含む宇宙空間の探査という科学的側面とそれらを人類の利益に利用する側面の二面がある。第1の科学的側面においては,1957年のソ連のスプートニクの打上げ以来約2000箇の宇宙物体が打上げられ,それは米国が1969年に行なつたアポロ宇宙船による月着陸および1970年のソ連のルノホート(月面走車)の月着陸という壮挙により結実した。

他方,宇宙開発は従来の科学的探査を主とする段階から,宇宙技術の発展に伴ない宇宙の実利用を主とし,科学的探査を従とする方向に変化してきており,その実利用面の国際法上の第一歩が1971年にインテルサット協定の成立として結実した。宇宙の実利用の例としては,既に実用中の通信衛星のほか,気象衛星,地球資源探査衛星,放送衛星,航行衛星および測地衛星等の実用衛星の開発が予定されている一方,宇宙技術の他産業への波及効果が考えられる。

このように宇宙開発の重点が,科学面から実用面に移行してくるのに伴ない,また,多数の人工衛星が宇宙を飛翔するに至ると,宇宙空間の効率的利用および各国の利害関係の調整が必然的に必要となつてくる。

2. そのため,国連宇宙空間平和利用委員会は,宇宙空間という人類のフロンティアにおける憲法ともいうべき「宇宙条約」を作成した。しかるに,その細目協定である「宇宙損害賠償協定」は,1964年以来同委員会で審議されてきたが,宇宙物体により生じた損害に対する賠償額を算定するための基準を如何なる法によるかとの適用法の問題および当事者間で賠償額について生じる紛争を解決する請求権処理委員会の決定に拘束力を与えるか否かの問題の二項目につき,西側および東側諸国の間で激しい意見の対立を見て交渉は難航した。1971年に至り米国が適用法については国際法のみとすることおよび請求権処理委員会の決定に勧告的効力しか認めないとのソ連の主張するラインに妥協したため,この協定は同年11月採択された。わが国,加,スウェーデン等4ヵ国は,上記ラインで妥協しては,被害者に対する迅速かつ公平な賠償が確保されないとの理由によりその二項目の解決方法に反対した。しかし,この協定は,上記のような欠点があるにしても,加害国の無過失責任の原則,具体的な賠償手続等を規定しており,宇宙法の大きな進歩と言えよう。

3. 通信衛星の利用のためのインテルサット組織の設定のため,1964年に同組織の設定のための協定作成交渉が行なわれ,同組織の性格をめぐつてこれを政府間組織としようとする欧州諸国と共同事業にとどめようとする米国の主張の対立等のため,同組織を確定的基礎の上に設定することを一応とり止め,インテルサット暫定協定および特別協定が作成された。この協定に基づき設定されたインテルサット組織は暫定的なものであり,これを確定的基礎の上に設定するためのインテルサット恒久協定作成を目的とする国際会議が1969年より断続的に開催されたが,1964年の交渉の際に見られた欧米間の対立が現れ,わが国および豪州が欧米間の妥協のため積極的な役割を果たした結果,1971年同協定は採択され,同年8月にわが国を含む各国により署名された。

 

3. 海底の平和利用

 

海洋開発は,わが国においても近年急速にクローズアップされて来た。陸地に比較的近い大陸棚とその先きの大陸斜面には多量の石油,天然ガス等が埋蔵されているほか,さらにその先きのいわゆる深海底には,銅・ニッケル・コバルト・マンガンなどを含むマンガン団塊が大量に存在することが確認されている。他方,科学技術が最近著しい発展を遂げたことにより,これらの深海海底鉱物資源の開発計画が現実の問題として真劔に検討され始めた。こうした事情を反映して,国連においては,1968年以来,海底平和利用委員会を設け,深海海底の法制度化などについて審議を行なつている。特に,1970年,第25回国連総会では,この委員会の成果に基づいて,

「国家管轄権以遠の海底およびその資源は人類共同の財産である」旨の原則を含む15項から成る海底法原則宣言が全会一致で採択された。(なお,その後の拡大海底委員会における討議の内容については第6節第2項参照。)

 

4. 国連人間環境会議をめざして

 

「かけがえのない地球」(Only One Earth)という意欲的なスローガンをかかげて,本年6月5日から16日までストックホルムにおいて「国連人間環境会議」が開かれる。会議には,世界の120以上の国々と多数の国際団体などの代表の参加が予想されており,人間環境という人類共通の重要問題について国連が主催する最初の国際会議として,その成果が注目されている。この会議の開催は,1968年第23回国連総会において決定され,つづいて1969年の総会では,会議の主目的として,「人間環境を保護,改善するため各国政府および国際機関によつてとられるべき措置を奨励し,かつ,そのためのガイドラインを提供するとともに,開発途上国に対しては,かかる問題の発生をあらかじめ防止せしめることの特別の重要性に留意しつつ,国際協力により,人間環境への被害を除去し,かつ防止するための具体的手段として役立たしめる」ことを確認するとともに,わが国を含む27ヵ国によつて構成される準備委員会の設置を定めた。

準備委員会は1970年より活動を始めたが1971年2月の第2回準備委員会では,2つの大きな成果を納めた。その1つは,ストックホルム会議の主要な問題分野がつぎの6つに決められたことである。

(あ) 人間居住問題の環境的側面

(い) 天然資源管理の環境的側面

(う) 国際的な意義をもつ環境汚染とニューサンスの規制

(え) 環境問題の教育,情報,社会,文化的側面

(お) 開発と環境

(か) 各種行動計画の国際機構的インプリケーション

第2の成果は,ストックホルム会議の開催以前の段階ですでにある程度の実行措置を完了しておくべき緊急分野として,

(あ) 「人間環境宣言」

(い) 海洋汚染

(う) 土壌保全

(え) モニタリングと監視

(お) 自然保護

の5つを選び,それぞれの分野につき政府間作業部会を設置したことである。その後これらの作業部会は,それぞれ会合を開いたがとくに(あ)の作業部会は,1971年5月と72年1月の会合で「人間環境宣言」案のとりまとめに成功した。

他方,開発途上国が強い関心を持っている「開発と環境」のテーマについては,ECAFE等4つの国連地域経済委のセミナーで討議が続けられた結果ストックホルム会議に対する関心をますます強めるに至つた開発途上国,とくにブラジルを急先鋒とするラ米諸国は,1971年9月の第2回準備委会議において先進国グループとの対立を一層深めるに至つた。

 

5. 南極条約協議会議

 

1970年,東京において開催された第6回協議会議の後,1971年9月にルーマニアが南極条約に加入し,現在,締約国は17ヵ国となつた。この協議会議の最近の傾向としては,南極条約の目的,原則以外の事項,例えば自然環境保護とか,資源の探査開発問題とかが共通の利害関係ある事項として,協議されるようになつたことが注目される。第7回協議会議は,1972年10月30日から11月10日までウェリントンで開催されることとなり,その議題を決めるための第1回準備会議が1972年3月7日,ウェリントンで開催される運びとなつた。また1972年2月3日より10日までロンドンにおいて南極あざらし保存条約採択会議が開催され,わが国を含む南極条約協議国12ヵ国が参加した。

 

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