1971年の安保理常任理事国は,常任理事国5ヵ国のほか,日本,シリア,ブルンディ,シェラ・レオーネ,ソマリア,アルゼンティン,ニカラグァ,ポーランド,ベルギー,イタリアであつた。わが国の任期は71年1月1日から72年末までである。中華人民共和国は11月23日の会議(セネガル/ポルトガル事件)から安保理の議事に参加したところ,12月の印パ問題審議では,同国とソ連との間に激しい非難の応しゆうがくりひろげられた。
国連は1971年3月の東パキスタン内紛以来人道上の見地から約1,000万におよぶ難民の救済活動に乗り出すとともにインド,パキスタン間の緊張緩和のため仲介工作を試みようとした。しかし,インド・パキスタン両当事国の同意が得られなかつたため事務総長の仲介は実現をみるに至らず,また,大国の利害が対立したため安全保障理事会も開会されなかつた。
1971年12月3日,インド,パキスタン両軍が東西国境において全面的軍事衝突をみるにおよび翌4日安全保障理事会が招集された。しかし,安全保障理事会では,インドを支持するソ連とパキスタンを支持する米国,中華人民共和国との意見が鋭く対立し,即時停戦,即時撤兵を求めた米国決議案,日本等8ヵ国決議案は,いずれも所要の賛成票を獲得しながらソ連の拒否権のため否決された。
この結果,安全保障理事会の機能は麻痺し,本問題は「平和のための結集決議」に基づき折から開会中の第26回国連総会に付託された。1971年12月7日総会本会議は即時停戦,即時撤兵,難民の自発的帰還の条件の醸成等7項目からなる決議2793を賛成104,反対11(インド,ソ連圏),棄権10で可決した。しかし,インドが同決議を受諾せず,国連は流血を前に即時停戦による事態収拾をはかることができなかつた。
12月12日再開された安全保障理事会も空転し,結局,インド・パキスタン両国軍の停戦が実現した後の1971年12月21日に至り,漸く永続的停戦の遵守,すべての軍隊の双方の国境,ジャム・カシミール停戦ラインを尊重した位置までの遠かな撤退,人命保護,人道問題解決あつせんのための事務総長特使の任命等7項目からなる決議307を採択した。
かくして,国連は,インド・パキスタンの武力衝突を目のあたりにして即時停戦,相互撤兵のための実効的措置をとることはできなかつたが総会決議に示された国際与論を背景に戦火の拡大を防ぎ,ともかく安全保障理事会決議307の可決により,停戦と撤退に関する一般的原則を規定し,また,事務総長特使の現地派遣により人道問題解決のあつせんに乗出したことは難民救済活動とともに限定的ながらも国連の果した役割として評価される。
わが国は,国連においては安全保障理事会の一員として,またアジアの一員として終始厳正中立の立場より,即時停戦,東パキスタン問題の政治的解決,難民救済の対処方針に拠つて事態の早期収拾のため積極的に協力した。
(1) ナミビア問題
安保理は1970年7月ナミビアにおける南アの法的地位につき国際司法裁判所(ICJ)の勧告的意見を求めていたが,1971年6月ICJは,南アは直ちにナミビアから引揚げる義務がある,また加盟国は南アのナミビア支配を認めるような行為を差控えるべしとの勧告的意見を言渡した。9月17日,アフリカ35ヵ国は,この勧告的意見より生じた新たな問題を検討するための安保理開催を要請した。安保理は9月27日より本件審議を行ない,10月20日,(あ)ICJの勧告的意見の結論に同意する(い)すべての国に対しナミビアに関し南アとの条約の締結,経済取引等を差控えるよう要請する,との決議案を採択した。また本年1月28日から2月5日にわたりエティオピアのアディス・アベバで開催されたアフリカ安保理において,事務総長に対しナミビア人の自治達成につき関係者と接触するよう要請するとの決議案と南アがナミビアから直ちに官憲を引揚げるよう要請し,もし南アがこれに従わない場合には安保理はさらに措置をとるため会合するとの決議案を採択した。
(2) 南ローデシア問題
1970年政権の座についた保守党政府は本問題解決のための交渉をスミス政権との間に進めてきたが,1971年11月24日解決案につき合意した旨発表した。英国は本解決案につき説明したいとして安保理開催を要請した。安保理は11月25日開催し本解決案についての英国の説明を聴取した後審議を続け,12月30日,本解決案は南ローデシア人民多数が自治に対する権利を自由かつ平等に行使するため必要な条件を満たしていないとしてこれを拒否するとのソマリア提案になる決議案を表決に付したが英国の拒否権行使により否決された。また本年1月28日から2月5日にわたりエティオピアのアディス・アベバで開催されたアフリカ安保理においても英国はアフリカ3メンバーが提出した,英国に対し英国とスミス政権の間で合意した提案の実施を思い止まるよう要請した決議案を再度拒否権行使により否決した。一方2月28日安保理は,すべての国に対し制裁を完全に履行するよう要請するとの決議案を採択した。
(3) ポルトガル施政地域問題
本年1月28日より2月5日にわたりエティオピアのアディス・アベバで開催されたアフリカ安保理は本問題をとりあげ次の趣旨の決議を採択した。
(あ)ポルトガル政府に対し施政地域で抑圧行為に服している軍隊を引揚げるよう要請する。(い)すべての国に対しポルトガルに武器援助を行なわないよう要請する。
(4) 南アのアパルトヘイト問題
本問題は,南部アフリカ問題の一環として本年1月28日より2月5日にわたりエティオピアのアディス・アベバで開催されたアフリカ安保理でとりあげられた。同安保理は,南アの人種差別政策を非難し,南ア人民の権利闘争の合法性を認め,すべての国に対し南アに対する武器禁輸を厳守し,南アの人種差別政策を継続せしめるような協力をしないよう要請するとの決議案を採択した。
(5) セネガル・ポルトガルおよびギニア・ポルトガル事件
本問題はいずれもセネガル,ギニアがポルトガル領ギニアに駐屯するポルトガル部隊により国境を侵略されたあるいは侵略計画を傍受したとして安保理に提訴したものである。安保理は両事件ともに特別調査団を派遣し,事実調査ないし事情聴取を行なつた。これら調査団の報告にもとづき安保理は審議を続けセネガル・ポルトガル事件について1971年11月24日,ポルトガルに対しセネガルの領土主権を尊重するよう要請するとの決議案を採択した。またギニア・ポルトガル事件については11月30日同地域の不安定な情勢はポルトガルの自治原則の不履行にあるとのコンセンサスを採択した。なおわが国は安保理事国としてセネガル・ポルトガル事件の事実調査団に参加した。
(6) ザンビア・南ア事件
1971年10月6日ザンビアは自国領土が南アの警察隊により侵害されたとして緊急安保理の開催を要請した。安保理は,8日審議を開始し,12日,南アに対しザンピアの主権および領土保全を十分尊重するよう要請するとの決議を採択した。
1971年末をもつて任期が終了するウ・タン事務総長の後任には多数の候補が立候補していたところ,安保理は12月17日,20日および22日と3回の会合で,後任事務総長を選ぶ投票(秘密投票)を行なつた。先ず17日の投票ではワルトハイム(オーストリア常駐代表)のみが必要得票数9票を上回る票を得たが,反対票の中に常任理事国2ヵ国が含まれていたため,これが拒否権行使となつた。20日の投票ではワルトハイム,ヤコブソン(フィンランド常駐代表),オルティス・デ・ロサス(アルゼンティン常駐代表)の3名が9票以上を獲得したが,いずれも常任理事国の反対票1を含むため選出されなかつた。ついで22日の安保理では,同じく上記の3候補が9票以上を獲得したが,ヤコブソンとオルティス・デ・ロサスの反対票の中には常任理事国1カ国が含まれていたため,結局ワルトハイム侯補が選出された。よつて安保理はワルトハイム侯補を新事務総長に任命するよう総会に勧告した。(第1節6.参照)
2月24日レバノン国境付近のイスラエル領内において,パレスチナ・アラブ・ゲリラのテロリストが銃撃でイスラエル兵1名を死亡させ,警官6名,兵士1名を負傷させる事件が発生した。これに対し,イスラエルは自衛行動と称して67年中東紛争以来最大といわれる武力攻撃をレバノン南部地域に行なつた。
本事件について2月26日より28日まで安保理が開かれたところ,ソ連はイスラエルに対し憲章第7章にもとづく措置をとることを示唆し,英,イタリア,ベルギー,仏等はイスラエルの行動を過剰防衛として非難,わが国は両国国境両側にUNTSO(国連パレスチナ休戦監視機構)監視員の配置を事務局において検討することを示唆した。
討議の結果,イスラエルに対してレバノンに対する軍事行動を即時停止し,レバノン領土からその軍隊を撤退せしめることを要求する決議313を全会一致採択した。