「えひめ丸」衝突事故の概要
平成14年2月28日
1.経緯
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平成13年2月10日(日本時間)、ハワイ州オアフ島沖で愛媛県宇和島水産高等学校の練習船「えひめ丸」(35名乗船)が、緊急浮上した米原子力潜水艦「クリーンビル」に衝突され沈没、乗員35名中9名(内高校生4名)が行方不明。
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米側はブッシュ大統領より森総理(当時)、パウエル国務長官より河野外務大臣(当時)に電話で謝罪した他、大統領特使ファロン海軍大将が大統領親書を携行して来日(2月27日~3月1日)し、愛媛県も訪問(2月29日)。米国はあらゆる面での責任を認めている。
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政府はホノルルに櫻田外務大臣政務官(当時)(2月10日~26日)、次いで望月外務大臣政務官(当時)(2月23日~3月1日及び3月5日~21日)を派遣、陣頭指揮。また、2月15日より同19日まで衛藤副大臣(当時)をワシントン及びホノルルに派遣。 |
2.ファーゴ太平洋艦隊司令官による決定
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平成13年3月5日から20日まで審問委員会開催。海上自衛隊の小澤海将補がアドバイザーとして参加。
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4月24日、ファーゴ太平洋艦隊司令官は同委員会の勧告を踏まえ処罰、民間人乗船プログラムの見直し指示等を発表し事故原因等に関する審問委員会の報告書も公表。ワドル元艦長は司令官による処罰により、統一軍法典の規定に違反し有罪とされた。
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その他2名(哨戒長、火器管制官):司令官による処罰、4名:行政処分。
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民間人乗船プログラムの見直しを指示。
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3.引き揚げ
(参考)引き揚げ及び船内捜索・回収作業に際しての日本政府としての協力
- 海上自衛隊潜水艦救難艦及び同ダイバーの派遣
潜水艦救難艦「ちはや」及び海自ダイバーを派遣(8月10日~12月16日)し、ROV等による沈没海域周辺の海底の捜索、ダイバーに対するビデオ映像を介しての助言及び米海軍の船内捜索終了後の最終確認としての船内捜索を実施。
- 深海調査研究船「かいれい」及び無人探査機「かいこう」の派遣
船体を引き揚げる際の海底への落下物を調査するために海洋科学技術センターの深海調査研究船「かいれい」及び無人探査機「かいこう」を派遣。
- 技術オブザーバー2名の派遣
サルベージ船に乗船するオブザーバーとして専門家2名を派遣。
- 司令部への公式オブザーバー派遣
船体の引き揚げ及び移動に際して、米側との連絡を更に緊密に行うため、佐藤外務省海洋室長(当時)を引き揚げ司令部への日本側公式オブザーバー兼リエゾンとして、また、専門家1名を公式オブザーバーのアドバイザーとして派遣。
4.補償問題
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米国の補償制度
●請求の方法としては、米海軍との示談による解決と米司法省に対する訴訟の2つがある。
●訴訟が提起された場合、米海軍は、示談による解決する権限を失う。
●米海軍との示談の場合には、海軍側に、請求権者1名につき100万ドルの支払限度額があり、これを上回る場合には米連邦議会の承認が必要。
●事故発生から2年以内に、米海軍との示談による解決を完了するか、訴訟を提起する必要あり。
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弁護士の選任
35名の関係者のうち33名(犠牲者9名の家族のうち7家族、及び救出者26名の全員)及び愛媛県は、平成13年6月までに丸の内総合法律事務所を選任。行方不明者の残りの2家族は、平成13年5月、「えひめ丸被害者弁護団」を選任。それぞれに米海軍との交渉を開始。 |
5.合同慰霊式の開催及び慰霊碑の建立
(1)えひめ丸事故犠牲者合同慰霊式
平成14年1月10日、愛媛県は宇和島で「えひめ丸事故犠牲者合同慰霊式」を開催。小島前外務大臣政務官、中谷防衛庁長官、岸田文部科学副大臣、ベーカー在日米大使、藤崎外務省北米局長、チャップリン在日米海軍司令官他が参列。
(2)慰霊碑の建立
御遺族等の要望を受け、愛媛県はホノルル及び宇和島での慰霊碑の建立を決定。事故発生一周年となる平成14年2月10日(日本時間)、愛媛県等はホノルルで「えひめ丸慰霊碑除幕式」を開催。被害者9遺族25名、救出者4家族8名、植竹外務副大臣、ウィラード太平洋艦隊副司令官、加戸愛媛県知事、カエタノ・ハワイ州知事他が参列。なお、宇和島での「えひめ丸慰霊碑除幕式」は同月22日、宇和島水産高等学校において開催。
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