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最近のペルーの情勢

平成9年5月
外務省中南米第一課
基礎データ
〇人口 2,264万人(93年7月国勢調査)
〇面積 約129万km(日本の約3.4倍、南米ではブラジル、アルデンティンに次いで3番目の大きさ)
〇人種 インディオ47%、混血40%、欧州系12%、東洋系1%
[政治]
○政体及び独立年 立憲共和制  1821年
○元首  大統領(アルベルト・ケンヤ・フジモリ・フジモリ)、任期は5年、一期のみ連続再選可能(93年憲法)(憲法解釈法の成立により、「フ」大統領は、現憲法により選出された一期目の任期と解釈されたことになり、2000年の大統領選挙への出馬可能)
○議会 一院制(120議席)
○主要政党及び議員数
 (97年通常国会)
新多数運動・カンビオ90(MNM・C90 与党)………………………70
ペルー統一運動(ペレス・デクエヤル前国連事務総長が設立) ……15
アプラ党………………………………………………………………………8
人民行動党・民主結集運動、キリスト教人民党・革新運動…………各6
○政府 首相兼鉱山・エネルギー相(アルベルト・パンドルフィ、96年4月就任)、
外相(フランシスコ・トゥデラ、95年7月就任)
[経済]
〇GNP 550億ドル(1995年/世銀)
〇一人当りGNP 2,310ドル(1995年/世銀)
〇GDP成長率 90年:-4.9%、91年:2.4%、92年:-2.9%、93年:7.0%、94年:12.7%、95年:6.9%、96年2.8%(「ペ」統計院)
〇失業率 7.2%(1995年5月)、46%(不完全失業率、1995年5月ペル-労働省、新算定方法に基づく)
〇物価上昇率 90年:7,649%、91年:139.2%、92年:56.7%、93年:39.5%、94年:15.4%、95年:10.2%、96年:11.9%(「ペ」統計院)
〇貿易額 輸出 55億72百万ドル、輸入76億88百万ドル(1995年/ペルー中銀)
〇為替レート 1米ドル=2.60ヌエボ・ソル(自由市場レート、1997年4月末)
〇債務残高 274億88百万ドル(1995年末/ペル-中銀)
○外貨準備高 79億ドル(1995年末/ペルー中銀)
  

フジモリ政権誕生後の動向

●ペルーの経済的・社会的破綻とフジモリ政権の誕生

 1.
前政権の負債:ガルシア前政権(1985-90年)は、経済政策の失敗により、ハイパーインフレ(90年:7,649%)、景気の後退(経済成長率90年:-4.9%)、さらには、累積対外債務及び右債務未返済による国際金融社会との関係悪化等に象徴される深刻な経済危機を招致。汚職及び腐敗の横行、テロ多発(80年以降のテロによる死亡者は約2万8千名、物的被害総額は推定250億ドル)、麻薬の原料となるコカ葉栽培と密輸業者及びテロ組織の結託により社会不安と国際社会の憂慮が増大。

 2.
フジモリ大統領の誕生:このような経済・社会不安を背景に実施された90年の大統領選挙では、大衆の支持を基盤に日系二世アルベルト・フジモリ氏が大統領に当選。

●第一期フジモリ政権の国家再建努力とその成果

 1.
国内経済再建に成果:(1)経済安定計画、(2)構造調整政策(統制価格の自由化、複数為替レートの単一自由相場制への移行、財政健全化のため課税・徴税の強化と財政支出の削減、貧困救済のための緊急社会計画の実施等)、(3)対外経済関係の自由化及び 行財政改革を通じ、経済成長(96年GDP成長率:2.8%)インフレの抑制(96年:11.9%)、財政赤字の削減(対GDP比:90年-3.9%→95年-2.1%ペル-中銀)等着実な成果。

 2.
国際金融社会への復帰:(1)日米のイニシアティブによりペルー支援国グル-プが結成され、国際収支赤字を手当する金融支援を実施。(2)日米の協力(ブリッジロ-ン)によりIMF・世銀の延滞を解消。(3)公的対外債務については96年4月~98年12月の期間につきリスケ合意、リプロファイルも行われリスケから卒業。対民間銀行団債務についても、97年ブレイデイプランを適用し民間債務問題解消。

●憲法停止措置の発動と民主化への復帰、治安情勢の好転

 1.
憲法停止措置:92年4月フジモリ大統領は国家再建をより強力に推進するため、憲法一部一時停止措置を発動。国際社会は右措置を非難し、民主体制復帰を強く要求。多数の国が援助を停止。

 2.
我が国の外交努力:右措置に対し、我が国は総理メッセ-ジ等を通じて民主化の必要性を強調。5月フジモリ大統領は、米州機構(OAS)特別外相会合に出席し、民主制憲議会(国会としても機能)選挙の実施を含む民主化復帰案を発表。我が国は右選挙のために、(1)選挙制度調査のためトーレス元首相を招聘、(2)選挙用コンピューター機材供与と研修員の受入れ、(3)3名の選挙オブザーバーをOAS選挙監視団に派遣し(93年の国民投票及び95年の大統領選挙にも派遣)、(4)OAS選挙監視団派遣費用を拠出。

 3.
民主化の進展:92年11月制憲議会選挙をOASの監視の下に民主的・平穏裡に実施。同議会が採択した新憲法は93年10月国民投票で承認され、同年12月31日発効。民主化に一区切り。

 4.
治安情勢:92年にテロ組織センデロ・ルミノソ(SL)の首領グスマン及びトゥパク・アマル革命運動(MRTA)の首領ポライを逮捕する等の成果をあげ、テロ組織は壊滅状態にあると見られていた。しかしながら、MRTA残党は麻薬組織と癒着及び企業家誘拐等で資金を確保し、96年12月17日、我が国大使公邸占拠事件を起こした(この他に、我が国大使館も3回に亘り爆弾攻撃を受けている。)

●フジモリ大統領再選と第二期政権の課題(失業・貧困対策)

 1.
再選:93年新憲法により連続再選が可能となったフジモリ大統領の他、対立候補としてペレス・デクエヤル前国連事務総長他計14人が立候補。95年4月、大統領選挙が行われ、第1期フジモリ政権の実績が評価されフジモリ大統領が圧勝(フジモリ大統領得票率64%、ペレス・デクエヤル氏22%)。また同日の国会議員選挙においても与党(カンビオ90・新多数運動)が過半数を獲得。7月28日(独立記念日)大統領就任式実施。96年8月、大統領の3選を可能にする憲法解釈法が国会で可決。

 2.
今後の課題:(1)国民の関心は、従来のインフレ、テロから失業対策、貧困等の社会問題に移行(94年の貧困層は48%)。現在、学校建設、輸送、インフラの整備等を推進中。(2)行政インフラの整備(持続的な経済・社会開発を遂行するため、各分野のテクノクラ-トによるきめの細かい対応が必要)。

(3)エクアドルとの国境問題(95年1月、武力衝突)の根本的解決(同年7月に非武装地帯設置)にむけ、両国軍司令官会議及び合同委員会会合を開催。97年4月、二国間協議の開催を定めたサンティアゴ合意に基づき実質交渉協議開始(於:ブラジリア)。

●我が国大使公邸占拠事件

96年12月17日、我が国大使公邸で開催されていた天皇誕生日祝賀レセプションをセルパ(最高幹部の一人)を含むMRTA残党が襲撃し、人質600名以上を取り占拠した。97年4月22日、140名からなる特殊部隊の強行突入で、日本人24名を含む72人の人質の内1名の死者を出したが、71名を無事解放、事件は終結した。


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