1.氏名 |
ライセニア・ガラセ (Laisenia Qarase) |
2.生年月日 |
1941年2月4日 |
3.出身地 |
ラウ県ヴァヌアンバラヴ |
4.学 歴 |
1963-66年 |
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オークランド大学(商学士取得) |
1969-70年 |
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英国協同組合カレッジ(協同組合開発ディプロマ取得) |
1975年 |
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オークランド工科大学 |
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5.職 歴 |
1959-66年 |
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フィジー系問題評議会 |
1967年 |
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公務員(協同組合部局内を歴任) |
1978-79年 |
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大蔵次官補 |
1979-80年 |
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商工次官 |
1980-83年 |
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人事院次官 |
1983-97年 |
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フィジー開発銀行総裁 |
97-00年7月 |
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フィジー商業銀行総裁 |
2000年7月 |
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暫定首相兼国家調停統一大臣 |
2001年3月 |
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暫定首相兼国家調停統一大臣 |
2001年9月- |
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首相兼フィジー系問題担当大臣 |
2002年9月- |
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文化遺産大臣、国家調停統一大臣、情報・メディア大臣を兼務 |
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6.家族構成 |
レンバ(Leba)夫人との間に5子(4男1女) |
7.訪日歴 |
1980年代(フィジー開発銀行総裁時代)に2度訪日。2002年4月、日・フィジー間の直航便が増便されたことを記念して訪日した。 |
8.趣 味 |
ウォーキング、釣り |
9.使用言語 |
英語、フィジー語 |
10.横 顔 |
フィジー系のエリートを多く輩出しているラウ県ヴァヌアンバラヴ島出身。二人兄弟の長男。父親は兵士だった(既に他界)。中学校からは首都スヴァで学び、ニュージーランド、英国への留学経験を持つ。20代後半より、協同組合関係部局を歴任、30代後半で大蔵次官補に任用される。商工次官、フィジー開発銀行総裁等の経験からフィジーの財界人からは一目置かれる存在であり、政治的に中立な立場を取っていたことから、2000年5月の政治危機の際にはこれらの点を買われ、暫定首相に選出されたと言われている。フィジー・テレビ有限会社の初代会長(1985年~86年)をはじめ、様々な企業の役員を務めている。華々しい経歴にも関わらず、謙虚で控えめな人柄。 |