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中東和平の現状と今後の見通し


平成15年4月


2.推移

(1) パレスチナ・トラック

93年以降のオスロ合意を始めとする和平諸合意の結果、現在までにガザ地区(但し入植地が約40%を占める)とヨルダン川西岸の約40%がパレスチナ自治区となっている。

最終地位交渉の主要論点は、1)領土(入植地の扱いを含む)、2)エルサレムの地位、3)難民。2002年7月には、クリントン米大統領の仲介により、バラック首相・アラファト議長との間で上記主要論点に関する踏み込んだ交渉が行われた(キャンプ・デイヴィッド首脳会談)。

2000年9月、シャロン・リクード党首がエルサレム旧市街の「神殿の丘」を訪問したことを契機として、イスラエル・パレスチナ間に衝突が発生

2001年1月、米国では中東和平に積極的な取り組みをみせてきたクリントン大統領に代わってブッシュ政権が発足、また、3月にはイスラエルでシャロン首相の政権が発足。

2001年5月、事態収拾のためのイニシアティヴとして、シャルム・エル・シェイク首脳会談(2000年10月)において設立された事実調査委員会が、暴力の停止、信頼の回復、交渉再開の三部分からなる提案を含む、所謂ミッチェル報告書を米政府に提出。同年6月にパウエル米国務長官が現地入りし仲介を行った結果、ミッチェル報告書の履行に関し両当事者間に合意が成立。また、同月、テネット米CIA長官は現地入りし、双方から治安協力等に関する作業計画への合意(所謂テネット了解)を取り付けた。しかしながらその後も暴力の悪循環は継続し、同報告書の履行には至らず。

(イ) 暴力の激化、アラブ和平提案(2001年11月~2002年5月)

2001年11月末より12月中旬にかけて、パレスチナ過激派による自爆テロ、乱射事件が連続して発生、これを受けて、イスラエルはパレスチナ暫定自治政府(PA)関連諸施設に対する軍事攻撃を行うと共に、PAをテロ支援団体と認定、またアラファト議長とのコミュニケーション断絶を決定する等、現行の和平交渉の枠組みであるオスロ・プロセスは崩壊の危機に直面。

2001年12月16日、アラファト議長は、国際社会の圧力を受け、自爆テロを含むあらゆる武装闘争の禁止を宣言、以降、テロ件数は減少し、事態には一時沈静化が見られた。しかし、1月6日、PA向けの武器密輸船とされる輸送船がイスラエル軍により拿捕される事件が発生、更に1月9日ハマスによるイスラエル軍陣地に対する襲撃事件、17日にはPLO主流派ファタハの武装組織による乱射事件が発生、これに対し、イスラエル軍はPAのテレビ・ラジオ放送局の爆破、西岸のパレスチナ自治区の占拠、過激派摘発作戦を実施する等、再びテロとイスラエル側報復が激化。

2002年2月、サウジアラビアのアブドッラー皇太子が、イスラエルの占領地からの撤退を条件にアラブ諸国によるイスラエルとの関係正常化を提案した(アブドッラー提案)。これを受け、アラブ諸国においては、3月27、28日、アラブ首脳会議においてアブドッラー提案を基にアラブ和平提案を採択。

しかし、同3月末には大規模な自爆テロが連続して発生、これに対してイスラエル軍はパレスチナ自治区への大規模な侵攻を行い、ラマッラではアラファト議長府を包囲し、自治区の主要8都市のうち7都市を制圧した。これに対し国際社会は4月4日、国連安保理決議1402号をもって即時の停戦を両当事者に要請。またアラブ各地では、反米、反イスラエルのデモ活動が頻発。その後、4月6日、アラブ緊急外相理事会は、イスラエルのパレスチナ自治区への侵攻及び、アラファト議長監禁を強く非難し、米国のイスラエル支持の政策を非難する最終声明を採択。

同4月19日、国連安保理は、ジェニン難民キャンプでの出来事を調査する国連による調査団の派遣を歓迎する決議第1405号(米国による提案)を可決したが、イスラエル側が受入に合意せず、5月2日調査団は解散。5月6日、緊急特別総会においてイスラエルの自治区への攻撃を非難し、ジェニン難民キャンプに関する国連事実調査団に対するイスラエルの協力拒否を非難する決議を採択(日本は棄権)。

米国は、9.11テロ後の2001年11月19日、パウエル国務長官が外交演説で、中東和平進展に向け積極的関与を行っていく旨の決意を表明し、以後停戦実現のためズィニ特使を現地に派遣(2001年11月26日-12月14日、2002年1月3日-7日、2月14日-)し、仲介努力を行ったが、停戦合意には至らず。

同4月中旬、イスラエル軍は上記7都市から一旦撤退を実施し、包囲を継続していたラマッラの議長府については、5月2日、米の仲介案を両当事者が受け入れ、アラファト議長の監禁を解除した。また、ベツレヘムの「聖誕教会」内部に立てこもっていた武装パレスチナ人をめぐりイスラエル軍の包囲が続いていたが、5月10日、内部の過激派13人がキプロスに移送され(欧州7カ国が受け入れに合意)、包囲は解除された。

同5月2日、ワシントンにて米、EU、国連、ロシアの四者による外相級会合を開催。治安、人道・経済復興、和平交渉の加速化の3つのプロセスを同時並行的に進めることが必要であり、これらを議論するための国際会議を夏の早い時期に開催することで合意した。

同5月7日、ブッシュ大統領は訪米したシャロン首相との会談後、パレスチナが憲法、法の支配及び透明性を発展させる必要がある旨発言。同月、バーンズ国防次官補がPA改革及び政治プロセス再開に向けた協議のため、またテネットCIA長官が治安機構の再編を含む治安の回復のため、それぞれ現地訪問。

(ロ) パレスチナ改革への動き、ブッシュ大統領演説、イスラエル内政(2002年5月~)

同5月15日、アラファト議長はパレスチナ立法評議会において演説を行い、一般市民に対する攻撃を非難すると共に、選挙の実施及び治安・行政機関の改革の意思を示した。これを受け、17日、パレスチナ立法評議会はパレスチナ改革案を公表。また23日、アラファト議長は自治政府長官、及び評議会選挙をこの冬に、地方議会選挙も年内に行う旨発言し、29日、パレスチナ基本法に署名した。さらに6月9日、パレスチナ暫定自治政府は内閣改造を実施した。

同6月24日、ブッシュ大統領は演説を行い、新指導部の選出を含むパレスチナ改革、暫定的な国境及び主権を有するパレスチナ国家の樹立と、3年以内の最終合意を目指すと共に、イスラエルには自治区からの撤退、入植活動の停止を求めることなどを柱とする米政府の新たな中東和平方針を発表。

同6月26日、エラカート地方自治庁長官は2004年1月の自治政府長官及びパレスチナ立法評議会の選挙、同3月の地方選挙の実施や、三権の分立、治安組織を含む諸省庁の改変等を今後の100日間で実施していくための計画を提示。

上記改革案を受け、同7月10日、ロンドンにおいてパレスチナ改革支援のためのタスクフォース第1回会合が開催された(米、日本、国連、露、EU、ノルウェー、世銀、IMFが参加)。7月16日に開催された四者閣僚会合(米、EU、国連、露外相が参加)においてもパレスチナ改革を推進するとの方針が確認された。更に、第2回タスクフォース会合(8月22,23日)では、パレスチナ選挙及び改革への国際社会の取組につき議論された。

同7月18日、サウジ、エジプト、ヨルダンの3国の外相等が訪米し、ブッシュ大統領、パウエル国務長官等と会談。さらに9月17日、ニューヨークにて開催された四者閣僚会合にて、ブッシュ大統領演説にて示された3年以内のパレスチナ国家樹立に向けた3段階の取組を求める共同声明を発出。

同7月9日、イスラエル政府は2000年9月以降実施していたパレスチナ自治区からの税収の送付に対する凍結を解除する旨閣議決定。20日、ペレス外相は、エラカート地方自治庁長官やアルヤヒヤ内相らと会談。治安に責任を持つことを条件にベツレヘム、ヘブロンからの撤退を提案し、8月19日、ベツレヘムからの撤退が開始された。

同9月9日、イスラエル軍の侵攻により長く休会していたパレスチナ立法評議会が再開し、11日に新内閣を提示。しかし議会の了承を得られないとの見込みから、内閣は総辞職。10月29日、アラファト議長は再度新内閣を議会に提示し了承された。これにより、当初31あった長官職を19まで削減。

同10月30日、2004年度予算案における入植地、福祉予算を巡る対立により労働党が政権を離脱。シャロン首相はモファズ前参謀相、ナタニヤフ元首相をそれぞれ国防相、外相に指名、クネセット(イスラエル国会)を解散し、翌03年1月28日に総選挙が行われ、リクード党が大差で勝利をおさめ、シャロン首相の継続が決定された。2月28日、リクードを中心とする、国家宗教党(宗教)、シヌイ(世俗)、民族統一(極右)からなる連立内閣が成立。閣僚については、外務大臣にシャローム前財務相、財務大臣にネタニヤフ前外相が就任。

3月18日、パレスチナ立法評議会で、首相職の設置を含む憲法改正が審議され、アラファト議長の受諾を得て、首相職設置が決定され、アブ・マーゼンPLO執行委員会事務局長(マハムード・アッバース)氏あてることを全会一致で承認した。これを受け、アラファト議長は翌19日、同氏を首相に使命(3月14日、ブッシュ米大統領は、パレスチナ自治政府における実質的権限を有する首相の任命の後に、ロードマップを提示すると述べた)。

(ハ) 暴力の激化(2002年7月~)

同7月23日、イスラエルのF16戦闘機がガザ地区を空爆し、パレスチナ過激派ハマスの軍事部門「カッサム旅団」のシャハダ司令官他一般市民を含む12名が死亡、90名以上が負傷。

上記イスラエルによるガザ空爆に対する報復として、7月31日、エルサレムのヘブライ大学食堂で爆弾テロが発生(7名死亡、90名以上負傷)。続いて8月4日、イスラエル北部の路線バスで自爆テロが発生(9名死亡、50名以上負傷)。(いずれも「カッサム旅団」が犯行声明)。

同9月18,19に連続した自爆テロ(18日、於:ウムエルファアム、イスラエル人1人死亡、19日テルアビブ走行中のバス、少なくとも5人死亡、60人以上負傷)を受け、19日以降イスラエル軍がラマッラのパレスチナ自治政府議長府周辺を包囲し、議長府爆破を予告、同時に行われた侵攻や、デモ鎮圧等により、パレスチナ人多数が死亡。29日、国際的圧力もあり包囲が解除された。

同10月21日、ハデラ付近を走行中の路線バスに対する自爆テロにより犯人を含め少なくとも14人が死亡、50人以上が負傷。これに対し、イスラエル軍が、右自爆テロの犯行声明を行った「イスラム聖戦」の拠点であるジェニンに侵攻。これに対し、11月9日、イスラエル軍が「イスラム聖戦」のイヤド・サワルハを殺害。

同11月4日、イスラエル中心部のショッピングセンターで自爆テロと見られる爆発により犯人を含む3人が死亡、30人が負傷。更に同月10日、イスラエル領内のキブツに侵入した武装パレスチナ人が銃を乱射し、イスラエル人5人を殺害。これに対し、パレスチナ側は事実調査団による捜査を行っているが、イスラエル軍は12日未明、近郊のトウルカレムに装甲車30両で侵攻。更に13日未明には、ナブルスに戦車約100両で侵攻。さらに同21日早朝、エルサレム近郊を走行中のバスに対する自爆テロが発生、少なくともイスラエル側市民11名が死亡、45名が負傷。「ハマス」が犯行声明を行った。その後もイスラエル軍の自治区での過激派の殺害、軍事行動は継続、12月6日には、ガザ中部に戦車等で侵攻、パレスチナ人10人が死亡、15人が負傷。

同12月20日、四者協議(米、露、EU、国連)がワシントンにて開催され、協議終了後、イスラエル、パレスチナ間の即時停戦等を求める声明が発表された。しかし、「ロードマップ」の公表は行われなかった。

同12月22日、パレスチナ自治政府は、現下のイスラエルによる厳しい封鎖と軍事行動に鑑み、2003年1月20日に予定されていた自治政府の議長選挙と立法評議会選挙の無期限延期を決定した。

2003年1月5日、イスラエルのテルアビブ近くで2回の自爆テロが発生し、犯人2人を含む25人が死亡、約130人が負傷。事件後、PLO主流派ファタハの軍事部門「アルアクサ殉教者旅団」が犯行を認めた。これを受けて同日、イスラエル軍はガザ市内の標的に少なくとも3発のミサイルを発射。加えて、憲法起草のため開催が予定されていたPLOの意思決定機関である中央委員会(PCC)の開催を認めないとともに、近くロンドンでのパレスチナ改革に関する会議へのパレスチナ側からの出席を認めないことを閣議にて決定。PCCは9日に開催されたが、議決に必要な数の議員は出席できず。またロンドンでの会議にはパレスチナ側からの出席はできず、テレビを通じた出席となった。

3月5日、イスラエル北部のハイファ市で路線バスに対する自爆テロが発生し、17名が死亡し、53名以上が負傷。ハマスが犯行声明を出した。

(2) シリア・トラック

 シリア・トラックでは、99年12月、ワシントンにおいて、バラック首相とシャラ・シリア外相の間で約4年振りに交渉が再開したが、その後交渉は中断。ハーフェズ・アサド大統領が2001年6月に突然逝去した後のバッシャ-ル・アサド大統領の下では、イスラエルとの交渉は再開されていない。最近では、2002年1月末、ベン・エリエゼル国防相(当時)がイスラエルはシリアとの和平交渉を行う用意がある旨述べたが、シャラ外相はこれを拒否する旨発言。

(3) レバノン・トラック

 2000年5月、イスラエル軍は78年から「安全保障地帯」として占領を続けてきた南レバノンから撤退。同年6月、国連安保理はイスラエルによる安保理決議425の実施を確認した。しかし、イスラエルが未だ撤退していないシェバア農場の帰属を巡り、イスラエルとレバノンの間で見解の相違が引き続き存在しており、2002年に3月末以降、ヒズボラのカチューシャ・ロケット、迫撃砲等の攻撃とそれに対しイスラエル軍が応戦する等、ヒズボラとイスラエル軍との間で一時期緊張が高まったが、各国の両当事者への自制働きかけもあり、現在は小康状態となっている



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