フレイ大統領の横顔
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- 小・中・高等学校は、実父も学んだカトリック系の名門インスティトゥート・デ・ウマニダーデス・ルイス・カンピーノ校に入学。1950年の中学校時代は、エルビス・プレスリーの熱狂的なファンで、週末には同級生と翌朝遅くまでロック・アンド・ロックを踊ったと言われる。
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- その後のフレイの政界進出までの軌跡は、従来のチリ政治家と全く異なり、大学では水力学を専攻したエンジニアであり、職業もプラント建設関係のイタリア企業及びダム建設関係の会社で働く等電力及び工業分野における企業家としての道を歩み、実父が元大統領であったにも関わらず、むしろ政治を避けた生き方を選んだと見られていた。
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- このような職歴を持つフレイが政界に身を投じたことには、1982年のエドゥアルド・フレイ・モンタルバ元大統領(1964~70年)の死が大きく作用したと言われる。ただし、フレイは、雄弁でカリスマ性を有し大衆を演説で引き付けた父とは違い、性格的には無口で内向的、また非常に几帳面であり、政治手法も父とは全く異なり、「グループ作業と政治の効率」を重視する政策をとっている。かかる姿勢は、フレイ自身が述べている「父が30年前にとった政策を今日の世界に適用できない。」という認識に基づいていると見られる。政治スローガンとしては、(1)党(PDC)の革新、(2)(トップではなく)中堅層の合意尊重、(3)(政党を離れ)専門家と技術者との接触を挙げる等、新しい政治スタイルをとっている。
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- 性格及び政治スタイルが全く異なる父子であるが、顔形、風格が非常に似通っているため、国民は今でも父の元大統領をよく覚えており、その息子に対しても親近感を感じていることが政界で活躍する上で有利に働いているとの見方もある。大統領選挙戦における野党側候補とのテレビ討論会等においても、次第に風格が出てきたと言われており、雄弁ではないにせよ、重厚さがプラスのイメージを与えていると見られている。
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- プライベートの生活では、極めて信心深く、サン・クリストーバル聖母マリア協会で姉婿エウヘニオ・オルテガ下院議員の兄弟のミゲル・オルテガ神父(ルイス・カンピーノ高等学校校長)が主宰するミサに必ず家族と共に出席。また、家庭を大切にし、夏季休暇を家族と共に中部サント・ドミンゴ海岸(1967年に建設)と南部プコン湖岸の別荘で過ごすことを習慣としている。