カルドーゾ・ブラジル連邦共和国大統領の横顔
- 1.
- もともと社会学者としても著名であり、多数の著作、論文有り(代表的著書としては、「ブラジル南部における奴隷制度と資本主義」、「ラ米に於ける従属と発展」がある)。軍事政権時代、チリに亡命していたことがある(1964ー68年)他、米国スタンフォード大学、英国ケンブリッジ大学、仏パリ大学で教鞭を執ったこともあり、英語、仏語、スペイン語を流暢にこなす。
- 2.
- 1978年にサンパウロ州から上院補欠議員に当選、1983年から上院議員に就任、以後、外相、蔵相を歴任した後、94年10月の大統領選にブラジル社会民主党(PSDB)から出馬し、第一回投票で有効投票の54%を獲得して当選、任期は1998年まで。蔵相時代にレアル・プランを実施し、インフレの抑制に効果的であったことが、大統領選に於ける勝利の原因と言われている。
- 3.
- フッチ夫人との間に1男2女あり。フッチ夫人も人類学者として著名であり、その博士論文(「家族構成と社会移動ーサンパウロ州在住日本人についての研究」)はブラジルに於ける日系人社会の歴史的変遷を分析したものである。この論文は95年6月に日伯百周年記念行事の一環として、日本語及びポルトガル語で出版されている。