(1) 概要
1991年12月、ソ連の解体とともに独立国家となったものの、独立以来続いてきた反政府勢力との内戦は、1994年9月に暫定停戦合意が達成され、国連タジキスタン監視団(UNMOT:UN Mission of Observers in Tajikistan)及びCIS合同平和維持軍が停戦監視にあたってきた。1996年12月には「和平協定」が署名され、1997年6月、これを具体化するため国連、ロシアなどの仲介のもとで行われていた交渉が決着し、政府・反政府勢力の和解に関する最終合意が得られた。1998年7月、和平の監視に当たっていた秋野豊政務官を含む国連タジキスタン監視団4名が殉職する事件が発生するなど、不安定な情勢が続き、合意の履行は大幅に遅れていたが、2000年2月及び3月に議会選挙が実施され、和平プロセスは一応の完了をみた。我が国はタジキスタンの和平構築に寄与すべく、1999年3月から3次にわたり、同国紛争の政府側・反政府側双方の参加のもと、東京で「タジキスタン民生化セミナー」を主催した。
また、1994年にタシケントにおいて国連主催で第一回タジキスタン支援国会合(CG会合)が開催され、1996年に東京にて開催された同会合以降は世界銀行主催により、1998年にはパリ、2001年には東京、2003年5月及び2004年11月にはドゥシャンベで開催されており、2002年に完成した貧困削減戦略文書(PRSP:Poverty Reduction Strategy Paper)に基づき、各国ドナーや国際機関他、国際社会の協力支援のもと、民主化市場経済化による国づくりが行なわれている。
タジキスタンの中心となる産業は、アルミニウム生成・加工、並びに綿花をはじめとする農業である。ただし、アルミニウムの原料であるアルミナは主にウクライナから輸入されている。綿花については旧ソ連諸国全体の約10%を生産している。また、鉱物資源も亜鉛、スズの他ウラン、ラジウム等の希少金属の鉱床を有している。これまで、ソ連の崩壊、内戦により生産の大幅な低下をはじめとする深刻な経済停滞に悩まされてきたが、政府発表によれば、2002年のGDP成長率は9.5%と2001年(10.2%)、2000年(8.3%)に続き高成長率を維持しており、国際社会の支援を得て市場経済と民主主義に基づいた国づくりを行っている。他方、失業は未だ大きな社会問題となっている。
(2) 貧困削減戦略
(イ) 貧困削減戦略文書(PRSP:Poverty Reduction Strategy Paper)
同文書は2002年6月に完成。国家政策の中心的な課題として貧困削減を掲示。戦略目標として、①輸出重視による労働集約経済型経済成長の促進、②基礎的社会サービスの提供、③最貧困層の支援、④行政の効率化と治安の改善の4項目を掲げている。
(ロ) 公共投資計画(PIP:Public Investment Program)
2003年に改正。政府は国家経済におけるPIPの役割を明確にした。政府は民間セクターの活動促進ための環境整備を目的とし、民間セクター活動拡大が国家経済における所得の創出および貧困削減に貢献するとした。政府は、商業活動への直接的な関与や家予算による支援を行わず、インフラ、教育、保健医療、環境、公共サービスを優先分野とする公共セクターへの投資に努めるとした。