II 南西アジア地域


1.概   説

(1) 南西アジア地域は、地理的に、東のアラカン山脈、西のヒンドゥークシュ山脈、北はヒマラヤ山脈に囲まれた地域を指し、バングラデシュ、ブータン、インド、モルディブ、ネパール、パキスタン、スリランカの7ケ国から構成される。地域の総人口は、13億人以上で世界人口の約5分の1を占め、1,500以上の言語を有する多種多様な民族を有する。また、ヒンドゥー教、イスラム教、シーク教、仏教、キリスト教等の多数の宗教と文化を抱える多様性に富んだ地域であり、過去、偉大な文明や文化を生み出した。
(2) その一方で、5億人以上の貧困層を抱える世界で最も貧しい地域の一つである。総人口の大きさに比べて、国内総生産の総額は世界全体の約2%にとどまるなど経済活動・所得水準は低く、また、貧困や多様性に起因する社会問題、政治問題等不安定要因も多く内包している。
 観光・漁業に依存するモルディブを除き、各国とも農業を主要産業としており、経済状況は、自然環境の影響を受けやすい。貿易は、各国の工業化の進展の度合いにも依るが、概ね農産物等の一次産品や繊維製品等の軽工業製品を輸出し、原油や工業製品を輸入するという構造をもつ点で、一次産品価格等の国際経済の動向に左右されやすいという脆弱性を有しており、輸入超過による恒常的な貿易赤字、経常収支赤字を抱えている。
 しかし、近年、77年より自由化を進めていたスリランカに続き、インド、パキスタン、バングラデシュ、ネパールも経済の自由化・規制緩和等の経済改革の実施に積極的に取り組んでいる。特に、インドでは、91年以降の経済改革への本格的な着手以降、90年代中盤に3年連続で7%を超えるGDP成長率を達成したばかりでなく、ITソフトウェア産業の急成長など、その経済成長は著しく、巨大市場を有するインド市場への注目が集まっている。
(3) 政治・外交面では、インド・パキスタン対立が同地域の不安定要因として存在している。カシミール問題を抱え、3度にわたり戦火を交えたインド・パキスタン関係は、対話の再開と中断が繰り返されている。最近では、98年5月の核実験による両国間の緊張の高まりが懸念されたが、99年2月には、パキスタンのラホールで印「パ」首脳会談が開催され、「ラホール宣言」が発出される等関係改善の機運が高まった。しかし、同年5~7月に発生したカルギルでの戦闘(注:カシミール地方の管理ラインを越えてインド側に侵入した武装勢力をインド軍が掃討した事件)により両国関係は再び悪化し、その後同年10月に起こったパキスタンにおけるクーデター事件等もあり対話再開の目途が立たないまま推移した。
 その後、2001年7月、バジパイ・インド首相の招請により、ムシャラフ・パキスタン大統領がインドを訪問し、首脳会談が開かれた。しかし、カシミール問題の取り扱いに関する双方の立場に隔たりが大きく、具体的な成果は得られなかった。
 2001年9月の米国同時多発テロ以降、アフガニスタン情勢の急速な悪化の影響を受け、南アジア情勢が流動化していくなか、2001年12月、武装グループがインド国会を襲撃する事件が発生した。インドは、この事件の背後にパキスタンの関与があるとして、同国との軍事的な対決姿勢を強めた。このため印「パ」関係は急速に緊張の度合いを高めた。しかし、2002年1月、ムシャラフ大統領がカシミールの名のもとにおけるものを含め全てのテロ行為は許されないとの立場を明らかにし、国内の主要過激派団体禁止を表明したことから、緊張の緩和が期待されたが、インドはパキスタンの動きを引き続き注意深く見極めるとの立場をとり、対立関係が膠着状態が続いた。

表―1 南西アジア諸国の人口、一人当たりGNP及び我が国との関係
図―1 南西アジア地域


 2002年5月、インド側カシミールにおいて、インド陸軍関係者の家族を狙ったテロ事件が発生したため、印「パ」両国の対立が一層激化し、一触即発の事態を迎えた。このため国際社会では、印「パ」両国間の大規模な軍事衝突の可能性が強く懸念されるに至ったが、米国を中心とする国際社会の緊張緩和に向けた働きかけもあり、6月中旬以降、緊張が若干緩和した。
 その後、カシミール地方における地方議会選挙、パキスタンにおける総選挙の実施を経て、2001年10月、インドはパキスタンとの国境付近に展開する軍の再配置の決定を発表し、パキスタンも同様の措置を講じたため、2001年12月以来の軍事的緊張は緩和された。
 また2003年4月以降、印「パ」両国は、中断されている対話の再開にこそ至っていないが、大使の交換や交通の再開等の措置を発表し、両国関係改善に向けた前向きな動きを見せている。
 また、スリランカでは、約20年間にわたり政府軍と「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」との間で武力紛争が行われていたが、2002年2月にノルウェーの仲介により停戦合意が成立、2002年9月からは和平交渉が行われている。また、2003年6月には、51カ国、22国際機関が参加して「スリランカ復興開発に関する東京会議」が開催され、スリランカにおける和平プロセスの促進に対する国際社会の力強い一致した決意が示された他、「スリランカ復興開発に関する東京宣言」が採択された。
(4) 我が国との関係については、南西アジア諸国はいずれも親日的であり、我が国とは従来より全般的に良好な関係を維持してきている。98年のインド・パキスタン両国の核実験実施を受け、我が国は両国に対する経済措置をとったが、2001年10月には、この措置を停止した。
 最近の主な要人の往来としては、2000年8月の森総理(当時)南西アジア(インド、パキスタン、バングラデシュ)歴訪、2003年1月の川口大臣インド、スリランカ訪問をはじめ、ディペンドラ・ネパール皇太子(当時)(2001年4月)、バジパイ・インド首相(2001年12月)、ムシャラフ・パキスタン大統領(2002年3月)、ウィクラマシンハ・スリランカ首相(2002年12月及び2003年6月)、カーン・バングラデシュ外相(2003年3月)といった要人の訪日が実現した。
(5) 2002年には、インド、パキスタン、スリランカとの国交樹立50周年記念、バングラデシュとは国交樹立30周年を迎え、各種記念行事が催され、南アジア地域諸国との緊密化を更に増すこととなった。
(6) 南西アジア地域は、地域的機関として、南アジア地域協力連合(SAARC)を有している。SAARCは、80年にバングラデシュのジアウル・ラーマン大統領が提唱し、85年12月に発足した。政治的側面を排除し、経済・文化面での現実的な協力関係の構築を目的とするものであり、近年は域内諸国の経済自由化政策の後押しを受け、95年には域内貿易の活発化を目的としてSAARC特恵貿易協定(SAPTA)の下で4回の関税引き下げ交渉を重ねた他、南アジア自由貿易地域(SAFTA)についても2004年1月に予定されるSAARC首脳会談までに条約案文を作成することで合意している。また、我が国として、93年度にSAARC諸国間及び我が国とSAARC間の交流を強化するため、「日本・SAARC特別基金」が設立され、93年度には30万ドル、94年度以降は2001年度まで毎年約50万ドルを拠出した。

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