[8]グルジア
1.概 説
91年12月、ソ連の解体とともに独立国家となった。独立後しばらく混乱が続いたが、95年11月の大統領選挙の結果、元ソ連外相であるシェヴァルナッゼが圧倒的支持を受けて選出され、同時に実施された議会選挙では同大統領の支持派も議会第一党となり、大統領の地位はより安定的なものとなった。2000年4月、シェヴァルナッゼ大統領は圧倒的支持を得て再選された。
同国では西北部のアブハジア自治共和国(イスラム勢力が強い)が独立を宣言、また、北部の南オセチア自治州(少数民族のオセット人が居住)がロシア領北オセチアとの統合を要求したことにより民族紛争が発生した。いずれの紛争も停戦合意がなされているものの、アブハジアでは現在も小規模な衝突が散発している。外交面ではロシアとの関係が強いが、民族問題や武装勢力を巡る対応等で非難の応酬もみられる。また、西側諸国との関係も概ね良好である。
経済面では、元来牧畜、農業を主要産業としており、資源に乏しい。独立直後、GDPが前年比で半減するなど、極端な経済不振に陥る一方、民族紛争を背景とした経済封鎖(特に南オセチア紛争に起因する北オセチアによるガス・パイプライン封鎖)や紛争による多数の難民(約30万人)が発生し、大きな経済的負担となったが、これらの紛争は沈静化し、物資の輸送も正常化しつつある。緊縮財政などの改革路線によりインフレが大幅に収束し、95年のGDP成長はプラスに転じるなど、成果の兆しが現れてきていたが、98年夏以降のロシアの金融危機の影響、慢性的なエネルギー不足等により対外債務や財政赤字が拡大しており、経済の安定的に成長する段階には至っていない。そのため、アゼルバイジャンのカスピ海石油開発に伴う、グルジア経由黒海へのパイプライン敷設を梃子とした経済状況改善への期待が高まっている。
国内情勢の不安定や民族紛争等により我が国との関係は十分ではなかったが、近年の情勢安定化に伴い、両国関係を整備する環境が整いつつある。92年10月にチクヴァイ外相、99年3月にシェヴァルナッゼ大統領、2001年6月メナガリシヴィリ外相が訪日、99年10月コーカサス友好親善ミッション(団長:中山元外務大臣)がグルジアを訪問した。
(参考1)主要経済指標等
(参考2)主要社会開発指標
2.我が国の政府開発援助の実績とあり方
(1) グルジアに対する政府開発援助の基本的考え方
グルジアはソ連崩壊後の新たな自由主義国家であり、また、同国の民主化、市場経済導入の動きはODA大綱の観点からも望ましいものであるため、同国が人材不足や経済インフラの老朽化、環境悪化等の問題に効率的に対処し、経済的な困難を克服して国造りを行えるよう、我が国は支援を行っている。
我が国は、94年1月グルジアがDACリストパートIに掲載される以前の91年から研修員受入れ等の協力を開始しており、また、計2億ドルの旧ソ連諸国に対する緊急人道支援の一環として、93年以降医薬品、灯油、ワクチン保冷輸送機材などを中心に483万ドル相当の支援を同国に実施している。さらに、91年4月に締結された我が国と旧ソ連諸国との技術的支援協定に基づき、91年以降グルジアよりも専門家を数名招へいしている。
ODAによる協力の重点分野については、99年3月に行った政策協議を踏まえ、経済インフラ(特にエネルギー、運輸・通信)、社会セクター、人造りの三分野を優先させた上で、財政安定化支援を検討対象とすることとしている。
(2) 2001年度の援助実績
(イ) 総論
2001年度のグルジアに対する援助実績は11.49億円。うち、無償資金協力は8.97億円(交換公文ベース)、技術協力は2.52億円(JICA経費実績ベース)であった。2001年度までの援助実績は、有償資金協力53.32億円、無償資金協力50.14億円(以上、交換公文ベース)、技術協力7.16億円(JICA経費実績ベース)である。
(ロ) 有償資金協力
97年度に初の有償資金協力として「電力リハビリ計画」に対する円借款の供与を行った。
(ハ) 無償資金協力
96年度には初の無償資金協力として食糧増産援助及びノンプロジェクト無償資金協力、98年度には初の一般プロジェクト無償で「医療機材整備計画」を実施した。そのほか、NGO、地方自治体を通じた草の根・人間の安全保障無償を実施してきている。
(ニ) 技術協力
市場経済及び各種行政分野を中心に研修員受入れを行うと同時に、99年度から、グルジア政府の要請により農業及び保健・医療分野に関する政策アドバイザー型専門家を派遣した。
3.政府開発援助実績
(1) 我が国のODA実績
(2) DAC諸国・国際機関のODA実績
(3) 年度別・形態別実績
(参考1)2001年度実施開発調査案件
(参考2)2001年度実施草の根無償資金協力案件
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