91年12月、ソ連の解体とともに独立国家となった。ニヤゾフ大統領は、90年10月、初代大統領に選任されて以降、高い支持率を得て、99年12月には大統領の任期を規定した憲法の改正を行い、終身大統領となった。議会や政府は共産勢力が占めており、保守的な体制が根強く残っている。経済改革は「漸進主義」で進められているが、統制経済的色彩が濃く、市場経済化の動きは緩慢である。
トルクメニスタンは、「積極的中立」と呼ぶ外交方針を掲げ、95年12月の国連総会では、「永世中立国」としての地位が認められた。中央アジア地域にあってCIS統合への動きに対しては冷淡である一方、ロシアとの関係を重視し、緊密な政治・経済関係を維持している。トルコ、イランなどのイスラム諸国とは接近を図っており、特に100万人以上のトルクメン人が居住するイランとの関係は密接で、ニヤゾフ大統領が度々イランを訪問しているほか、96年5月には両国を結ぶ鉄道も開通し、中央アジアとペルシャ湾を結ぶ最短輸送路として注目されている。また同国は国際機関や先進国による経済支援にも期待しており、IMF、世銀等に加盟している。
産業の中心は、天然ガスや石油などの燃料及び鉱物資源の生産である。天然ガスは世界第3位(トルクメニスタン政府発表)の埋蔵量を有すると言われ、重要な外貨獲得源であり、輸出はグルジアなど旧ソ連諸国、なかでもウクライナを主要相手国としていたが、同国からの支払遅滞のためウクライナへの輸出は止まっている。そのため97年以降は貿易収支が悪化し、大きな経済的打撃を受けていたが、2000年よりロシアへの大規模な天然ガス輸出が再開され、97年12月にはイランへの輸出パイプラインが開通した。また、アフガニスタン経由パキスタンへのパイプライン計画は98年8月に一旦頓挫したが2002年12月に関係3カ国(トルクメニスタン、アフガニスタン、パキスタン)の間で、パイプライン建設に向けた計画の調印がなされた。更に、中国へのパイプライン建設も検討されている。一方、トルコへ向けたカスピ海海底パイプライン計画は着手する見通しが立っていない。農業部門では、大規模な灌漑による綿花生産が中心であるが、生産は低迷を続けている。
我が国民間企業による「日本・トルクメニスタン経済委員会」と、トルクスメニスタン側の委員会との合同会議が、94年10月の第1回以降、98年6月まで4回開催されているが、経済交流は未だ低く、発展段階にある。
我が国との関係では、96年9月にサパロフ副首相、99年8月にハリコフ副首相、2000年3月にグルバンムラドフ副首相が訪日している。また、2002年7月に杉浦外務副大臣(当時)を団長とし、産官学で構成されたシルクロード・エネルギー・ミッションが同国に派遣されている。