(1) マケドニア旧ユーゴースラヴィア共和国は、1991年9月に旧ユーゴースラヴィア共和国から平和裡に独立を果たした。独立以来、社会民主同盟(旧共産党系)を中心とした連立政権下にあったが、98年11月の総選挙で敗北し、マケドニア民族主義を標榜する「内部マケドニア革命組織・民族統一民主党」(VMRO―DPMNE)及び中道の「民主選択党」(DA)にアルバニア人急進派の「アルバニア人民主党」(DPA)を加えたゲオルギエフスキー連立政権が成立した。アルバニア人が全人口の2~3割を占め、コソヴォ問題の影響もあり、国内のアルバニア人の動向が内政を左右する要因となっている。
(2) 経済面では、旧ユーゴーへの依存度が極めて高かったため、旧ユーゴーの解体とそれに続く国連の対新ユーゴー経済制裁(92~95年)及び国名を巡って争っているギリシャによる経済封鎖(94~95年)は、マケドニアの貿易、特に輸出に打撃を与え、経済は急速に悪化した。こうした状況の中で、マケドニア政府はIMF及び世銀の支援の下で93年より経済安定化政策(為替レートの安定化、赤字国営企業の整理、賃金抑制等)を実施した。95年より旧ユーゴー地域との交易が再開したこともあり、96年GDP成長率がプラスに転じた。しかし99年に入って、コソヴォ難民の大量流入、ユーゴーとの通商途絶等により経済は大きな打撃を受けた。98年3月にはIMFとの間で総額2500万ドルの拡大構造調整融資に合意している。一方、民営化等の改革の過程においては、赤字企業の民営化失敗や倒産が発生しており、失業者が増加するなどの副作用も生んでいる。外国からの投資はわずかであり、主要産業の金属加工業や農業の輸出が伸びず、大幅な貿易赤字等の問題を抱えている。
(3) 外交面では、西欧の仲間入りを果たすことが基本的な方針であり、EU、NATOへの加盟が重点目標になっている。95年9月、関係が悪化していたギリシャと国名問題を除き和解したことで国連、全欧安全保障協力機構(OSCE)、欧州評議会などの国際機関への加盟が進んだ。ユーゴースラヴィア連邦共和国(新ユーゴー)とは96年4月に関係正常化に合意している。また、マケドニアは93年より国連PKO部隊(国連予防展開隊UNPREDEP)とOSCEモニタリング・ミッションを、98年11月にはOSCEのコソヴォ検証ミッション(KVM)に伴う救出部隊の本部設置を受け入れてきたが、99年1月、マケドニア政府が台湾との国交を樹立したことに中国が反発し、国連安保理でUNPREDEPの任期延長を拒否したため、同年2月、UNPREDEPの任務は終了した。
(4) 我が国とは94年3月に外交関係を開設した。