内政面では、1999年11月に実施された第10回総選挙において、マハディール首相率いる連合与党(国民戦線)は、解散前議席を減らしたものの、下院議席の3分の2以上の安定多数を確保して政権を維持した。2000年5月の与党第一党UMNO(統一マレー国民組織)の役員選挙において、マハディール首相が総裁に再選され(7期目)、アブドゥラ副首相が、副総裁に選出された結果、党内においても「マハディール-アブドゥラ体制」が確立した。
外交面では、ASEAN諸国との協力、イスラム諸国との協力、大国との等距離外交、南南協力及び対外経済関係の強化等を外交政策の基本としており、マハディール首相就任以降は、「東方政策」に基づき、我が国及び韓国との関係が緊密化している。同国は、小国・途上国の立場・権利の擁護を主張するなど、途上国のスポークスマン的役割を果たしている。また99年~2000年の国連安保理非常任理事国を務めている。
(2) かつてはゴムと錫中心の典型的なモノカルチャー型経済であったが、85年以降急速な工業化政策(外資規制緩和)を通じて著しい経済成長を達成し、成長率は88年以来9年連続8%を超える成長を遂げた。一方、インフレ率は、3.5%に抑えられており、政府の目指す「インフレなき持続的経済成長」はほぼ達成されていた。
このように、80年代後半からマレイシア経済は極めて順調に推移してきたが、97年のアジア経済危機の影響を大きく受け、98年にはマイナス成長を記録した。マレイシア政府は、当初よりIMFによる支援を仰がず、独自に緊縮型の経済政策をとってきたが、経済の悪化に歯止めをかけるべく景気刺激策に転換し、不良債権処理や金融機関のリストラにも取り組み、また98年9月、為替管理措置、固定相場制(1USドル=3.8リンギ)を内容とした政策を導入した。現在、流動性増加が見られ、外貨準備高、貿易収支において効果を上げてきている一方、これらの政策を実施するための海外からの資金調達・社会的弱者対策などの対応が不可欠となっている。なお、マレイシア政府は2000年の成長見通しを5.8%としている。
(3) マレイシア政府は91年、それまでの新経済政策(NEP)が終了したのに伴い、2000年までの10年間の社会・経済政策の基本となる「国家開発計画(NDP)」及び同計画を具体的に表現した「第2次長期総合計画(OPP2)」を策定した。NDPは、NEP同様、国家の統合を究極の目標としNEPの貧困撲滅及び社会の再編成という二大目標を踏襲し、経済の持続的成長の障害とならないように「ブミプトラ政策」(マレー人優遇政策)を柔軟に運用していくこととしている。また、NDPでは、2020年までに先進工業国への仲間入りを目指し(「ビジョン2020」)、年平均7%の経済成長の達成を目標としている。これらを踏まえ、より具体的な経済社会計画である第7次マレイシア計画(1996~2000年)を実施している。この計画では、











(4) 我が国との関係は、「東方政策」に象徴されるように全般的に極めて良好である。政府間交流も活発に行われており、98年10月には第2回アフリカ開発会議に出席するためマハディール首相が来日し、同年11月のAPECに際しては、小渕総理、高村外務大臣、与謝野通産大臣(いずれも当時)が往訪した。また、2000年6月の小渕前総理合同葬にはマハディール首相が参列した。99年、我が国は、マレイシアにとって第2位の貿易相手国であり、また、マレイシアの対日輸入は輸入総額の20.8%(第1位)、対日輸出は輸出総額の11.6%(第3位)を占める。我が国への輸入は木材やLNG、我が国からの輸出は電気機械(半導体を含む)や一般機械等である。対マレイシア投資は、円高などを背景に87年以降飛躍的に増大し、95年度555億円、96年度644億円、97年度971億円と増加したが、98年度は658億円であった。日系進出企業の主要投資業種は製造業、商業・サービス及び金融関係で、地域的にも首都に近いスランゴール州のみにとどまらず、ジョホール、マラッカ、ケダ州など地方への進出が見られる。