[6]フィリピン

1.概 説

(1) 98年6月末の就任から2年を経過したエストラーダ大統領(注)は、99年6月の世論調査で78%の高支持率を記録したが、その後の世論調査では47%と支持率は低落傾向にある。政権与党は上院で過半数、下院では圧倒的過半数を占めている。エストラーダ政権は、ラモス前政権の基本政策の踏襲を唱える一方で、豊かで貧困のないフィリピンというビジョンを掲げ、重点分野として、貧困者対策、農業、治安回復、汚職・腐敗の撲滅、地方分権の推進等を強調している。
 反政府諸勢力については、イスラム反政府勢力の主流派であるモロ民族解放戦線(MNLF)とはラモス政権下の96年9月に和平合意が成立した。モロ・イスラム解放戦線(MILF)との正式和平交渉は99年10月に開始され、交渉継続中である。なお、共産主義勢力(比共産党・新人民軍(CPP/NPA))との和平交渉は99年7月に打ち切られ、再開の見通しは立っていない。
 フィリピン外交は、東西冷戦の終焉、在比米軍基地の全面撤退(92年11月)を背景に、対米基軸外交から、アジア太平洋諸国との関係強化を重視し、より多角的なものに移行しつつある。また、ラモス前大統領により進められた経済外交は現政権においても引き続き推進されている。外交面における現下の最大の関心事は南沙諸島をめぐる中国、マレイシアとの軋轢であるが、フィリピンは二国間協議のみならず、ARF等多国間協議の活用を主張している。このようなフィリピン周辺の安全保障状況を背景として、米国との間で、「訪問米軍の地位に関する協定(VFA)」が批准され、2000年2月に比米大規模軍事演習(バリカタン)が5年ぶりに実施された。
(2) フィリピン経済は、ラモス前政権下、経済構造改革を堆進しつつ、外資導入及び輸出主導による高度成長を現出したが、97年7月から始まったアジア通貨危機により、通貨ペソは大きく下落し、その成長に急ブレーキがかかった。また、エル・ニーニョ現象による農業生産の不振がインパクトとなって、98年のGDP成長率は-0.5%と91年以来のマイナス成長を記録した。
 しかし、99年には、天候回復や技術革新等によるコメ及びトウモロコシなどの農業生産の復調や製造業部門の好調もあり、GDP成長率が3.2%増、GNP成長率が3.6%増(98年0.1%増)、インフレ率が6.6%(98年9.8%)と98年の数値に比べて好転し、貿易収支も11年ぶりの黒字(43億ドル)を記録した。また、本年第1四半期(1~3月期)も、GDP成長率が対前年同期比3.4%増(99年0.7%増)、GNP成長率が3.5%増(99年1.5%増)と好調を維持しており、フィリピン経済は底を脱して回復基調になりつつあると推測される。他方、財政収支の悪化(99年は約1,116億ペソの赤字)、投資の伸び悩み、銀行貸し出しの縮小などはフィリピン経済にとっての懸念材料であり、また、中長期的な観点から、フィリピン経済を見た場合、外資導入・輸出主導型経済成長を指向してこれまで成果を挙げてきたものの、他のASEAN諸国と同様に、裾野産業の遅れ、対外債務増大といった構造的問題を抱えている。アキノ、ラモス両政権は、IMFの監視の下に(98年3月、IMFプログラムから卒業)、規制緩和・自由化・民営化・税制改革等を根気強く推進してきたが、エストラーダ政権も、前政権の経済自由化・規制緩和路線を踏襲し、2000年3月に小売業自由化法、同5月に一般銀行法改正法を成立させるなど、経済構造改革に積極的に取り組んでおり、今後も引き続き改革が推進されることが求められている。
(3) エストラーダ政権は、99年5月、新中期経済開発計画(1999~2004年)の骨子を発表した。これにより、「社会的平等を伴う持続可能な開発及び成長」をテーマとし、社会改革への目配りを明確にしつつ、現政権の経済政策の重点分野として、貧困者対策・農業開発、国際競争力の強化、統治能力(ガヴァナンス)の改革等を挙げている。
 エストラーダ大統領は、現在の32%の貧困率を2004年までに25~28%に、すなわち390万人を貧困層から引き上げることを目標にしている他、農業近代化の促進、地方分権の推進、社会的弱者のための施策(教育、住宅、福祉、保健、人口、環境等)の向上、ビジネス環境の整備等を実行する旨表明している。
(4) 日比関係は全般的に極めて良好である。
 貿易については、フィリピンから我が国への輸入は半導体や電気機器・部品を中心としており、また、我が国からフィリピンへの輸出は電気機器用部品や乗用車用部品を中心としている。フィリピンにとって、日本は輸出先として第2位、輸入先として第1位であり、貿易収支は対日赤字基調である。
 投資については、日本は主要投資国であり、フィリピン経済の復調に伴い、我が国の直接投資は92年以降から回復に向かい、94年頃からフィリピンヘの投資ブームが加速したが、97年のアジア経済危機を受けて、近年は伸び悩んでいる。我が国の投資の特徴は、経済特別区における製造業(自動車、エレクトロニクス等)に対する投資が多い点にあり、経済特別区への投資は他国を圧倒している。
 要人往来も極めて活発に行われている。近年では、98年2月に秋篠宮同妃両殿下がフィリピン独立百周年記念式典に御出席のため訪比されたほか、同年7月には小渕外務大臣(当時)が訪比した。フィリピンからはシアゾン外務長官が頻繁に来日しているのに加え、エストラーダ大統領も就任後、99年6月と2000年6月に来日した。その他、経済団体、民間企業を中心とした経済分野の交流も大変活発である。また、在日外国人の国籍別ではフィリピン人は第4位となっていることからもわかるとおり、草の根レベルの人的交流も大変活発であり、日比関係の緊密さを物語っている。


(注) 2000年12月7日以降、収賄、汚職等の不正疑惑でエストラーダ大統領に対するフィリピン上院での弾劾裁判が進められていたが、2001年1月になって弾劾裁判が中断したことを受けて、マニラ首都圏で数万人規模の大統領辞任要求運動が高まる中、1月20日、最高裁が大統領職の空白を宣言し、同日、アロヨ副大統領が最高裁長官立会いの下大統領の就任宣誓を行った。

(参考1)主要経済指標等
(参考2)主要社会開発指標
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