(1) タイにおいては、92年5月の民衆と警察・軍の衝突による流血事件を経て同年9月に総選挙が実施され、文民である民主党の党首を首班とするチュアン内閣が成立し、民主化が進展した。その後、バンハーン政権、チャワリット政権と議会制民主主義のルールに則り文民政権の交代が行われるなど、民主主義の着実な定着が見られる。
97年7月のバーツ暴落に端を発する経済の悪化の中、チャワリット首相が辞任し、経済再建の期待を受けて、97年11月、野党第一党であった民主党のチュアン党首が再び首班となり、8党連立内閣が成立した。この政権は、チュアン首相が政治的に清廉であること、また閣僚に経済に通じた人材をそろえたことから、国民の高い支持(97年12月の世論調査で74%)を得て、IMFと協調しつつ金融セクターの再建を含む構造改革に努めた。98年10月、与党内の汚職事件の際に野党第2党の国家発展党を連立内閣入りさせて安定多数を確保し、99年に入り経済も回復基調に入ったため、政権は一定の安定を維持してきている。2000年3月には新憲法に基づき、タイ史上初の上院選挙が実施された。今後新たな選挙制度に基づき実施される下院選挙の行方が注目される。(注:2001年1月に実施された選挙では、タクシン党首率いるタイ愛国党が大差で勝利、同2月にタクシン党首を首班とする新内閣が成立した。)
外交面では、ASEANを基盤に我が国、米国、中国等との協調に努めてきており、91年カンボディア和平が成立すると自らをインドシナ地域のゲートウェイとして位置づけ、メコン河流域開発を中心に積極的な経済外交を展開した。また、急速な経済成長を背景に、第5回ASEAN首脳会議(95年12月)、第1回アジア欧州会合(96年3月)を主催する等のイニシアティブを発揮してきており、97年7月からはASEAN議長国としてASEANの域内協力の強化に努めた。
(2) 経済面では、85年以後、輸出が好調に推移し、88年から95年にかけて毎年8%を超える経済成長率を示していたが、96年に入り輸出の伸び悩みや経常収支赤字の拡大から、高度成長に陰りが見え、深刻な不動産不況を招き、金融機関の倒産・不良債権の拡大などが顕在化した。
このような経済の悪化を背景に97年7月2日、為替制度の実質的変動相場制移行を契機に、バーツが大幅に下落し、経済危機が発生した。タイ政府は、IMF、我が国等国際社会の支援を得て、IMFとの合意に基づく財政金融引き締め及び民営化等、経済再建を進めた。その結果、為替レートの安定、経常収支の黒字等一定の改善は見られたものの、実体経済は悪化を続け、98年の経済成長率はマイナス10.4%に落ち込み、失業者の増大、貧困者等への社会的影響が懸念された。これに対し、タイ政府はIMFとも協議のうえ3回に渡り景気刺激策を打ち出し、景気の下支えを行うとともに、民間債務リストラ等により不良債権処理に努めた。99年に入り、タイ経済は好調な輸出、財政支出等に支えられ、回復基調に入り、2000年は5%の経済成長が見込まれている。
(3) 第8次経済社会開発5カ年計画(1996~2001年)は「人間中心の開発」の考え方を打ち出し、人材育成等に重きを置いている。この計画は、目標として、(イ)国民の潜在能力の向上、(ロ)安定的社会環境の発展及び家族・地域共同体の強化、(ハ)国民経済の安定的かつバランスのとれた成長、(ニ)天然資源と環境の利用と保全、(ホ)行政機構の改革、を掲げ、主要目標値として、(1)平均経済成長8.0%、(2)インフレ率4.5%、(3)貿易収支赤字の対GDP比3.9%(最終年度)、(4)経常収支赤字の対GDP3.4%(最終年度)、(5)家計貯蓄率10%、(6)貧困者比率10%以下、(7)熟練労働者の割合の50%までの引き上げ(最終年度)、(8)森林保護区の対国土面積25%以上、の具体的数値目標を掲げると共に、地域・国内開発計画として、(1)スマトラ島(インドネシア)、マレーシア北部、タイ南部の3地域で形成される北部成長の三角地帯構想、(2)メコン河流域6カ国(タイ、ラオス、カンボディア、ベトナム、ミャンマー、中国雲南省)開発計画、(3)タイ、インド、スリランカ、バングラデシュ、ミャンマーの5カ国の開発協力を推進せんとする亜大陸協力計画(以上地域開発計画)、(4)東部臨海開発計画、(5)南部臨海開発計画、(6)西部臨海開発計画(以上国内タイ開発計画)を明記している。
(4) 我が国とタイは、両国の王室・皇室の親密な関係を基礎とする伝統的友好関係に加え、1960年代からの日本企業の進出、特に80年代後半以降の我が国の対タイ投資の急増により、両国の経済関係は急速に深まっている。
タイにとり我が国は貿易額、投資額、援助額とも第1位の地位にある。我が国とタイは恒常的な貿易不均衡問題(タイ側の赤字)を抱えており、両国間の貿易不均衡は、我が国の資本財・生産財への需要増等により拡大傾向にあり、97年の経済危機に伴う我が国の対タイ輸出の減少を受け、不均衡は一時的に是正されたが、タイの経済回復に伴い、99年は再び増加している。99年の我が国の対タイ輸出は81.7億ドル、対タイ輸入は93.5億ドルである。対タイ輸出主要品目は機械機器、金属、化学など、輸入主要品目は工業製品、食料品(エビ等)、原料品(生ゴム等)等となっている。
タイへの直接投資のうち我が国からのものは外国投資総額の約3割を占めており、各国中第1位である。従来は製造、流通を中心とした輸入代替型投資が主流であったが、85年以降の円高などを背景にタイを輸出基地としての生産拠点とする動きが本格化し、投資額は80年代後半から著しい伸びを示した。経済危機に伴い停滞した投資は99年に回復の兆しを見せている。