ヴィエトナムは、憲法に定めてある「共産党一党支配」は堅持し、政治的多元主義は導入しないとの方針をとっているが、92年の国政選挙以来共産党等の推薦がなくとも議員に立候補できる制度が導入されたほか、95年には社会主義国で初めて民法を制定している。97年9月末、ヴィエトナム最高指導部の交替によりカイ新政権が誕生した。アジア経済危機からの回復を図る上でヴィエトナム経済の競争力強化が急務となっており、また、ASEAN加盟国として貿易・投資の自由化促進の義務を負う等、ヴィエトナムは引き続き改革課題を抱えている。
(2) ヴィエトナムは、91年11月に中国との関係正常化を行うとともに、92年7月に東南アジア友好協力条約(バリ条約)に加入し、95年7月にはASEANに加盟するなど、近隣諸国との関係改善を急速に進めてきた。また、世界及び地域経済の枠組みへの参加も積極的に進めている。具体的には、95年1月にWTOに加盟申請し、96年1月よりAFTA(アセアン自由貿易地域)に参加、2006年までに共通実効特恵関税(CEPT)協定に基づく関税削減を目指している。96年6月にはAPECへの加盟申請を行い、98年に加盟が認められた。米国との関係改善も徐々に進展し、94年2月の米国の対越禁輸解除決定を経て、95年8月には米国との間で外交関係を樹立した。また、98年12月にはハノイでASEAN公式首脳会議を開催し、2000年7月よりはASEAN議長国に就任するなど、ASEANのメンバーとしての役割も本格的に果たしつつある。
(3) 86年以降採られてきた財政赤字の削減、金利政策の実施、変動為替相場制の採用等、経済面での刷新(ドイモイ)政策の効果が89年頃より現れはじめ、国民一人当たりのGNPは350米ドル(98年)と経済的水準は未だ低いものの、概ね良好なマクロ経済の実績を示してきた(92~96年の平均GDP成長率8.9%を達成)。
しかし、97年のアジア経済危機の間接的影響は免れ得ず、慢性的な貿易赤字基調に加え、自国製品の輸出不振、外国民間投資の大幅減少等により、GDP成長率は97年8.2%、98年5.8%、99年4.8%へと大きく減速した。また、金融システム・国公営企業改革等の構造問題も経済成長の足かせとなっている。これらの問題に対し政府指導部は、外資奨励・輸出促進に関する具体的施策を打ち出す等、現状打開に向けた努力を行ってきている。2000年に入っても外国投資の減少には依然歯止めがかかっていないが、輸出の伸び等により、経済全体としては、2000年第1四半期のGDP成長率が5.6%に上向くなど徐々に回復の兆しが見えつつある。
また、戦争や投資不足による基礎的な社会経済インフラの未整備ないし劣化・老朽化が今後の経済発展の障害となることが予想され、その整備が急務となっており、今後の経済的課題は、(1)社会経済インフラや農業基盤の整備、(2)財政、金融面での制度改革、国営企業改革の促進、(3)市場経済に適合した法制度整備、人材育成、(4)拡大しつつある貧富の差の是正(都市・農村間の格差是正)、(5)各種不正行為(汚職、密輸等)の防止、である。
経済に占める農業の割合は大きく、総労働人口の70%以上が農業に従事している。コメについては、89年より輸出が可能となり、現在、タイに次ぐ世界第2位の輸出国となっている。一方、農業生産の増加による価格低迷も見られる。
外国投資は96年85億ドル(325件)に達したが、その後、投資環境整備の遅れやアジア通貨危機の影響により、99年は約15億ドル(287件)と大幅に減少しており、投資環境改善が急務となっている。
(4) ヴィエトナム政府は、「1996年から2000年の社会経済5カ年計画における方向と任務」として以下の主要目標をあげている。なお、2001年開催予定の第9回ヴィエトナム共産党大会において、新5カ年計画が策定される見込みである。






(5) 78年末のカンボディア侵攻以降、我が国との関係は停滞していたが、91年10月のパリ和平協定署名の後、我が国とは、本格的な関係強化が進められ、幅広い交流が進んでいる。最近では98年12月のASEAN首脳会議の際に小渕総理大臣が訪越し、これを受けて99年3月にはカイ首相が来日している。
日・ヴィエトナム間の貿易は、従来低い水準にあったが、近年は着実に拡大し、99年は対日輸出が約2230億円、輸入が約1851億円になっている。我が国への主な輸出品目は、原油、海産物(エビ、イカ)、繊維品等であり、我が国からの主な輸入品目は自動車、バイク、機械類等である。