(1) 94年12月に就任したセディージョ大統領は、法と秩序の確立、政治改革・民主主義を推進し、報道の自由の拡大、司法権強化、選挙の公正拡大、チアパス和平交渉(政府とチアパス州先住民系ゲリラとの和平交渉)の定着、政治改革合意等に関して着実な成果を上げた。なお、2000年7月の大統領選挙においてフォックス野党PAN(国民行動党)候補が当選し、71年間に亘るPRI(制度的革命党)政権に終止符が打たれた。
外交面では、北米自由貿易協定(NAFTA)締結に示されるとおり、米国との関係緊密化を重視した政策をとっている。外交関係の多角化の観点から、中南米・カリブ諸国との伝統的友好関係を維持すると共に、EU諸国との関係強化及び環太平洋諸国との協力関係の一層の強化の方向を打ち出しており、93年にはAPEC、94年には中南米諸国として初めてOECD加盟を実現した。また2000年7月にはEUとの自由貿易協定が発効している。
(2) 経済面では、82年の累積債務危機、85年のメキシコ大地震、86年の原油価格の下落等により、貿易黒字の縮小、財政赤字の拡大、高インフレ率とメキシコ経済は混乱を極めた。88年に発足したサリーナス政権は、債務削減、民営化・外資導入規制の緩和等による経済自由化を推進。経済は安定を回復した。
しかし、同政権末期になり、チアパス事件、コロシオ大統領候補の暗殺等のメキシコの信頼を損なう問題が発生し、セディージョ政権発足直後の94年12月、通貨危機(テキーラ・ショック)が発生した。その後の緊縮政策によって、95年は深刻なリセッション(95年のGDP成長率は-6.9%)を余儀なくされたが、為替価値が半減したことにより貿易収支は95年5月から黒字に転化。GDP成長率も96年第2四半期以降プラスに転じ、96、97、98年と5%前後の高成長を記録した。一方、経済回復に伴い貿易収支の悪化が顕著となり、98年より再び貿易赤字に転じている。99年のGDP成長率は3.7%だった。
(3) メキシコは我が国と1888年に修好通商条約を締結し外交関係を開設しており、伝統的に友好関係にあり、文化交流も盛んで、日墨研修生・学生の交流計画に基づき、2000年までに合計3,096名の研修生を相互に受入れている。要人の往来も盛んで、96年に橋本総理(当時)がメキシコを訪問し、97年及び98年にはセディージョ大統領が訪日した。
中南米地域には多くの日本人移住者が存在するが、組織的移住としてはメキシコが最も古く、現在1万5,000人余りの日系人が在住するほか、在留邦人も約4,100名在住している。
我が国の98年対メキシコ貿易は、輸出で5,002億円、輸入で1,878億円であり、中南米地域ではブラジルに次ぎ第2位の貿易相手国となっている。また、51~99年度の日本の対メキシコ直接投資は累計7,632億円である。