(1) 75年から90年まで内戦状態にあったが、92年に発足したハリーリ内閣の下で本格的な復興に向けた努力が行われた。98年11月には、ラフード国軍司令官が大統領に就任し、12月には首相もホッス首相へ交代したが、経済の停滞と共に政権の政策への批判が高まり、2000年の国会議員選挙ではハリーリ前首相派が圧勝。同11月には同氏が首相に再登板している。
(2) 外交面では、親欧米であるが、アラブ諸国との外交にも重点を置き、特に、シリアとは伝統的に緊密な関係にある。南レバノンにおいて、イスラエル軍は78年から国境隣接地帯を「安全保障地帯」と称して占領し、イスラエル軍及び親イスラエル民兵組織南レバノン軍と、ヒズボラをはじめとした抵抗組織との間で戦闘が断続的に行われてきた。99年7月に成立したバラック政権の下、イスラエルは南レバノンからの2000年7月までの撤退を決定し、2000年5月、南レバノン軍の急速な崩壊に伴い、イスラエル軍は期限よりも早く撤退を行った。現在南レバノン復興に向けた各種取り組みが進められつつある。
(3) 経済面では、95年から向こう10~13年間にわたる意欲的な復興計画を策定し、本格的な経済の復興開発に取り組んできた。これにより、通貨の安定、インフレの抑制、高い経済成長率の達成等一定の成果をあげてきたが、近年は伸び悩み、99年度上半期には内戦終了後初のマイナス成長を記録した。海外レバノン人からの送金等により過去5年間国際収支は一貫して黒字となっているものの、急速な復興需要等を背景に財政収支の赤字は増大しており、その解消が今後の課題である。
(4) 我が国は、レバノンから非鉄金属くず、骨とう品等を輸入し(99年輸入額5.87億円)、同国に自動車、電気機器、タイヤ等を輸出している(同輸出額178.32億円)。97年11月、2001年2月にはハリーリ首相が訪日し、99年1月には高村外務大臣(当時)が同国を訪問した。