[18]レバノン

1.概  説

(1) 75年から90年まで内戦状態にあったが、92年に発足したハリーリ内閣の下で本格的な復興に向けた努力が行われた。98年11月には、ラフード国軍司令官が大統領に就任し、12月には首相もホッス首相へ交代したが、経済の停滞と共に政権の政策への批判が高まり、2000年の国会議員選挙ではハリーリ前首相派が圧勝。同11月には同氏が首相に再登板している。
(2) 外交面では、親欧米であるが、アラブ諸国との外交にも重点を置き、特に、シリアとは伝統的に緊密な関係にある。南レバノンにおいて、イスラエル軍は78年から国境隣接地帯を「安全保障地帯」と称して占領し、イスラエル軍及び親イスラエル民兵組織南レバノン軍と、ヒズボラをはじめとした抵抗組織との間で戦闘が断続的に行われてきた。99年7月に成立したバラック政権の下、イスラエルは南レバノンからの2000年7月までの撤退を決定し、2000年5月、南レバノン軍の急速な崩壊に伴い、イスラエル軍は期限よりも早く撤退を行った。現在南レバノン復興に向けた各種取り組みが進められつつある。
(3) 経済面では、95年から向こう10~13年間にわたる意欲的な復興計画を策定し、本格的な経済の復興開発に取り組んできた。これにより、通貨の安定、インフレの抑制、高い経済成長率の達成等一定の成果をあげてきたが、近年は伸び悩み、99年度上半期には内戦終了後初のマイナス成長を記録した。海外レバノン人からの送金等により過去5年間国際収支は一貫して黒字となっているものの、急速な復興需要等を背景に財政収支の赤字は増大しており、その解消が今後の課題である。
(4) 我が国は、レバノンから非鉄金属くず、骨とう品等を輸入し(99年輸入額5.87億円)、同国に自動車、電気機器、タイヤ等を輸出している(同輸出額178.32億円)。97年11月、2001年2月にはハリーリ首相が訪日し、99年1月には高村外務大臣(当時)が同国を訪問した。

(参考1)主要経済指標等
(参考2)主要社会開発指標

2.我が国の政府開発援助の実績とあり方

 長年続いた内戦、内戦終結後も続いた情勢不安定等のため、我が国は従来、内戦被災民に対する緊急援助や研修員受入といった極めて限定的な援助を実施していた。しかし、ハリーリ政権の下で本格的な復興に向けた努力が行われたことを受け、97年11月にレバノン経済協力政策協議を派遣し、我が国ODA政策を説明するとともに、経済情勢、復興開発政策、今後の援助のあり方等について意見交換を行った。
 レバノン復興プロセス開始後は、96年4月のイスラエルとの戦闘による被災民に対し、約100万ドルの緊急援助を行ったほか、同年7月には、復興プロセスを積極的に支援するため「海岸線汚染対策・上水道整備計画」に対し総額約130億円の初の円借款を供与した。また、我が国は、同年12月の「レバノン復興支援のための友好国会合」において、内戦後の復興プロセスを支援するとの方針を表明した。また2000年5月のイスラエル軍の南レバノンからの撤退を受け、各国が南レバノン復興支援のための協議を開始したが、我が国もこれに積極的に参加し、可能な支援を検討していく。
 レバノンの一人当たりGNPは比較的高い水準にあるため、今後は環境案件を対象とした有償資金協力、草の根無償資金協力及び研修員受入、開発調査等の技術協力により、同国の政情、治安状況及び国内経済状況(特に財政の健全化)等を見極めつつ援助を実施していく方針である。

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