(1) 91年12月、ソ連解体とともに独立国家となった。95年7月、初の複数政党制による議会選挙が行われ、ペトロシャン大統領の支持派が圧勝し、同時に新憲法の国民投票が行われ、過半数の支持を得て採択された。同大統領は96年7月、新憲法の下で最初の大統領選挙で再選されたが、ナゴルノ・カラバフ問題を巡り98年2月に辞任、4月の選挙で、コチャリャン前首相が大統領に選出された。99年10月、国会内で銃撃事件が発生、首相、国会議長を含む要人が死亡する事態となったが、その後、政治情勢は安定化しつつある。
アルメニアにおいて最大の課題は隣国アゼルバイジャンとのナゴルノ・カラバフ紛争の解決である(経緯等についてはアゼルバイジャンの概説を参照)。アルメニアは、隣国トルコとは歴史的な理由から外交関係をもたず、アゼルバイジャンとは紛争が解決していないため、軍事面を含めロシアとの関係が強い。最近ではイランとの関係が発展しつつある。なお、移民が海外に多く居住していることもあり、米国をはじめ西側諸国との関係が強い。
(2) 経済面では、主たる産業は果物栽培など農業中心で、葡萄栽培によるブランデーは有名である。他に、銅、亜鉛などの精錬、セメント生産などがあるが、エネルギー資源はなく、他の旧ソ連諸国に依存している。また、グルジアでの民族紛争の影響でグルジア経由のトルクメニスタンの天然ガス供給が停止した際、95年6月に老朽化のため一旦停止した原子力発電を再開している。アルメニアは、88年12月に同国北部をおそった大地震で産業施設などに壊滅的な打撃を受け、さらに、ナゴルノ・カラバフ紛争やグルジアでの民族紛争等を背景とする経済封鎖による大きな影響を受けたが、いずれの紛争も沈静化した結果、経済的に必要な物資は安定的に輸入されるようになっている。同国は早くから改革路線を打ち出し、IMFとも協調して92年には価格自由化、国営企業の民営化など、市場経済化に向けての改革努力を行ってきており、これを背景にインフレが大幅に収束し、経済的に立ち直りはじめている。
(3) 不安定な国内情勢や民族紛争等により我が国との関係は十分ではなかったが、近年の情勢安定化に伴い、両国関係を整備する環境が整いつつある。92年10月にバグラチアン副首相、99年8月にオスカニャン外相が訪日し、99年10月コーカサス友好親善ミッション(団長:中山元外務大臣)がアルメニアを訪問した。