(1) 75年のポルトガルからの独立後、政府側(モザンビーク解放戦線FRELIMO)とモザンビーク民族抵抗運動(RENAMO)との間の抗争が続いたが、90年7月以降、イタリアの仲介の下、両者間の和平交渉が開始され、92年10月モザンビーク包括和平協定が調印された。その後の和平プロセスは、94年10月の独立後初の複数政党制の下で行われた大統領選挙及び議会選挙により完結した。同選挙の結果チサノ大統領が選出され、長年の内戦等で流出した170万人の難民は帰還を終え、和平は定着した。また、99年12月の総選挙でチサノ大統領は再選され、民主化及び復興への努力は着実に進んでいる。
(2) 外交面では、独立以来非同盟主義を掲げつつ旧社会主義諸国との親密な関係を保持してきたが、83年頃を境に、経済開発を進める必要から英国等の先進諸国(モザンビークは95年に英連邦加盟)との関係強化に努めている。
(3) 経済面では、肥沃な土地に恵まれた農業国であり、漁業を含めた第一次産業がGNPの3分の1以上を占める。大規模プランテーションによる輸出用換金作物(カシューナッツ、綿花、砂糖等)の生産が多いのが特徴である。
87年以降、IMF・世銀の支援の下、構造調整計画に取組んでおり、農業開発に重点をおく一方、財政・税制改革を行い、民間部門の活性化、経済の自由化、貧困の撲滅等を目標に経済再建計画を実施している。和平プロセス終了後、近年、モザンビークのマクロ経済は、年平均5%以上の経済成長を示す等好調な成果を上げ、南アフリカ共和国その他の諸国からの直接投資が増加している。しかし、石油輸入に伴う外貨事情の悪化、内戦による経済インフラの破壊、南アに対する経済的依存等の構造的問題を抱え、また、GNPの約4倍にも達する対外債務の削減等が課題である。
(4) 我が国は、モザンビークからエビ等を輸入し(99年輸入額1,818万ドル)、同国に自動車、機械、部品等を輸出している(同輸出額6,691万ドル)。98年10月のTICAD

に際しチサノ大統領が来日した。また、2000年1月に在日モザンビーク大使館を開設した。
(1) 我が国は、モザンビークの経済発展を促進する観点から無償資金協力及び技術協力を中心に援助を実施している。無償資金協力については、食糧援助及び食糧増産援助を実施しているほか、水供給分野、保健・医療分野、運輸分野等における援助を実施している。技術協力については、保健・医療、農林水産業、人的資源等の分野で研修員受入や開発調査を中心とする援助を実施し、また、ODAアドバイザーとして専門家が派遣されている。更に、同国の構造調整努力を支援するため、99年度までに合計130億円のノン・プロジェクト無償資金協力を供与した。98年10月には、同国南部に位置するガザ州マシンジール地区の地雷除去プロジェクトに対する支援としてUNDPを通じ100万ドルの緊急無償援助を実施した。
(2) また、2000年始めに南部アフリカ諸国を中心に甚大な被害を与えた大洪水後、我が国は特に被害の大きかったモザンビークに対し、緊急援助隊医療チーム派遣、緊急無償・物資供与、食糧援助等、総額500万ドル相当の支援を実施したほか、5月にローマに於いて行われたドナー支援会議の場において、同国の復興開発を支援すべく、緊急性の高い短期的な援助として、保健、食糧援助等の分野において無償資金協力による3,000万ドルの支援を表明し、また、中長期的な対応として、教育、農業、水、インフラ分野等における無償資金協力や、防災システムを含む各種技術協力を実施していく旨表明している。
(3) モザンビークは既に債務削減措置の適用を受けている上、重債務貧困国(HIPC)として、今後ケルン・サミットでの合意に基づいて成立した「拡大HIPCイニシアティブ」による債務削減措置が適用されることになっていることから、新規の円借款による協力は困難である。同国に対しては今後とも無償資金協力、技術協力を中心とした協力を検討していくこととする。
(4) 更にモザンビーク政府は、2001年初旬を目処に「貧困削減戦略ペーパー(Poverty Reduction Strategy Paper)」を鋭意策定中であり、我が国としても策定作業に積極的に貢献していく方針である。