(1) アフリカの地理的特色
アフリカ(ここではサハラ砂漠以南のアフリカ地域を指す:但しスーダンを除く。以下同様)は、47カ国の開発途上国により構成される。同地域は、極めて多様な気候状況の中に分布しているが、サハラ砂漠、カラハリ砂漠のような乾燥地帯や高温多湿な熱帯雨林地帯が比較的多くの部分を占めているのが特徴である。
(2) アフリカの政治、経済及び社会状況
政治面では、従来国家としての統一性を維持する観点から指導者の出身民族グループを中心とした一党独裁体制が少なからず見られていたが、90年代に入り、冷戦構造が崩壊する中、多くの国において、政権側からの自発的な形であるいは国民からの要求に応ずる形で、複数政党制への移行及び複数政党制の下での自由選挙の実施等、民主化の動きが主流となってきた。
同地域は、被植民地時代からの人為的な国境、国家基盤の脆弱性等を背景に、貧困、民族・宗教上の対立、経済利権、独立問題等の複雑な要素が絡み合い、世界の中で最も多くの武力紛争が発生する地域となっている。武力紛争の発生・継続に伴い、大規模な難民及び国内避難民の発生、感染症の蔓延、武器・薬物の流入、環境破壊等の深刻な問題が生まれている。
経済面では、80年代以降、それまでの生産部門の低迷、公共セクターの肥大化、一次産品の国際市況の低迷等による経済の停滞を克服する観点から、市場経済原理導入を主眼とする世銀・IMF主導型の構造調整政策が多くの国で開始された。具体的には、緊縮財政とマネーサプライの抑制、公共料金や補助金の見直し、各種規制の緩和、為替の切り下げ、公企業の民営化、行財政改革の実行等の取組みがほとんどの国で実施されている。この結果、紆余曲折を経ながらも改革の成果を挙げた国々として、ウガンダ、ガーナ、象牙海岸等がある。
他方、構造調整政策の実施に伴い、緊縮財政政策、公務員の削減による失業者の増加、社会サービスの低下等から、特に社会的弱者に対するしわ寄せ(いわゆる構造調整の社会的側面)が問題となっていることも事実である。更に、厳しい自然環境に加え、急激な人口増加と貧困等を背景に、経済活動等のための森林伐採と砂漠化が進行し、土壤の生産力低下が一層貧困に拍車をかけるといった悪循環が生じているほか、未だ多くの国における主要産業である一次産品の近年の国際市場の低迷により、アフリカの経済社会状況は依然厳しい。
同地域では、国連の認定するLLDC(後発開発途上国)48カ国(97年)のうち32カ国が、また、世銀の基準(99年)による低所得国63カ国のうち38カ国が存在する。98年時点で一人当たりGNPが1,000ドルを超える国は9カ国(セイシェル、ガボン、モーリシャス、南アフリカ共和国、ナミビア、ボツワナ、スワジランド、カーボ・ヴェルデ、赤道ギニア)にとどまっている。
(3) 我が国との関係
我が国とアフリカとの間の貿易投資関係は全体として依然低調な状態にある。99年の我が国の対サハラ以南アフリカ諸国輸出総額は37億3,583万ドル(前年比12.2%減)、輸入総額は34億801万ドル(前年比1.1%減)であり、我が国の総輸出額及び総輸入額のそれぞれ0.9%及び1.1%にすぎない。99年度の我が国の対アフリカ直接投資は前年比0.9%増の574億円であるが、対外直接投資の0.8%にとどまっている。
他方、我が国は、アフリカの諸問題解決に貢献することは世界の平和と安定のためにグローバルな責任を有する我が国の責務であるとの観点から、アフリカ諸国の経済的困難の克服に向けての自助努力を支援するため、後述する二回にわたる「アフリカ開発会議(TICAD)」の開催をはじめとして、経済協力の拡大、人的交流と相互理解の増進に加え、内外世論の喚起等に努力している。また、開発と密接に関係し、開発に深刻な影響を及ぼす紛争の問題に関しても、アフリカ諸国自身の紛争予防・管理・解決能力の強化のための協力に努めている。更に、2000年7月に、我が国は、G8議長国として、開発途上国の抱える諸問題を議論するため、G8首脳、開発途上国の首脳(G77議長国ナイジェリア、非同盟運動(NAM)議長国南アフリカ、アフリカ統一機構(OAU)から委任を受けたアルジェリアの各大統領及び国連貿易開発会議第10回総会(UNCTAD X)・東南アジア諸国連合(ASEAN)議長国タイの首相)並びに国際機関の代表等を招いて意見交換を行った。
2001年1月には、森総理が現職の総理大臣として初めてアフリカ(南アフリカ、ケニア、ナイジェリア)を訪問し、南アフリカにおいては、我が国の対アフリカ協力の基本的考え方に関する政策スピーチを行った。