国際協力の現場から 19
先住民の協同組合がコーヒービジネスに挑戦
~ メキシコでの草の根技術協力とコーヒーショップ ~
マヤビニック・カフェの看板の前に立つ山本さん(写真:山本純一)
メキシコ南部の街、先住民の文化を色濃く残すチアパス州サンクリストバルには国内外から数多くの観光客が訪れます。その繁華街の一画に、注目を集めている店があります。マヤビニック・カフェ。自家焙煎(じかばいせん)したコーヒー豆を挽(ひ)き、一杯ずつ手で淹(い)れていきます。「サンクリストバルで一番おいしい」と評判のコーヒーです。
このカフェを経営するのは、チアパス州のマヤビニック生産者協同組合。マヤビニックとは現地の言葉で「マヤの人」という意味、組合員はマヤ系先住民の人々です。コーヒー豆の栽培、加工、焙煎、そしてカフェ経営を総合的に手がけますが、そこまで成長した過程には日本人の支援が大きく関わっています。
先住民を支援するためにコーヒービジネスに挑戦
「もともとは、コーヒーの研究をしていたわけではありません。ただ、乗りかかった船を降りるわけにはいかなかったんですよ。」
こう語るのはマヤビニックの活動を支援する慶應義塾大学の山本純一(やまもとじゅんいち)教授です。山本教授は、メキシコをフィールドに、先進国と開発途上国の間にある経済格差の構造的な問題を研究してきました。マヤビニック協同組合と山本教授のかかわりは、教授が2003年に現地調査を行ったとき、たまたま出会った組合の理事長から「私たちのコーヒーを日本で売れないか」と相談されたことに遡ります。
メキシコは所得の国内格差が大きく、チアパス州の住民の所得はメキシコシティの7分の1、全国で最下位の水準です。そのチアパス州の中でも貧困地区とされているのが、先住民が多く住む地域です。貧困に陥っている先住民が自らの力で生活を改善する手立てを見つけることが求められていました。チアパス州はメキシコ最大のコーヒー生産地であり、世界でも有数の有機コーヒー栽培地として知られています。チアパス州に住む4人に1人はコーヒー産業にかかわっており、その生産者の多くは先住民の小農家です。彼らはコーヒー畑しか持たないため現金収入のほとんどはコーヒー栽培によるものでした。
豆の栽培からカフェでの店頭販売までを目指す
山本教授は自身の研究室の学生たちにマヤビニックのことを話しました。学生たちはコーヒー豆を正当な価格で流通させるフェアトレード※を行いたいと答えました。援助ではなく、公正な貿易で彼らの生活を支援するのです。実践を通じた研究に躊躇(ちゅうちょ)せず取り組むことをモットーとする山本教授は「Fair Trade Project」を誕生させ、学生が中心となってマヤビニックのコーヒー豆を日本に輸入し始めました。
コーヒーと一言でいっても、私たちがカップでコーヒーを飲むまでの間には長い道のりがあります。生産者が生豆を栽培・収穫し、その豆が加工され、焙煎という過程を経て初めておなじみのコーヒー豆の形になります。この過程がバリューチェーン(価値連鎖)と呼ばれるものです。生産者が携わるコーヒー豆の栽培や収穫・一次加工といった段階の収入は少なく、生産者の手を離れたあとの焙煎やカフェでの店頭販売といった段階でコーヒーの価格が一気に高くなります。通常はコーヒー1杯の値段の1%ほどのお金しか生豆の生産者は手にできていないのです。こうした問題に対処するためには、小農生産者自らがそうしたコーヒーのバリューチェーンに参画していくことが重要であると山本教授は考えました。生産者が畑の栽培からカフェでの店頭販売にまでかかわれるようになれば、彼らの収入が向上し、貧困からの脱却につながっていきます。山本教授は自らが中心になって、マヤビニックのコーヒービジネスを軌道に乗せようと決意しました。
そして、山本教授の計画を評価したJICAが草の根技術協力事業として認定。2006年からプロジェクトが始まりました。2008年までの第1期では品質管理の向上と経営の近代化についての取組が行われました。
意見をぶつけ合いながら念願のカフェをオープン
2010年から始まった第2期のプロジェクトのテーマはコーヒーの加工・焙煎、コーヒーショップの開店・経営です。コーヒー豆の栽培しかしてこなかった生産者は経営に必要な技術も資本もありません。そこをサポートしていくことが今回の草の根支援の狙いです。山本教授が活動を続ける中で常に抱いていたのは「自分たちのコーヒーの価値を知ってほしい」との思いでした。コーヒー豆を栽培しているのに彼らは正しく焙煎したコーヒーを飲んだことがなく、美味しいコーヒーとは何かを知らないのです。生産者のなかには「コーヒーは嫌い」という人もいました。彼らにとってのコーヒーは生活のために栽培する商品作物でしかありませんでした。山本教授は生産者が自らの作っているものに誇りを持てるような指導を続けました。また、質の高い商品を高価格で販売するためにも、実際にコーヒーの飲み比べを行って美味しい高品質のコーヒーを自ら体験させ、生産者の意識を高めていきました。
特にマヤビニックは以前からコーヒーショップの経営を望んでいました。プロジェクトはショップ開店に向けて動き出します。とはいっても、先住民の組合員たちにカフェ経営の経験はありません。「いい物件がないか」とただ待つだけの彼らを叱咤(しった)して、不動産業者めぐりから始めます。物件が見つかっても今度は、山本教授に資金援助を期待します。しかし、山本教授は頑としてこれを拒みました。彼らが本当の意味で自立するには、援助に依存する意識を断ち切らなければならないからです。
日本の草の根支援は、店舗費用の工面ではなく、コーヒーの抽出技術や接客サービスの研修に対して行われました。店舗経営のノウハウを学んでもらうためにメキシコ市内のカフェで研修を実施。また、日本人専門家を日本から招いた研修や、クレーム処理を学ぶため日本でも研修を行いました。これらの過程では日本のものをそのまま伝えるのではなく、サンクリストバルに適した技術をスタッフで話し合いながら自分たちで考えていきます。その後も、内装、豆の仕入れ価格、コーヒー1杯の販売価格などについて、山本教授と組合員たちは時に激しいやり取りをしつつ議論を交わしていきました。そして、2011年12月、ついに、マヤビニック・カフェがオープンしたのです。
マヤビニックのコーヒーを日本の人々に届けたい
山本教授との出会いによってマヤビニックコーヒーの販売を仕事として始めた女性がいます。杉山世子(すぎやませいこ)さんです。20代で青年海外協力隊員としてアフリカ諸国で活動した杉山さんは、2006年にマラウイで一村一品運動にかかわります。杉山さんはアフリカ諸国での活動を通じて、貧困がどういうことなのかを生活の現場から知った上で、援助するのではなく、彼らと一緒に仕事がしたいとの気持ちが芽生えたと話します。
「日本人は自分が頑張ればどんな仕事にも就けるという希望を持てます。でも、アフリカの人々は違います。どうやっても機会を得られない人々がいる。援助も大切だけれど、私は仕事を創りたい。それが希望になるはずだから。」
アフリカで自分にとっての課題を見つけた杉山さんは20代の終わりに慶應義塾大学に入学し、そこで山本教授に出会いました。途上国の貧困の構造を解き明かしていく教授の講義を受けて衝撃を受けました。研究室に入り、マラウイと大分の一村一品運動の研究を続ける一方で、マヤビニックのコーヒーに魅了されていきます。
2011年、杉山さんはマヤビニックコーヒーを日本で販売する会社を設立。生産者が大切に作っているコーヒーを、栽培する人々を含めた生産地の背景とともに日本の消費者に届ける役割を担っていきたいと考えています。
杉山さんと組合員のツォツィル族の女性たち。マヤビニック・カフェの前で(写真:杉山世子)
互いに学び合うことが人間と事業を成長させる
2013年3月、山本教授は久しぶりにサンクリストバルのマヤビニック・カフェを訪れました。カフェは、試行錯誤を経て、初年度から純利益7.17%を出す黒字経営を達成しました。山本教授がうれしいのはスタッフの成長ぶりです。採用面接のときにオドオドしていた16歳のアンヘリカさんは、今では、堂々と店を切り盛りしています。ついぞ人に逆らったことのなかった若い店長は、「焙煎がよくない!」と工場にクレームを申し立て、ついにはカフェでの自家焙煎を始めました。自分の仕事に誇りと喜びを感じている彼らの姿に山本教授は生計向上というプロジェクトの目的を超えた達成感を覚えたといいます。
こうしてマヤビニック生産者協同組合は、質の高いコーヒーを栽培・加工し、焙煎した上で出荷するだけでなく、自前のコーヒーショップを持つようになりました。豆の栽培だけでは収入がわずかだった彼らが、焙煎・店舗経営といったより付加価値のある仕事に携わるようになったことで収入を増し、さらには仕事に対するやりがいや自信も得ることができました。
「僕も最初から答えが分かっていたわけじゃない。彼らとともに苦闘しながら、互いに啓発し合い、互いに学び合い、そして互いに成長したと思いますね。」山本教授の言葉は、生活のスタイルや価値観が異なるメキシコ先住民と日本人の間でも互いが多く学び合えることを教えてくれます。
※ フェアトレードとは、商品の最低保証価格を設定することで、国際市場の変動(価格暴落など)や自然災害・天候の悪影響によって生産者の収入が極端に減らないよう配慮するセーフティー・ネット機能を果たす試み。
難しいハンドドリップもマスターし、店を切り盛するアンヘリカさん(写真:伊藤泰正)