国際協力の現場から 01
日本とコンゴの友好の架け橋を守り、次世代に受け継ぐ
~ アフリカ最大の吊り橋を維持管理するために ~
専門家の説明を受けるマディアッタさん(右)とカロンボさん(写真:宮本みち子/JICA)
中部アフリカに位置するコンゴ民主共和国では、大西洋に面するバナナ港から、ボマおよびマタディの河川港、そして首都・キンシャサを結ぶ国道1号線が、陸上輸送の重要な役割を果たしています。その中継地である街、マタディの目前にはコンゴ河という大河が流れています。対岸との間を結ぶ唯一の道がマタディ橋(きょう)です。このアフリカ最大規模の吊り橋は、今から30年前、1983年に日本の円借款によって完成しました。
しかし、橋の完成後、コンゴの政治的な混乱によって日本は技術支援の中止を余儀なくされました。現地に残されたのは維持管理のマニュアルのみ。それでもバナナ・キンシャサ交通公団(OEBK)の職員は橋の維持管理を続けてきました。その一人がアンドレ・マディアッタさんです。1974年から橋の建設に携わり、同年、日本での研修も経験しました。マディアッタさんは当時の様子をこう語ります。
「橋を建設していたとき、ずっと日本人と一緒に仕事をしていました。ですから、完成して日本人が去った後も、日本とコンゴの友好の象徴であるこの橋を維持管理しなければならないという責任感を覚えたのです。」
その支えになったのが、橋の建設に携わった日本人たちが組織する「マタディ橋を考える会」でした。会では、OEBKの職員が吊り橋を維持管理できるように技術的な助言を継続してきました。マディアッタさんは日本の支援再開を望み続けていたといいます。
「コンゴの治安が回復したら日本人がまた協力してくれる。その約束は私たちにとって希望であり、その希望によって橋を守る気持ちを高めていったのです。」
2012年3月、JICAによる「マタディ橋維持管理能力向上プロジェクト」がスタートしました。まず、日本人の専門家が現地に入り、OEBK職員と共に橋の検査を実施。橋の管理は行き届いていることが分かりました。ただし、橋梁(きょうりょう)維持管理の抜本的な点検、補修計画の策定、さらには建設当時の技術者の多くが引退していたので、若い技術者の育成が急務となっています。今回のプロジェクトでは、維持管理計画の策定と更新、長期間にわたる維持管理業務についてのマニュアル化を行うことで、持続可能なシステムを構築し、個々の職員の能力の向上を目指しています。
日本での研修では吊り橋という特殊な構造の橋を維持管理するための知識と技術を習得するプログラムが組まれました。研修には30年前の建設工事に従事したOEBK職員のジョセフ・カロンボさんも参加しました。
「日本での研修では本州四国連絡橋の仕組みを学びました。この橋を見学して、日本の技術がさらに発展していることを実感しました。特に吊り橋を支えるケーブルを管理するための除湿技術には驚くばかりでしたね。」
30年前のマタディ橋建設当時は一職員に過ぎなかったマディアッタさんも今では橋の維持管理を統括するメンテナンス局長です。現在は、若い世代のOEBK職員たちと橋の維持管理に当たっています。政治が不安定だった時期は、若いエンジニアたちが橋の管理とは別の業務をするよう強いられるなどの辛い思いをしてきました。しかし、日本による研修が再開したことで状況は変わり始めました。
「日本人の研修のおかげで、若者たちの仕事ぶりにも熱が入るようになりました。彼らが意識を新たにしているのはうれしく感じますね。特に日本で研修を受けた職員は、日本人の持つ深い精神性や技量、高潔さに尊敬の念を抱いています。研修の経験者の間に連帯感が生まれているのも喜ばしいですね。」
コンゴ人と日本人が協力して建造し、守り、両国の友好の架け橋の象徴となったマタディ橋。JICAと共に橋を未来に引き継ぐ若い世代の育成に務めるマディアッタさんは自身の思いをこう語ります。
「コンゴの将来において非常に重要な財産であるこの橋の建設事業に携われたことを誇りに思っています。できる限り長く、この橋を保全する義務を自分は負っていると思います。」
マタディ橋の維持管理に当たるOEBKの職員たち(写真:久野真一/JICA)