援助の現場から 17
ベトナムと共にモザンビークの稲作を改善する
~ 稲作生産向上のための技術改善プロジェクト ~
水利組合役員と灌漑施設工事の打合せをする田村さん(写真:田村政人)
アフリカの東海岸に位置するモザンビークでは、1975年にポルトガルから独立した後も、17年間にわたり内戦が続きました。和平達成後の1994年には民主的な選挙が実施され、平和が定着した90年代後半からは年間6~8%の高い経済成長を遂げています。首都マプトは目覚ましい発展ぶりですが、地方都市周辺の農村地帯は未だ貧困状態にあります。JICAでは2011年1月から技術協力「ザンベジア州ナンテ地区稲作生産向上のための技術改善プロジェクト」を実施しています。同国北部のザンベジア州にあるナンテ地区には、ポルトガル統治下時代に整備された水田が広がっています。しかし、内戦の間に灌漑(かんがい)設備は荒廃し、ほとんど機能していません。今回の技術支援では、現地に合った農業技術を開発し、農民を巻き込みながら灌漑施設を改修し、継続的な農業を可能とする地域力の向上を目指します。
特筆すべきは、JICAでもアフリカ大陸では初めてのベトナムとの三角協力※で実施されていること。日本はプロジェクトの進行や財務を管理し、アジア有数のコメづくりの国、ベトナムの専門家が稲作の技術指導を担当します。モザンビークとベトナム南部はともに熱帯国。気象条件も似通っており、ベトナムの稲作技術はかなりの部分が応用できるといいます。対象地域であるナンテ地区では、田んぼを整備し、試験用の稲作を行っています。しかし、農機具はほとんどありません。ベトナム人の専門家たちは、竹を切り出して自分たちで耕作用の道具を作りました。灌漑用ポンプがなければバケツにロープを括(くく)り付けて器用に水を汲み上げていきます。
プロジェクトを統括するJICAの田村政人(たむらまさと)専門家はこう語ります。「ベトナムも発展途上国。専門家たちは自国でも苦労をしながら農業指導をしているのでしょう。そんな彼らだからこそ、道具がない不便な状況でも農作業を進められました。先進国の専門家だったら音を上げていたと思いますね。」
ベトナム人専門家による農家に対する稲作研修実施(写真:田村政人)
試験圃場(ほじょう)の田植えは2012年の1月に行われました。プロジェクトの本部がある街から現場までは約45キロ。専門家たちは朝5時に起きて、1時間かけて現場に向かいます。しかし、悪天候が続き道路は通行不能に。本来であれば1日で終わるはずの田植えは3週間かかりました。ベトナムにとってもJICAと共にアフリカの国を支援するのは初めての経験です。派遣された専門家たちは「失敗はできない」と意気込んでいます。あるとき、栽培中の稲に害虫が発生しました。根がまじめなベトナム人専門家たちは、このままでは稲がダメになってしまうと恐れるあまり「本国から農薬を取り寄せて散布してもいいですか?」と田村さんに詰め寄りました。自身も農業の専門家として35年以上にわたり国際的な農業支援に携わってきた田村さんは彼らに、「農薬を撒(ま)いたら、水路の魚はすべて死ぬ。農民は魚を食べているんですよ。」と説明しました。そして「農薬はまかなくていい。何かあったらすべて責任はとります。」と言うと、ベトナム人たちはようやく落ち着きを取り戻したそうです。
5月、試験圃場で初めての稲が実りました。収穫量は、1ヘクタール当たり7~8トンに上りました。現地の人々の栽培方法と比べ2~3倍の収穫量を達成したのです。ベトナム人専門家たちの地道な努力と実際の収穫によって、現地の農民たちの意識も変わり始め、積極的に意見が出されるようになりました。田村さんはプロジェクトの目標をこう語ります。「灌漑施設が整備され、組織的に農業を行う体制が整えば、日本以上に米を収穫できる環境があります。成果の大きなプロジェクトは周辺地域にも波及し、低予算なのでモザンビークの農業省が国全土に広げることも可能です。2年後にプロジェクトが終了したときに、現地の人々が『自分たちでも十分にできる!』と自信をつけてくれることを目指しています。そして、おいしい米を栽培してブランド米にすることで、量だけでなく収益も高め、生活を向上させてほしい。その成果はベトナムの自信にもつながるでしょう。」
日本とベトナムの初の共同支援でモザンビークの稲作改善が大きく前進しようとしています。
※ 開発における途上国間(モザンビークとベトナム)の協力(南南協力)において、援助する側の途上国(ベトナム)に能力上の制約がある場合、日本のような先進国が技術、資金、援助の経験・知識などを補う。これを三角協力と呼ぶ。