援助の現場から 1
田んぼで魚を養殖し、農村の生活が向上
~ ミャンマーでの小規模養殖の普及事業 ~
水産局職員と巡回指導する高橋さん。手にしているのは村人が収獲した魚の唐揚げ(写真:高橋信吾)
1988年に社会主義政権が崩壊した後も軍事政権による統治が続いてきたミャンマーでは、2011年3月に発足したテイン・セイン大統領の政権の下で、民主化が進んでいます。ミャンマーで農村開発の活動を続けてきた人物にJICA技術協力プロジェクト専門の高橋信吾(たかはししんご)さんがいます。高橋さんは水産業の専門家で、これまでもアフリカ諸国やカンボジアで漁業指導を行ってきました。2005年にJICAの漁業政策アドバイザーとしてミャンマーに入り、どのような支援が可能かを模索してきました。高橋さんは当時をこう振り返ります。「軍事政権は表向き『我が国には貧困などない』といっていました。最初は農村に入るのさえ難しかったですね。」
ミャンマーの人口の8割は農民です。農民は、自給自足に近い生活をしており、現金収入はほとんどありません。淡水魚が貴重なタンパク源ですが、近年は乱獲や需要の増大のために天然魚の収獲量減少も懸念されています。そこでJICAでは、2009年6月から同国南部デルタ地帯の5市町区で「小規模養殖普及による住民の生活向上事業」をスタートしました。
このプロジェクトは農村にある小さな溜め池や水田で淡水魚を養殖し、低コストの投資で農家の生計を増やすものです。水田での養殖は「稲田養殖(とうでんようしょく)」といって魚がイネの害虫を食べ、土を撹拌することからコメの収穫量も上がります。収獲した魚は生産者が食べ、余った魚は村内で売って現金収入にしていくのです。農村の人々は長い軍事政権下での経験から、政府のいうことを簡単に信じようとはしません。一方でミャンマーでは日本人はとても信頼されています。高橋さんが水産局の職員と共に農村に入ることで、村人はプロジェクトへの信頼感を高めたといいます。
農家の現金収入源となる養殖魚の収獲を喜ぶ農民たち(写真:高橋信吾)
プロジェクトではまず、村の池や学校の池などで養殖を行い、魚の成長をモニタリングしてきました。管理は村人自らが行います。ミャンマーでは5月から雨季が始まり、天然の雨水によって池や水田の水が満たされていきます。水が溜まると養殖の開始です。10グラムほどの稚魚は10か月すると400グラムぐらいにまで成長します。養殖の成果が上がるにつれて、プロジェクトの参加に手を挙げる村人たちは少しずつ増えていきました。関心の高い農家は「中核農家」として選定し、魚の稚魚である「種苗(しゅびょう)」の生産を任せていきます。中核農家が村に種苗を供給する役目を担い、情報を発信していくことで、自立的な小規模養殖が普及していくのです。
しかし、プロジェクトのスタート時は困難の連続でした。稚魚を放流した次の日に天候の急変による大水で魚すべてが流れてしまう。上流地域で予告なしにダムの放水が行われ、水田の水が溢れる。養殖と稲作では担当する行政機関が違い、プロジェクトがなかなか進行しない。理不尽なことが多くても、高橋さんのやる気を支えたのはミャンマーの人々でした。「水産局の職員も基本的にはこの国をなんとかしたいと考えています。彼らの真面目さ、誠実さにふれるとこちらも一所懸命になる。そして、村人たちは、私たちを家族同然として扱ってくれます。そんな温かい気持ちがこの国にはたくさん残っているのです。」
高橋さんの苦労も実り、村人たちの間でも自発的な意識が芽生え始め、工夫を凝らして養殖に取り組むようになりました。村人が得意げに「こうやるといいんだよ」といってくれるのを高橋さんも楽しみにしています。最近では、周辺の村からも小規模養殖を導入したいという申し出も聞かれるようになりました。
「この国には人と人のつながりを大切にする『相互扶助』の価値がまだ残っています。開発によってその価値が変化することは避けられません。大切なのはバランスです。急速に開発することばかりが良いことだと思いません。だからこそ、小規模養殖のような農民の生活のレベルを少しずつ底上げする開発が必要なのです。」急速な民主化と外国資本や援助への門戸開放を進めるミャンマー。敬虔な仏教国の良さを保ちながらの開発を高橋さんは切に願っています。