〜日本の支援による孤児院からの新たな旅立ち〜
スマン・ダスさん育った孤児院にて
(写真提供:樋口さん)
インド東部の中心都市コルカタ(旧名:カルカッタ)は、貧困などによるストリートチルドレンが社会問題となっています。
スマン・ダスさん(24歳)は、日本の草の根・人間の安全保障無償資金協力による支援で建設されたNGO運営の孤児院「ドンボスコ・アシャラム」を巣立ち、現在、コルカタの日本総領事館の運転手として活躍しています。
スマンさんは、叔父、実母からの度重なる虐待から逃れるため、6歳の時に、バングラデシュの実家を出て、ストリートチルドレンとなりました。その後インドに入国しましたが、路上の暮らしでは、虐待や人身売買の危機にさらされたり、鉄道の駅で暗躍するギャングに仲間入りせざるを得なかった時もありました。
しかし、スマンさんの人生は、ある日、教会の修道女に出会った時から大きく変わりました。NGO運営の孤児院「ドンボスコ・アシャラヤム」で暮らすことになったからです。
「孤児院の生活は、映画もテレビも音楽もなくて最初は退屈でした。駅で生活していた頃は何もかもが自由でした。でも、孤児院では、路上生活をやめて、家庭生活を営まなければならないと教えられました。」とスマンさん。
館用車とともに
スマンさんが孤児院に入った頃は、孤児院の建物は劣悪で掘っ立て小屋同然でした。トイレも電気もなく、孤児院で働く職員の作業場すらないほど狭く、建物のみすぼらしい外壁からは、毒ヘビが侵入してくる恐れもありました。
しかし、1999年、日本政府がコルカタの総領事館を通じて行った草の根・人間の安全保障無償資金協力により、孤児院は大きく生まれ変わりました。子どもたちが安全に暮らすことのできる清潔な宿舎、勉強に専念できる勉強部屋、ロウソクやチョークの製作そして製本といった職業訓練を行う実習室、栄養のある食事を提供する食堂がすべて新設されました。
スマン少年にとってこれが、日本との最初の出会いでした。スマンさんは、徐々に日本への関心を募らせていきます。「日本の総領事が大型の日本車で孤児院に到着したときは、子供たちは皆その大きな車にあこがれました。自分もいつかあんなかっこいい車に乗りたい、と運転手を夢見ました。」と当時を振り返ります。スマン少年は一生懸命勉強し、小学校では優秀な成績を修め、UNICEFやマザーテレサから賞を授与されるほどになりました。「私は、日本の皆さんのおかげで、読み書きや社会生活の基本を身につけることができました。それから、日本の空手も習いました」。
成長したスマンさんは、外国でのコック修行を経てコルカタに戻りましたが、運転手の夢断ち難く、コルカタ最高級ホテルの運転手となりました。2007年8月、安倍晋三総理大臣(当時)がコルカタを訪れた際、ホテル付運転手として総理一行の送迎に参加しました。これをきっかけにスマンさんは、日本との関わりを再び持ちたいという強い思いにかられるようになりました。そして、翌月、早速欠員のあった在コルカタ日本総領事館の運転手試験に応募しました。面接試験では自分のかつての日本との関わりにはあえて触れず、運転技術と人柄で競争率50倍の難関を突破しました。
晴れて総領事館の運転手となったスマンさんは、2008年4月、総領事館の同僚たちが祝福する中、同じ孤児院出身の女性と結婚し、現在では幸せな家庭生活を営んでいます。孤児院のおかげで路上生活に終止符をうち、日本を知り、運転手になるという夢を見つけたスマンさんは、その夢に導かれて日本の総領事館の職員となりました。日本とインドの架け橋となれるよう、しっかり仕事をしていきたいとスマンさんは話しています。