コラム① 「三本立て」で強い農業を

〜アマゾン流域の農業を守る日本の知恵―アグロフォレストリー〜

トメアスの経験を世界へ


アグロフォレストリーの普及に奔走するコナガノ氏。
カカオの木の下で(撮影:永武ひかる)

ブラジルは、2008年に日本人移住100周年を迎えました。現在、ブラジルの日系人は約150万人を数え、日系人全体の半数以上になります。各地で移住100周年を記念する行事が催され、日本とブラジルの友好関係は深まっています。

日本人移住者はブラジル各地に移り住み、アマゾン川流域にも入植しました。1929年、アマゾンの河口、パラ州ベレンから南方に約230km入った内陸に位置するトメアス郡へも移住が始まりました。トメアス郡では、当初は米や野菜などの園芸作物を生産していましたが、1950年代にアジアから持ち込んだ胡椒が大成功し、胡椒御殿が建つほどの盛況振りとなりました。ところが、1960年代になって、胡椒の病気がまん延し、トメアスは壊滅的打撃を受けてしまいます。鹿児島県から2歳の時に移住し、現在トメアス郡農業局長を務めるコナガノ・ミチノリさんも「2,000本あった胡椒は全滅し、家族は日本に帰ることを決心、準備をしたが土地が売れず、結局残った。小学校も5年までしか行けず、大変な思いをした。」と当時を振り返ります。その後コナガノさんは苦しい日々を懸命に生き抜いてきました。

そのコナガノさんに転機が訪れたのは1980年頃、日本人の技術者に「三本立て」の話を聞いてからです。「物事は、3本立てれば簡単に倒れることは無いと教わり、これだと思った。それから胡椒やカカオ、パッションフルーツなどのいろんなものを畑に植えていった。」。こういった色々な作物を同時に植える農業は、今日アグロフォレストリーと呼ばれており、環境保全にも有効なものとして注目されています。しかし、開始から10年間は失敗の連続で、なかなか軌道には乗らず、試行錯誤を重ねることで徐々にアグロフォレストリーの方法を確立していきました。


第三国研修コナガノ氏による
アグロフォレストリー講義風景

日本は国際協力機構(JICA)による協力を通じ、これまでにトメアス移住地に対する農業技術の移転やベレンにあるブラジル農牧研究公社(EMBRAPA())との間でアグロフォレストリーの研究協力を実施してきました。そして、2006年度からはEMBRAPAなどと協力して第三国研修を開始し、ベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビアなどの近隣諸国の技術者や普及員を招いたセミナーを開催しました。これらのセミナーでは、欠かさずトメアスにも訪問しています。各国からの研修員にとってもトメアスのような成功事例を見ることは大いに参考になるとされています。

コナガノさんはトメアスの農業技術の向上のため、アグロフォレストリーの普及に奔走しています。15年程前から近隣農家に種を配ることを始め、今では求めに応じて各地でセミナーも開催しています。コナガノさんは、トメアスの経験を近隣の農家だけでなく、他の中南米の国々や遠くアフリカにも伝える希望を持ちつつ、アグロフォレストリーの普及に奔走する日々を送っています。