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第2節 主要援助国・機関のODAの概要

1 米国

(1)援助政策等
(イ)米国では、8年間にわたる民主党政権に代わり、2001年に共和党のブッシュ大統領が就任し、同年春頃から共和党色の強い新政策が次々と打ち出された。さらに、同年9月11日に発生した同時多発テロもあり、2002年3月には開発援助50%増を打ち出すなど、米国の援助政策は大きく変貌することとなった。
(ロ)新政権がまず着手したのは、国際開発庁(USAID:United States Agency for International Development)の再編である。ナツィオスUSAID長官は2001年4月に米上院で承認を求める際の証言で、USAIDが国務長官に報告し指示を仰ぐと述べ、援助を外交目的のため実施するとの方針を明確に示した。
(ハ)同長官は、同年5月の上院証言では、USAIDの「4つの柱」(援助の実施方法の柱としての「グローバル開発アライアンス(GDA)」、そしてプログラムの柱としての「経済成長と農業」、「グローバル保健」、「紛争予防と開発救援」から構成)を発表した。これは、外交政策のツールとしての自らの効果を高めるため、主要な活動目的と方法とを明示し、既存の予算項目を横断する形で柱を提示することとしたものである。さらに、組織面でも、これらの柱に応じた形で部局が再編され、政策立案を担う局に予算調整権限を与えてその機能を強化すると共に、GDA事務局及びプログラムの柱に相当する3つの局が新設された。
(ニ)同年7月、ブッシュ大統領は、世界銀行本部での演説において、国際開発金融機関による最貧国支援のグラント部分を50%まで引き上げること、及びそれを教育、保健等の分野に振り向けることを提案した。そして、国際開発協会(IDA)13次増資交渉で米国は強硬姿勢をとり、欧州と対立した(結局、本問題は2002年7月にグラント化率を全体の18-21%とする方向で決着した)。
(ホ)また、同時多発テロの結果、米国はテロへの闘いを多方面で強力に展開することとなったが、これは貧困と開発の問題に対する米国の認識と政策に深い影響を与えることとなった。2002年3月、ブッシュ大統領は、モンテレイでの開発資金国際会議開催前の米州開発銀行本部での演説で、「開発のための新たな約束」と名づけられる新たなイニシアティブを発表した。この主要点は以下のとおり。
 [1]今後3年度内(2004年度から2006年度まで)に、米国の開発援助を50%増額し、最終的に年額50億ドル増の水準に到達させる。
 [2]この増額分は、「ミレニアム挑戦会計(MCA:Millennium Challenge Account)」という新たな特別会計とされ、良い統治、人材育成(保健・教育)、健全な経済政策という3分野での強いコミットメントを示した国に配分される。国務長官と財務長官は、国際社会と対話しつつ、これら3分野での進展を測り、明確で具体的かつ客観的な基準を作成する(2002年11月、ミレニアム挑戦会計は既存の省庁とは別に新に設立される「ミレニアム挑戦公社(MCC:Millennium Challenge Corporation)」が管理し、閣僚級の理事会(議長は国務長官)がその監督をすることが発表された。同時に、対象国の選定基準が明らかにされた)。
(へ)2002年9月に発表した国家安全保障戦略では、開発の推進に1項目が割かれ、貧困の削減を米国の対外政策の最優先事項と位置付けて、ミレニアム挑戦会計のほか、世界銀行等援助効果増大、貿易自由化、保健、教育、農業等への取組を強化するとしている。
(ト)ブッシュ政権における各種開発援助イニシアティブ
 [1]イラク、アフガニスタン復興支援
 ブッシュ大統領は、2003年9月7日、203億ドルの対イラク復興支援及び8億ドルのアフガニスタン復興支援を含む対テロ戦争2004年度戦時補正歳出法案を議会に提出することを発表した。議会においては、イラク復興支援に関し、全額贈与とするか一部借款とするかにつき意見が分かれたが、最終的には、総額としては政府要求より削減されたものの、186億ドルが全額贈与として承認された。また、アフガニスタン復興支援については、12億ドルに増額された形で承認された。
 イラクについては、治安の十分な改善が見られない中で2004年9月、イラク復興支援経費の一部を、電力、水衛生といった分野から、治安・雇用創出といった分野へシフトする方針を発表した。
 アフガニスタンについては、2004年3月及び4月にベルリンにおいて開催された国際会議において、その準備過程も含め主導的役割を果たした。また、同会議において2004会計年度については10億ドルの新規プレッジを含め22億ドルの支援を行うことを表明した。なお、現在までの米のアフガニスタン復興支援は、2005会計年度分の47億ドル以上を含め、92億ドルを超える水準に達している。
 [2]ミレニアム挑戦会計(MCA)
 このイニシアティブについては、議会における審議が長引いたものの、2004年1月にミレニアム挑戦法が成立するとともにミレニアム挑戦会計初年度の予算として10億ドルが承認された。その後、2月には最初のMCC理事会が開催され、5月には2004会計年度の16のMCA適格国注1)が発表された。2005年会計年度のMCA適格国として新たにモロッコが加わった。
 2005年に入ると、4月にマダガスカルと最初の合意を締結し、6月にはホンジュラス、7月にはカーボヴェルデ、ニカラグアと合意する等、MCAにようやく本格的な動きが見られるようになってきた。
 しかし、MCAの立ち上がりに時間がかかったこともあり、予算については当初の予定ほど議会の承認が得られていない。2005会計年度は25億ドルを要求したものの、15億ドルしか認められず、2006会計年度では2002年3月にブッシュ大統領が50億ドル規模を目標とすると表明したにもかかわらず、政府要求の段階で30億ドルの要求にとどまっている。
 このイニシアティブは、援助量、援助手法の観点から、被援助国のみならず、他の援助国にも大きな影響を与える可能性があり、今後の運用が注目されている。また、MCCとUSAIDが、互いにどのような協力関係の下で米国の開発援助を実施していくのかについても関心が高まっていたが、両機関は相互に密接に協力しつつ、USAIDは特に敷居国プログラム(もう少しでMCA適格国になりうる国がMCA適格国となれるよう支援するプログラム)において中心的役割を担うこととされている。
 [3]大統領エイズ救済緊急計画(PEPFAR)
 2003年1月、ブッシュ大統領は、5年で150億ドルのPEPFARを発表するとともに、初年度の2004年度は20億ドルを議会に対して要求した。5月には、「エイズ・結核・マラリアに対する米国リーダーシップ法」が成立し、5年間で150億ドルのエイズ対策の支出が可能となるとともに、資金配分や関係省庁間の調整等を行うグローバル・エイズ調整官が国務省内におかれることとなった。また、2004年度については、議会における審議の結果、政府要求よりも4億ドル増額され、24億ドルが承認された。これは、ミレニアム挑戦会計が、政府要求よりも削減された形で承認されたのと対照的であり、議会のエイズ対策への強い支持を示すものであった。
 本件イニシアティブでは、重点15か国注2)を中心に、5年間で200万人のHIV/エイズ患者への治療支援、700万人を対象とした感染予防、孤児を含む1,000万人の感染者への治療支援を達成することを目標としている。
 [4]リベリア
 2004年2月、ニューヨークにおいて、国連、世界銀行とともにリベリア国際復興会議を主催し、米国は2億ドルの支援を表明した。
 [5]スーダン
 2005年4月、オスロにおいて開催された支援国会合において、米国は2004会計年度の6億3,000万ドルのスーダン支援に加え、総額17億ドルの支援を表明した。
 [6]グルジア
 2004年5月、ブラッセルにおいて行われたグルジア支援会合において、米国は2004年中の1億6,000万ドルの支援及び議会の承認が得られることを前提とした毎年1億ドルの支援(2005及び2006会計年度)を表明した。なお、グルジアはMCAの適格国に選ばれており、米国の対グルジア支援は今後大幅に増加する可能性がある。
 [7]ハイチ
 2004年7月、ワシントンにおいて行われたハイチ支援国会合において、その準備過程でリーダーシップを発揮するとともに、2004及び2005会計年度に2億3,000万ドルの支援を表明した。
 [8]津波被災支援
 2004年末から2005年初頭にかけて、米国の対外援助政策で注目された動きは、津波被災支援であった。米国は、津波被害発生後直ちに、日本、オーストラリア、インドとともにコアグループを結成し、緊急人道援助の調整において主導的な役割を果たした。
 米国は緊急人道援助として、3億5,000万ドルの支援を表明したほか、復興支援も含めた支援として約9億ドルをコミットした。
 津波被災支援に関しては、ブッシュ大統領はブッシュ元大統領及びクリントン前大統領を動員して、広く民間よりの募金を呼びかけた。民間募金は、最終的には10億ドルを越える額が集まったと言われている。
 [9]対アフリカ支援
 2005年はG8プロセスにおいても、国連のプロセスにおいても、アフリカ開発に焦点があたっているが、米国もここ数年アフリカに対する支援を強化している。2000年と比較して、2004年には米国はアフリカに対する援助を3倍増している。また、米国の新しい開発援助イニシアティブであるMCA、PEPFARとも、アフリカ諸国が対象の中心となっている。6月には、ブッシュ大統領がアフリカの人道危機に対応するために、6億7,400万ドルの追加支援を発表したほか、5か国注3)の大統領を招いて、アフリカ成長機会法(AGOA)が米・アフリカの貿易を増大させ、アフリカの貧困削減に大きく貢献している旨発表した。
 [10]援助量及び革新的資金メカニズムについての考え方
 2005年1月に発表されたミレニアム・プロジェクト・レポート等を契機として援助の量についての議論が盛んに行われた。こうした中で、米国は、いくつかの国については援助量を拡大するのに適した国があることを認める一方で、援助量に過度に焦点を当てる姿勢に懐疑的立場を示し、開発途上国のオーナーシップ、ガバナンス、援助の効率性等、モンテレイコンセンサスを重視すべきであるとの主張を行っている。
 欧州諸国が革新的資金メカニズムとして主張しているIFFや国際税といった構想については、米国は自国の予算制度と合わないこと等を理由に一貫して反対している。
 [11]ブッシュ政権2期目の対外援助政策
 ブッシュ政権1期目に、MCA、PEPFAR等のイニシアティブを打ち上げたこともあり、2005年からの第2期目はイニシアティブのフォローアップが重要な課題である。さらに、ブッシュ大統領が二期目の就任演説で、自由と民主主義を世界中に普及する重要性を強調したことを受け、ナツィオスUSAID長官は、講演において、ブッシュ政権2期目の対外援助政策の優先事項として民主化支援、ガバナンス支援を位置づけている旨表明した。
(チ)日米援助協調
 日米間では、従来より日米保健パートナーシップ、日米水協力、アフガニスタンにおける幹線道路の建設等各分野、プロジェクトごとに協力してきているのに加え、2003年11月より次官レベルの日米援助戦略対話を実施しつつ、援助政策の調整を行っている。さらに、2005年3月、ライス国務長官が訪日した際、日米両国は戦略的開発協調を進めていくことについて見解の一致を見た。
 人道問題への対応についても、2004年12月に、局長レベルの人道問題に関する日米定期協議の第1回会合、2005年6月に第2回会合を開催し、こうした分野での協力関係を強化してきている。

(2)実施体制
 二国間援助は、資金協力、技術協力ともに基本的にUSAIDが国務省と密接に協議の上実施してきているが、こうした既存の組織に更にMCCが加わっている。USAIDは援助プログラムの実施を専門省庁に委託することもある。国際機関を通じた援助のうち、世界銀行や地域開発銀行等の国際開発金融機関については財務省が管轄し、国連専門機関については国務省が管轄している。なお、国際開発金融機関を通じる援助の場合も、外交政策の観点から国務省が関与する。
 USAIDの特徴は、海外事務所に多くのスタッフを置き、具体的な援助実施の権限が現地事務所に委ねられている点である。なお、2004年9月末現在のUSAIDの職員総数は8,117人であり、うち本官が2,345名(4分の1は在外勤務)、現地採用は5,772名等となっている。

(1)ODA上位10か国

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(2)地域別割合の推移(外務省分類)

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(3)分野別割合の推移

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