前頁前頁  


columnII-11 ソロモン諸島における有機農業振興プロジェクト

 「2000年6月5日、ソロモン諸島ホニアラ市において、ウルファアル首相(当時)がマライタ系武装組織などによって軟禁され、これを受けて、在留邦人60名はホニアラからニュージーランドの艦船等で国外退避しました。」
 このニュースを、遠く離れた東京で、ソロモンの人々を案じながら聞いていた青年がいました。ソロモンの元青年海外協力隊員であったその青年は、部族抗争に心を痛め、勤めていた会社を辞めて、NGOを設立したのです。そして2年後、草の根無償資金協力の申請のためにプロジェクトを携え、在ソロモン日本大使館を訪れることとなります。(その後、日本NGO支援無償資金協力の案件として承認。)
 ソロモンは、人口増加率が年間3.4%の世界有数の人口爆発地域です。これまで、マライタ島民は、豊富な魚、芋類、バナナなどのフルーツ類、椰子の実などの豊かな自然に育まれながら自給自足の生活を営んできました。しかし、近代化が進み、貨幣経済が浸透化するとともに、マライタ島の人々はよりよい生活と職を求めてガタルカナル島のホニアラに移住していきました。移住マライタ人と先住のガタルカナル人との争いが中心で始まった部族抗争は、豪州を中心とした域内諸国の支援により沈静化しつつありますが、マライタ島は依然として人口が多く、将来の世代に食料を供給していくためには食料増産を高い率で維持していく必要があります。
 こうした状況の中で、この日本のNGOは、マライタ州に、PERM Cultural Centre(PERM Culturalとは、英語のpermanent(永続的)とagriculture(農業)と文化(culture)の合成語。)という、持続可能な有機農業開発を目的とするセンターを設立しました。2004年2月に行われた開所式には、モリ・マライタ州知事をはじめ、多くの市民が出席し、日本に対して多くの謝辞が述べられました。このセンターは、地元の人々と運営するために農業に関心のある若い世代に広く門戸を開くもので、NGO、日本の民間会社、そして日本政府の支援により、すでに16人の指導員を有するなど着実に成果を上げつつあります。百を超える小さな島々からなるソロモンは、火山と密林に覆われているため、耕地拡大には土地に限りがあり、化学肥料を使用した場合に環境破壊が懸念されます。このプロジェクトは、マライタ島において食糧の増産を進めることにより、よりよい生活や雇用の創出が実現され、島民が移住する必要がなくなるよう、また、マライタ島で環境問題が発生しないよう、有機農法による稲作を一つの回答として示そうとしているのです。
 このプロジェクトには、3つの隠れたエピソードがあります。1つ目は、現在、順調にプロジェクトが進んでいる背景として、部族抗争前にこのセンターが所在するフィウ村において、協力隊員が稲作指導を行っていた経緯がありました。2つ目は、現在日本国内でこのプロジェクトの様子が同プロジェクトに参加した民間企業のCMで放映されていますが、この民間会社にソロモンで活動していた元協力隊員が働いているそうです。そして、3つ目は、現在フィウ村で稲作指導をしているNGOの青年専門家は、このセンターの開所式に合わせてフィウ村のシンデレラという名前の可愛い女性とめでたく結婚し、村人や在留邦人から祝福されたということです。
 このように、元海外青年協力隊員という強力な絆を中心とした、NGO、民間企業、そして官という三位一体のこのプロジェクトは、ソロモンの平和の定着に貢献し、これからもソロモンと日本の協力関係を築き上げていくことでしょう。

フィウ村で農作業をするセンターの若者達
フィウ村で農作業をするセンターの若者達


前頁前頁