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東ティモール民主共和国
■基礎情報
1.面積 約1万4,900平方キロメートル(首都4都県(東京,千葉,埼玉,神奈川の合計面積)とほぼ同じ大きさ)
2.人口 約107万人(2010年,暫定値)(出典:東ティモール国家統計局)
3.首都 ディリ
4.民族 テトゥン族等大半がメラネシア系。その他マレー系,中華系等,ポルトガル系を主体とする欧州人及びその混血等。
5.言語 国語は,テトゥン語及びポルトガル語。実用語に,インドネシア語及び英語。その他多数の部族語が使用されている。
6.宗教 キリスト教99.1%(大半がカトリック),イスラム教0.79%
7.略史
16世紀以前 リウライ(王)が割拠し,王国が乱立。
16世紀前半 ポルトガル,東ティモールに白檀を求めて来航,ティモール島を征服。
17世紀半ば オランダ,西ティモールを占領。
1701年 ポルトガル,ティモール全島を領有。
1859年 リスボン条約で,ポルトガルとオランダの間でそれぞれ東西ティモールを分割。
1942年 日本軍,ティモール全島を占領。
1945年 第2次世界大戦終了後,ポルトガルによる東ティモールの支配が回復(西ティモールはインドネシアの一部としてとして独立)。
1974年 ポルトガル本国でクーデターが発生し,植民地の維持を強く主張した旧政権の崩壊に伴い,東ティモールで独立の動きが強まる。
1975年 独立派(フレテリン等)と反独立派の対立激化。フレテリンが東ティモールの独立を宣言した後,インドネシア軍が東ティモールに侵攻し制圧。
1976年 インドネシア政府,東ティモールを第27番目の州として併合を宣言。
1991年 11月,サンタクルス事件発生(インドネシア軍による独立派虐殺事件)
1998年 5月,スハルト・インドネシア大統領が退陣,ハビビ副大統領が大統領に就任。インドネシアは,東ティモールの独立容認へ方針転換。
1999年 6月11日,国連安保理は国連東ティモール・ミッション(UNAMET)設立を決定する決議1246を採択。
8月30日,独立についての直接投票実施。
9月4日の結果発表直後から,独立反対派の破壊・暴力行為が急増し現地情勢は急激に悪化。
9月15日,国連安保理は多国籍軍(INTERFET)の設立を認める決議1264を採択。
10月20日,インドネシア国民協議会は東ティモールからの撤退を決定。
10月25日,国連安保理は国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)の設立を決定する決議1272を採択。
2000年 7月,東ティモール暫定政府(ETTA)発足
10月,国民評議会(National Council)発足
2001年 8月30日 憲法制定議会選挙実施
9月20日 東ティモール行政府(ETPA)発足
2002年 3月22日 憲法公布
4月14日 大統領選挙実施,グスマン氏が当選
5月20日 東ティモール民主共和国独立
9月27日 国連加盟
2005年 4月28日 国連安保理は国連東ティモール事務所(UNOTIL)の設立を決定する決議1599を採択。
2006年 4月28日 離脱兵による抗議活動に関連し暴力行為が発生し政府は軍を投入。
5月初旬~ 憲兵隊員が国軍から離脱,国軍本部等を襲撃。
5月25日 豪,ポルトガル,NZ,マレーシアは、東ティモール政府の要請を受け国際治安部隊を派遣。
6月26日 アルカティリ首相辞任。
7月10日 ラモス=ホルタ外相が首相就任。
8月25日 UNOTIL任務終了。国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)の設立を決定する決議1704を採択。
2007年 4月9日 大統領選挙実施。
5月9日 大統領選挙決選投票実施。
5月20日 ラモス=ホルタ前首相が大統領就任。
6月30日 国民議会選挙実施。
8月8日 グスマン前大統領が首相就任。
2008年 2月11日 ラモス=ホルタ大統領及びグスマン首相襲撃事件発生。ラモス=ホルタ大統領重傷を負う。
2月12日 非常事態宣言発出
5月8日 非常事態宣言解除
東ティモール民主共和国 国旗
地図
※2011年6月現在    
   
■その他の情報    
1.気候帯 高温多湿の熱帯性気候
2.関連サイト ・外務省ホームページ 国別基礎データ
・JICAホームページ(国別生活情報)(PDF)PDF (他のサイトヘ)
※1:「データブックオブザワールド2003(二宮書店)」より    
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