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南アフリカ滞在は、極めて短いものだったが、川口外務大臣のアイデアで生まれた政府顧問団の一員として参加させていただいたこともあり、有意義で、考えさせられることの多いものであった。 1992年のリオ会議から10年経過した。この間の最大の状況変化は、世界の人口が60億人を超えたことだが、それに伴うようにして、あらゆる面で格差が拡大し、地球環境問題がより深刻化している。一方で、会議全体での議論の状況を聞くと、要のところになるとなかなかまとまらないという。参加国がこれほど多く、かつ、これほどあらゆる面での格差が大きいのでは、ごく普通に考えると、物事がまとまるはずはない。当然のことながら、参加各国は、世界全体を考えると同時に、自国の利益も考えているのだからなおさらだ。何か纏らないといけないものだと考えずに、お互いの違いや、共有できる点を理解しあい、少しずつでもお互いに近寄ってゆくのが現実的なのではないかと考える。 会議で、欧州の主張を聞いているとかっての植民地統治時代の知恵が活かされているように見えてならない。何と言っても、まずは、先手を取って提案をする。自ずからまわりは受身になる。ここから交渉が始まるという図式である。 この植民地統治は決して昔のことではない。今回の開催国南アフリカでさえ、英国からの独立は、ボーア戦争終結の8年後の1910年ではあるが、本当の自立的独立は、4月27日のFreedom Day が1994年に始まったことが示すところだ。17世紀あたりからつい最近まで続いたこうした欧州各国の海外関係国統治の巧みさが遺伝子のようにして欧州の人達の中に残っているのではないかと思う。 ところで、あるアメリカの調べによると南アフリカの乳幼児死亡率は、1000人に60.33人(1999年)。日本の現在は、3.4人。今の南アフリカと同じ状況は、1950年(昭和25年)の60.1に遡る。平均寿命で見ると日本の1930年頃とほぼ同じレベルだ。GNPなどのマクロ経済指標で乱暴に比較してみると現在の南アフリカの経済状況は、日本の1960年頃のように見える。再度乱暴に言うと日本だって4,50年前は、現在の南アフリカと同じ発展途上国だったと言うことだ。つい最近までそうだったのだ。歴史的に見て、先進国の中で最も最近まで途上国だったのは日本なのだから、その間の失敗を含めた様々な経験は、これから発展する地域や国に必ずや役に立つのではないかと思う。 もうひとつ強烈に感ずるところは、日本が豊かなのだということである。国内では、デフレ下で、失業者も増えているうえ、混迷の中で、多くの国民がストレスの多い状況の中にいる。しかし、それでも、日本は、世界の中で数少ない豊かな国のひとつなのである。私自身を含めて関係者は、このことを広く日本の国民に知らさなければならないと考える。国民のそうした理解があって初めて、ODAを始めとする国際社会への様々な貢献策についての理解が進み、広い支持が集まるものと思う。 WSSD政府代表団顧問 桝本晃章(経団連) |
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