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2002年9月3日 (1)に関連して、本会議と交渉会合へは4回ばかり参加したが、いずれも政府側から支給された入場パスのおかげで、サントン本会議場へは三箇所で日本の国内・国際空港場でみられるような簡単な荷物検査を経て問題なく入場できた。小泉首相が演説した昨日の本会議場への入場は各政府代表団への割り当て枠が今まで以上に限定されたために(ちなみに日本の枠は20席)、本会議へ参加することは出来なかった。さて、一回目はとてつもなく大きな会議場における各政府代表団による各部門別の「1992年のリオ会議以降における各国が実施してきた政策とその実績評価と今後の計画」の発表であった。会議場には政府関係者以外に、多くの地方自治体、労働組合、協同組合、民間企業、NGO代表者が参加していたが、顧問として小生は日本政府代表団席にて各国政府による発表耳を傾けた。内容的に充実していた発表をしていたのは、小生が参加した時点では一般的に先進国と一部の移行経済国(ポーランド、ハンガリー)や大きな途上国(アルゼンチン、ブラジル、中国、インド、南アフリカ)等であった。 第二回目は、同じ本会議場における国連地域経済社会委員会の長による同種の発表であった。さすがに国際機関による発表は、実に論理的に整然としていて「立派」であり、その後の指名されていた講評者(各種国連専門機関、政府機関、民間企業)による講評と質問も適切なものであった。三回目は、太平洋島嶼国に限定された政府間会合であり、そこではこれら諸国の大統領、首相による自国の「持続可能な開発」の現状、主要な問題点の説明とその解決に向けての自国政府の努力と国際社会への救援の訴えであった。これら3回の本会議へ参加した小生の率直な印象は、いずれの発表や講評も、過去の実績についての政府ないし機関の当該活動の自己宣伝色が顕著であったことと将来についての報告は「計画」というよりは、「希望」、「期待」や「国際社会への支援の訴え」が多かったといえる。1970年代と80年代に、国連機関で部長職、局長職を務めた小生から見ると、これら政府、国際機関の発表がそのような特色を持っているのは、当然のことであって、何も今回の会議に限ったことではない。政府間会合における本会議や個別部門別会合での一般演説は、基本的に各国政府や国際機関の世界やメデイアに対する宣伝の場であるという側面を持つ。国連事務局にいたときからいつも割引しながら聴いていたことを思い出した。実質的な意味を持った会合は、並行して行われている交渉会合であって、今回その会合へ出席を許されたことは最も嬉しいことであった。 第4回目の本会議場で出席した8月31日の交渉会合は、大臣が率いる各国政府交渉団が、WSSDの実施文書案の基本的理念で合意しつつも、個別の各章、各節、各項目の文言をめぐって真に国益をかざして戦っている場であった。先進国代表団と77カ国グループ(G77)との間の交渉はまさに真に迫ったものがあり、時には先進国間にも意見の相違が目立っていたが、WSSDの実施文書案の広範な論点からすれば当然であろう。しかし、本年6月のバリ会合が必ずしも成功ではなかったことと、WSSDという国際社会が直面している大きな問題に対して各国政府が実施文書を纏めることが出来ないとなると今後の「持続可能な開発」に関連するあらゆる国際的枠組み・条約・協定等の策定が混乱して難事となること、さらに南アフリカのムベキ大統領とアフリカン連合(AU)としては、アフリカ問題にも焦点をあわせたこの最も重要な世界首脳会合をどうしても成功させたいということ等があって、各国政府代表団、特にG77と先進国との間で「in the spirit of flexibility and success of this conference」という形で双方から大きな歩み寄りがあったということが、今回のサントンの本会議場での会合で最も印象深かったものである。付言するなら、米国政府代表も大きな譲歩を繰り返していたが、これは国際社会での「米国の孤立化」(当地最大の新聞紙サンデイタイムズ9月1日朝刊第一面大見出し)の印象をどうしても回避したいというブッシュ大統領の基本的戦略があったのではないかと推察される。小生は顧問であって、日本政府交渉団には登録されていないので、逼迫した交渉過程を傍聴するにとどまったが、交渉会合で川口外務大臣が正確かつ綺麗な英語で歯切れある発言を繰り返していたのが新鮮で嬉しかった。過去数十年間にこのような国連会合の交渉団の交渉過程を時には国連事務局職員の立場で、時には日本政府代表団顧問として観察することが多々あったが、日本政府は交渉をいつも外務省局長・審議官や担当官庁局長・審議官に任せてきたが、今回は大臣自ら発言していたことは、非常に印象的であった。これが時代の変化を象徴しているのか、小泉内閣や川口大臣個人に特有なのかは、今後の国際会議での日本政府代表団・交渉団の行動を見て判断することになるであろう。 (2)に関連して、サントンでの本会議場にある委員会室や役員会議室で開催されたサイドイベントへの参加は、本会議場の正門のまん前に陣を構えた日本政府代表団事務所からは歩いて3分ということで、大変便利であった。しかしウブンツ村でのイベントへの参加はそのときの交通渋滞具合で異なるが、バスで20-30分かかり、さらに遠いナズレック村のNGO会場は同じくウブンツ村経由バスで50分ないし1時間半かかり、サントンでの本会議へ出席すると、どんなに急いでもウブンツ村やナズレック村でのサイドイベントへは一日一回参加できれば幸運だというのが、世界各国から来ている政府代表団や政府関係者の方々の一致した意見であろう。幸い日本政府代表団には、小生たち顧問を含めて、日本政府が借り上げしたマイクロバスが定期的に発着してくれるおかげで、相当な時間的節約が出来てきた。しかし、日本から参加している政府代表団以外の参加者は、自前でマイクロバスを調達している場合を除いては、ホテルからこれらの村へタクシーで直行するかサントン本会議場まで行って、再度其処から会議場へ出発しているバスを乗りついで利用せざるを得ず、毎日交通手段で悩まされている現状である。 サイドイベントで何といっても政府代表団と国際機関、NGO関係者が最大の関心をもって最も多く集まったのは、昨夜現在では、8月30日(金曜)夜6時半からのクラウンプラザホテルにおける国連開発計画主催の「Equator Initiativeの夕べ」と9月2日(月曜)夜6時半からのヨハネスブルグで最も美しくて広い庭園を備えたクロック家所有の「Summer Place」におけるユネスコと南ア政府共催の「持続可能な未来の為の教育の夕べ」である。この二つの国際機関のプログラムの内容については紙面の制限上ふれないが、これらに共通した理念は、これからの途上国の開発は、それが経済開発であろうと、教育・社会開発、環境保全であろうと、一方で地域社会における住民の、住民のための、住民による開発を目指したものでなくてはならない、すなわち「地域住民のownership」を中心においたものでなくてはならないという社会的合意を普及させることと、他方では、このような合意形成過程においても、その合意の実施過程においても、社会を構成する総ての主体の平等な参加が不可欠であり、これなくしては、「持続可能な開発」も、「持続可能な未来」もありえないということを強調していることである。これは世界の大半のNGOが従来から主張してきたことを国際機関が取り入れたということであり、まさに今回の「持続可能な開発のための世界首脳会合」でも、その実施文書で合意を見た点である。 ウブンツ村でも、多くのサイドイベントが開催されているが、その多くは政府機関、国際機関や研究機関が主催ないし共催しているものであり、市内にあるということもあって連日人ごみが続いている。特に「Japan Pavilion」では、トヨタのプリウスの展示を初め、連日各種団体による展示説明があり、セミナーやシンポジウムも開催されている。8月30日のGEA(地球環境行動会議)による「持続可能な開発のための教育の国連10年、2005-2014年」シンポジウムでは小生は基調講演をしたが、この会合に参加できなかった何十億の人々、特に貧しい人々の為の教育こそ重要だという意見が聴講者から出てきた。全く同感である。「国連10年」を今後進めていく為には、日本はもとより世界の国々の政府、地方自治体、民間企業、NGO、国際機関等との連携の下で進めていくことの重要性が強調された。もともと「国連の10年」は、ヨハネスブルグサミット提言フォーラムが昨年秋最初に提唱したものであり、それに日本政府が相乗りして、今年4月のニューヨークでのWSSD第三回準備会合へ提出して、6月バリ島での第四回準備会合で合意されたものであるがゆえに、このGEAの会合でも、昨日ヨハネスブルグサミット提言フォーラムがナズレックNGO村で主催した会合(出席者の90%が地元の人々と日本以外から参加している外国人)でも、さらには昨日のユネスコ主催の会合でも大半の出席者の同意を得たことは、日本のNGOとしては嬉しいことであったが、WSSDの実施文書で合意が見られ、今後早速国内・国際体制を整備してそのつめを行い、2年後の国連総会での決議提案へ持っていかなければならないことを思うと、参加してきた日本のNGOはかなりの重責を背負ったものだと述懐しているが、同時に奮起一転せざるを得ないことを実感している。 (3)については、今回のWSSDで初めて日本政府代表団に、大臣、官僚以外の社会構成員である民間企業、労働組合、NGO等諸団体の代表が顧問として参加したが、顧問団の役割についての協議・合意に基づいたルールは東京出発前には設定されず、WSSDの場では、「必要に応じて政府側代表団へ助言する」ということと、相互の立場を尊重し、それぞれの活動を縛らないということだけは合意されていた。そんなわけで、今回の会期中には、ほとんど毎日政府側とわれわれ顧問団との間でそれぞれが得た情報の交換やWSSDの主要課題、特に政府実施文書案におけるNGO側の見解との争点についての意見交流はなされた。8月30日午前には川口外務大臣、山下環境副大臣を含めた政府交渉団と顧問団との協議が設定されて、WSSD実施文書案の中味、特に争点についての意見交流とNGO側の政府への要望が提出されたが、それがどの程度の影響力があったかは、最終的な実施文書がWSSD総会で採択された時判明する。もちろん最終文書にNGO等の見解が反映されたとしても、それらは日本のNGOのみならず、世界のNGO等による影響と見たほうが妥当であろう。WSSDが閉会される翌日、すなはち9月4日夕方(当地時間)には、政府代表団における政府側と顧問団との間でお互いの意見交流と各自の活動についての反省を目的とした会合を持つので、そこでは当然ながら、次のような課題が一例として出てくることが予想される。
WSSD政府代表団顧問 廣野 良吉(成蹊大学名誉教授) |
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