![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() | ||||||||||
|
トップページ > 外交政策 > 過去の記録 |
![]() |
【東アジアの再生と日本の役割】 座長 行天豊雄
1.経済危機の教訓東アジア経済危機の基本的原因は東アジア諸国の政府と企業が国際経済環境の変化に対応する努力を怠ったことにある。
1980年代に入って世界経済は二つの歴史的変化の波に洗われるようになる。一つは、財及びサービスの貿易と国際的資本取引が規制緩和の流れで自由化され、市場が国境の壁を越えて世界的規模に拡大したことである。いわゆるグローバリゼーションである。グローバリゼーションの本質は一言で言えば経済的競争が一国の市場内ではなく世界の市場で行われるようになったことに他ならない。国家の経済運営も企業の経営も世界での競争という背景を考えざるを得なくなった。土地は依然として国際的移転が不可能である。しかし顧客や居住者の移転が自由であれば不動産産業も国際競争を避けられない。鉄道や道路も国際財ではない。しかし国内でそれと競争関係にある航空産業が国際的に自由化されれば間接的に国際競争にさらされることになる。同じように税制も社会保障制度も教育も国際競争の対象になるのである。
第二の歴史的変化は情報通信技術の革命的進歩が起こったことである。情報通信技術の革命は一方では世界的汎用性を持った製品・サービス・関連産業を殆ど無制限に生み出した。その結果、単に既存の産業や企業が大きく変化したのみならず、産業全体の姿を一変させたのである。同時にそれは従来の情報の独占・偏在を打ち破って、すべての消費者・納税者・株主・有権者・従業員が同質の情報を同時に共有することを可能にした。為政者や経営者はそれを前提にした経済運営や企業経営を迫られることになる。透明性と説明責任が政府と経営のガバナンスにおける最も重要な要素になったのである。
東アジア諸国において広汎に行われていた経済運営、市場機能、企業経営はこのような変化が生ずる以前の環境においては極めて効率的なものであった。国民経済の発展を第一の目標とするという国民的合意の下で、政財官の緊密な相互依存的協力体制が作られた。国際競争の制限によって国内産業を保護しながら、その中で資金配分をコントロールし、輸出型産業構造を作り、雇用を維持した。金融産業はこのような国家目的に奉仕するものとして保護・監督の対象となったが、その狙いはあくまで必要な資金の流れの確保であって、金融産業の健全性や効率を高めることではなかった。むしろ多くの場合、政策的投融資は金融機関の健全性と効率を犠牲にして行われたのである。
産業の中枢部門は政官と密接に結びついた特定の家族グループによって支配された。経営者と株主の対立は存在せず、経営者は自らの利潤拡大と国内同業者との競争に勝つことを最大の目標とした。経営が家族主義的枠組みの中で行われたから労使の対立も激しくなかった。大多数の国民は伝統的に政府による統制・監督に順応し易くしかも勤勉であった。
このような土壌の上で行われた政府主導の経済発展政策は東アジア諸国で驚異的な成果を生んだ。高度成長が続く中で極貧層の減少、貧富格差の縮小が達成された。それは正に「東アジアの奇跡」であった。
グローバリゼーションと情報通信技術革命という二つの流れは東アジア経済を取り巻く環境を大きく変えてしまった。まず、70年代の石油危機以降発生した世界的規模での国際収支不均衡や先進国人口の高齢化に伴う年金基金等金融資産の増加によって、国際的な投資可能資金の規模が急増した。資本移動規制緩和の流れと情報革命に加速されて90年代の世界は膨大な長短期投資資金が奔流する一大市場と化したのである。東アジア諸国のように経済規模が小さく、成長率が高く、外資導入に熱心であった経済は当然のことながら国際資本の最大の関心の的になった。不幸なことに、東アジア諸国は国際資本の関心の的になるということが利益と同時にどのようなリスクをもたらすものなのか、そのリスクを軽減するためには何をしたらよいのかについて真剣に考えることがなかった。
危機発生の原因が先進国を中心とする国際投資家集団にもあったことは明らかである。彼らが大量の資金を移動させた動機はひたすら経済的利益を追求する貪欲であり、途上国経済の安定した発展を支援することではなかった。
情報通信技術革命の結果、政府と企業のカバナンスにとって透明性と説明責任の確立がキーワードとなったことは先に述べた。政府や企業についての評価は、それらが長期的に達成するであろう実績への期待だけでなく、この二つのキーワードがどの程度充足されているのかによって定まることになったのである。先進国の政府や企業はこの流れが不可逆であることを知り、多額の費用を払い、しばしば効率を犠牲にして対応を進めた。
不幸なことに、東アジア諸国はこの点で極めて不利な立場にあった。東アジアがそれまで置かれていた環境は透明性や説明責任を求めるものではなかったし、その中で驚くべき成功を収めた経済運営や経営の手法はむしろ透明性や説明責任からは一番遠い所にあったと言ってもよい。だから、環境が急速に変わりつつあったにもかかわらず、東アジア諸国は自らの伝統的手法を根本的に変える努力を行わなかったし、実際には行えなかったのである。
変化する国際環境、しかし変化しない東アジアの政府と企業。このギャップに対する市場の違和感と不信は次第に高まって行った。ひとたびネガティヴになった市場は徹底したアラ探しを行うことになる。経常収支の悪化、外貨債務のミスマッチ、金融システムの脆弱さなどが今更のようにアラであることが判明すると、市場は一斉に行動を起こして危機を発生させたのである。
幸いにして99年後半来東アジア経済は回復している。それは世界的IC市場の活況、米国景気の持続、日本の輸入回復、通貨下落による競争力強化によって輸出需要が持ち直し、国内では金融緩和、財政刺激で消費が増大したためである。98年の落ち込みが激しかったし、設備稼動率が急減していたから、底からの回復はV字型になった。現在では大半の国が危機前の水準に戻ったところであろう。
東アジア危機の根底にあった企業や政府のガバナンスの改革と金融システム強化の問題についてはそれぞれの国で改善のための真剣な努力が始められているが、進捗状況はまちまちである。しかし危機の打撃が最も大きかった諸国で一番熱心な改革が図られているのは当然のこととは言え心強い。目下のところ市場もそういう改革努力を肯定的に評価し期待している。しかし、景気の回復に気を良くして基本的課題の解決が中断したり逆行したりすると危機再発のリスクは温存されることになるだろう。
2.市場への対応
ソ連邦の共産主義政治体制と中央計画経済体制が崩壊して以来民主主義と市場経済が世界共通のパラダイムになったと言われる。東アジアの経済危機を巡る議論においても市場経済という概念が座標軸の一つになっているように見える。それは経済の動きをどこまで市場原理に任せるか、具体的には市場放任主義または市場原理主義と政府による市場への介入の対比という議論になることが多い。こういう議論は市場というものを何か独自に存在・活動する私的なものと想定しており、従ってそれと関わり合えるのは公的な力であるということが前提になっている。しかし、この前提は余りにも短絡的である。そしてその誤りの原因は市場なるものの理解が充分でないからである。
そもそも市場とは何なのであろうか。それは、経済現象に影響を与え得る立場にある全ての参加者による判断の総和である。そしてわれわれが市場を論ずる際に特に重要なのは、市場参加者とその判断は絶えず変化するのだという認識なのである。原始においては生産者と消費者だけであった市場に次々と新しい参加者が加わった。売買仲介者・企業経営者・投資家、公的当局、そして最近特に重要になったのが情報提供者である。こういう膨大な数の、絶えず変化する参加者がそれぞれの判断を形成する最も重要な動機はそれぞれの立場での経済的利益の極大化である。しかし各人の判断形成は各人の持つ異なった変数に影響される。また利益の極大化を長期的視野で考える場合には全く別の要素、例えば環境保全や弱者救済、公平の維持というようなものも考慮されざるを得ないのである。
市場とはかくもダイナミックで絶えず変化するものである。その変化の過程で当然群集心理や錯誤や合成の誤謬による行き過ぎや反合理的動きを生ずることがある。市場は決して常に正しくはないし、「見えざる手」とは長期的に市場の判断が合理の原点に回帰する特性を持っていることを述べているに過ぎない。つまり、市場とは決して既成の固定した私的存在ではないのである。
市場をこのようなものと理解すれば、如何なる政府や企業も市場を無視したり、それに敵対することはできない。政府や企業がなすべきことは市場参加者の構成やその判断を正しく理解し、それらとの双方向の働きかけを通じて市場との調和を図ることである。市場への正しい対応とは、敵対者を制圧することではなく、自らもその一員である集合体を変化させて行く努力なのである。東アジア危機の経験から市場を悪と見做し政府の介入や統制によって市場との隔離を図るべきだと言わんばかりの議論があるが、全くの愚論であろう。
3.地域協力
東アジア危機の最大の教訓は地域としての東アジアが危機を防止し対処する能力を備えていなかったことである。グローバリゼーションがグローバルな規模での競争を意味するものである以上、国家や企業が競争力強化のために、独自の努力に加えて、連携や合併を図るのは当然である。北米や欧州で起こっていることは正にそれである。東アジア諸国が域内での貿易や投資の相互依存関係を強化することが望ましく必要であることに合意するならば、それを推進・補強する取決めを検討する必要がある。東アジア危機以後各国の間でその必要性の認識が高まったことは喜ぶべきことであろう。
しかし北米や欧州と比較した場合、東アジアにおける地域協力が多くの困難を持っていることも充分認識されねばならない。北米における地域協力は一極中心の垂直型である。それは米国という圧倒的な経済・軍事大国を中心とした集団である。のみならず米国は金融政策・財政政策においても域内に規範を提供できる力を持っている。ドルは事実上の共通通貨である。欧州の地域協力は多極水平型である。独仏が相対的に重要であるにせよEUは伝統・文化・経済水準等でかなりの均質性を持つ国家の集団であり、しかも欧州統一という政治的願望を共有している。
東アジアはいずれとも異なる。そこには米国のような明白な一極がない。のみならず将来的には日本と中国の間で主導権を巡る競合のリスクもある。かと言って欧州のような経済的政治的均質性も現状では存在しない。しかも歴史的経緯から東アジア地域の自給自足度は北米・欧州に比してかなり低く、そのため地域協力と言っても常に域外への開放を前提としなければならない。要すれば、東アジアはどうしても第三の道を求めなくてはならないのである。
このような背景の下で東アジアの地域協力を推進するためにはどのような戦略が必要なのであろうか。以下の四点が重要であると思われる。
第一に、域内の実質的な相互依存関係を強化する努力がなされねばならない。域内の貿易・投資は着実に増加してきたが、さらに自由化を進めることを通じて、比較優位の利点を活かしながら、より広汎な水平分業を実現する必要がある。特に重要なのは、モノとカネに止まらず、ヒトと情報の交流も活発化することである。それによってこそ技術や文化の交流が生じ、域内の均等化が進み、協力の基盤が整って行くのである。
第二に、協力は段階的に進めなければならない。現状では東アジアの域内協力はごく初期の段階である。それは先に述べた困難を考えれば当然のことであろう。各国の指導者の頭の中には協力への期待があり、多くのアイデアが語られている。政策相互監視制度、自由貿易取決め、投資協定、緊急融資制度、通貨バスケットや共通通貨単位のような通貨制度、域内決済制度、社会的セーフティー・ネット構想等々である。しかし共通のたたき台となる具体案の作成や域内の共同討議はまだ始まっていないし、各国の関心と熱意にも大きな差が残っている。従って、まずは多数が検討に参加できる項目から始めて行かなければならない。その観点からすれば第一の候補は政策相互監視制度の創設であろう。政府と中央銀行を含んだ当局によって関連情報の正確迅速な開示交換とそれを検討するしっかりしたフォーラムを作ることである。さらに、民間金融機関や企業の判断が充分に反映されるような何らかのメカニズムを用意することも必要である。言うまでもなくこのフォーラムが域内協力実現の礎石となるためには、単に討議だけでなく、相互の助言・勧告を行えるような制度的拘束力とそれを担保する政治的コミットメントがなければならない。EMUを実現させた最大の力はマーストリヒト条約という団結規約であったことを教訓とすべきである。
第三に、協力の中核となるグループを発足させるべきである。現状で東アジアの多様性が極めて大きいことは否定できない。当初から全域を包含した実質的な取決めを考えることは非現実的であろう。従って経済的政治的に均質度の高い経済、具体的には日本、韓国、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランド、さらに中国の同意を条件として、台湾、香港を含めたグループを初期中核グループとして発足させることが望ましい。このような中核グループが持つ最大の意義は東アジアにおいても、北米や欧州とは違った形ではあるが、自律力を持った多国間協力が実現し得ることを実証することにある。市場を尊重し、開かれた政治社会体制を持った経済グループが前記のような様々な分野で協力することになれば、東アジア域内協力に対する国際的評価は一変し、同時に他の東アジア諸国に対して強烈なインパクトを与え、地域協力へ向けての大きな求心力となる。
第四には、日米、日中、米中の三角関係が少なくとも敵対的なものにならないよう不断の努力が行われなければならない。東アジアの平和的発展がこのことの成否にかかっていることは言うまでもない。その重要性は欧州における独仏の協調と同じか、またはそれに優るものであろう。この三角関係が最低限の安定を保っている限り、東アジアにとっては欧州やロシア等の他地域との安定も、世界における東アジアの地位の確保も可能になるのである。
この三角関係の中で日本にとっては日中関係が最も重要かつ複雑であることは言うまでもない。日中関係はそれが2000年に亘って持続された二国間関係であるという意味で世界においても希有の関係である。そして19世紀末以降のさまざまな出来事によって、現在両国間に存在する親愛と嫌悪の入り混じった感情が形成されたのである。
日本側には中国が軍事・経済大国化することへの怖れがある。日中戦争終了後既に50年以上を経て、日本が中国に対し巨額の経済援助を行っているにもかかわらず、中国が依然反日教育を続けていることへの反発がある。また、中国では依然法治が確立されておらず、そのために多くの日本企業が苦汁を飲まされていることへの憤りと中国への蔑みがある。他方、中国側には日本が米国と共同して中国の影響力の拡大を阻止しようとしているという猜疑がある。日本が日中戦争において中国に多大の犠牲をもたらしたのにそれへの真の反省がないという不満がある。また、かつては中国の従属国であった日本が先進大国化していることへの反発がある。
両国の競争関係の中には容易に解消できない部分が多く存在することは否定できない。日中関係が米英関係や独仏関係のように成熟した友好関係に到達するまでには長い年月を要するであろう。しかし同時に、平和で安定した日中関係が相互にとって大きな利益であり、またそれが東アジア全体の安定した発展のために必須であることは明白である。
日中関係が将来どういう姿に定着するかを今日予測するのは困難だし、それについて両国の認識を統一することも現在では不可能である。とすれば、両国は現在の両国関係が持つ不安定要素の中でできるものを取り除くことに共同して努力しなければならない。日本においては、日本がかつて中国に対して抱いていた親愛と敬意を国民感情として再生することである。中国においては、一日も早く、自己矯正力を持ち内外に開かれた市民社会を樹立することである。
そのためには両国内における教育の改善、人的文化的交流の活発化、両国の見方が異なる諸問題についての共同研究、両国の利益に合致する共同プロジェクトの推進が最も必要である。
4.日本の役割
今後の東アジア域内協力において日本が果すべき役割については既に全てが日本人自身によって語られ、理解されており、新しく付け加えられるべきことは何もない。残るは実行のみと言って良い。しかし率直に言ってその項目のリストは長くかつ困難なものである。
第一の項目は、日本が現在抱えている経済的課題の解決である。言うまでもなくその主なるものは、金融産業・金融市場の競争力の強化であり、企業の再編とガバナンスの改革であり、中長期的には歳出構造と税制改革による財政の再建であろう。そしてこの課題における前進が成長の回復を担保するのである。
第二の項目は、経済と社会における三度目の開国とも言うべき対外開放である。この開放ができてこそ日本は東アジアにとって信頼でき協力できる指導的国家となり得る。
第三の項目は、域内協力の具体的課題について積極的な創意と指導力を発揮することである。先に述べたような様々な協力のアイデアについて日本は官民が協同して具体的な案を作り、域内での関心を高め討議を推進すべきである。誰かがイニシャティヴをとらなければ何も動かないし、日本が公正で建設的な指導力を発揮することに対しては世界も東アジアも決して反発しない。
目次 |
| ||||||||||
![]() |