第2章 地域別に見た外交


4.イ ラ ン

 内政面では、2005年8月に成立した原理保守派のアフマディネジャード政権は、(1)同大統領の清貧なイメージ、(2)貧困層、地方に照準を当てた政策、(3)腐敗撲滅のスローガン等が特に貧困層や地方レベルで支持され、また、革命ガード、バシジ(革命ガード配下の民兵組織)等に対する公共事業の割当強化等を通じ権力基盤の拡大に努めている。しかし、12月に実施されたイラン専門家会議及び地方評議会選挙では、大統領と関係の深い勢力は低迷した。ハメネイ最高指導者は、アフマディネジャード政権支持を表明しつつも、同政権に批判的なラフサンジャニ公益評議会議長やハタミ前大統領を中心とするグループに配慮する動きを見せている。

 経済面では、アフマディネジャード政権のいわゆる「ばらまき政策」によりインフレ問題が顕在化する中、改革派等を中心に経済政策に対する批判が高まっており、今後の舵取りが注目される。

 外交面では、前年に引き続き同国の核問題が国際社会の注目を集めた。2月中旬にウラン濃縮活動を再開したイランに対し、3月、国連安保理はIAEA理事会決議の遵守を求める議長声明を採択、イラン側は4月に3.5%濃縮ウラン製造の成功を発表するなど対立は深刻化し、5月以降、国連安保理での決議採択に向けた協議が開始された。5月末、米国は濃縮関連活動等の停止を条件にイランとの交渉に参加すると発表し、英国・フランス・ドイツのEU3か国及び米国・中国・ロシアは、6月に包括的提案をイランに提示した。しかし、イラン側から前向きな対応が見られなかったため、7月に国連安保理はすべての濃縮関連・再処理活動の停止を義務付け、8月末までに同決議を遵守しない場合には、国連憲章第7章第41条下の措置を採択する意図を表明する内容の安保理決議第1696号を採択した。これに対して、イランは、8月、包括的提案に対する回答を提示したが、交渉のための前提条件である濃縮関連活動の停止には応じなかった。その後も交渉再開に向けた協議が行われたが、事態の打開につながるような合意には至らず、10月以降、安保理決議第1696号に従い、新たな安保理決議採択へ向けた協議が行われ、12月23日、濃縮関連再処理活動及び重水関連の拡散上機微な核活動に関連する物資、人、資金に関する措置を含む安保理決議第1737号が採択された。

 新政権は、近隣諸国やイスラム諸国、非同盟運動(NAM)諸国等との関係拡大を優先政策として掲げ、積極的な外交を展開している。アフマディネジャード大統領は、5月にアゼルバイジャン(経済協力会議サミット)、インドネシア、6月に中国(上海協力機構サミット)、ガンビア(アフリカ連合サミット)、8月にマレーシア(イスラム会議機構サミット)、9月にベネズエラ、キューバ(NAM首脳会談)、ニューヨーク(国連総会)等を訪問した。他方、西側諸国との関係は核問題の影響から、ハタミ前政権時代に比して後退している。

 日本は、中東地域の大国であるイランが中東地域や国際社会の平和と安定のために一層建設的な役割を果たすよう、伝統的な友好関係に基づき活発な働きかけを行ってきている。特に、核問題については、日本は、国際的な核不拡散体制を堅持する必要があるとの立場から、2月のモッタキ外相の訪日、7月のASEAN地域フォーラム(マレーシア)の際の日・イラン外相会談、7月のマシャーイー副大統領訪日、8月のハタミ前大統領訪日などの機会を通じて、イランが濃縮関連・再処理活動を停止し、交渉のテーブルにつくよう働きかけている。

 5月のイラン商工鉱会議所代表団の訪日、7月の「ペルシャ文明展」開会式にあわせたマシャーイー副大統領の訪日、8月の世界宗教者平和会議出席のためのハタミ前大統領の訪日等、経済・文化面で活発な交流が行われた。

▼イランの核問題を巡るクロノロジー




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