第2章 地域別に見た外交


(12)ミャンマー

 7月のASEAN外相会議の際、ニャン・ウイン外相は進行中の民主化プロセスに集中したいとして、2006年に予定されていたASEAN議長国就任を見送ると発表した。11月にはミャンマー政府が、首都機能を現在の首都ヤンゴンからピンマナ(ヤンゴン市の北方約300km)に移動すると発表し、政府官庁は段階的に移動を開始した。

 2003年5月から拘束されているアウン・サン・スー・チー女史については、国際社会の強い働きかけにもかかわらず、解放は実現しておらず、11月にはミャンマー政府は、同女史の自宅軟禁措置を6か月間延長する手続きをとった。

 ミャンマー政府は12月から、民主化に向けた「ロードマップ」の第1段階として、新憲法の基本原則を審議するための国民会議を再び開催したが、国民民主連盟(NLD)を含む一部政党の参加は得られていない。

 日本は、アウン・サン・スー・チー女史を含むすべての関係者が関与する形での国民和解と民主化プロセスの具体的進展を求め、対話を通じた働きかけを粘り強く行っている。こうした立場から、4月のアジア協力対話(ACD)、アジア・アフリカ首脳会議、5月のASEM外相会合、12月のEAS等の機会をとらえ、首脳、外相レベルでミャンマーに直接働きかけた。



▼ミャンマー情勢クロノロジー



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