(1)2002年の主な動き
2002年9月17日の日朝首脳会談の準備会合において、北朝鮮側は、拉致被害者のうち4名は生存、8名は死亡、1名は北朝鮮入国が確認できないと通報した。また、調査依頼をしていなかった1名について拉致を認めた上で、生存を確認した。日朝首脳会談において、小泉総理大臣は金正日(キムジョンイル)総書記に対し強く抗議し、継続調査、生存者の帰国、再発防止を要求したのに対し、金正日総書記は、拉致を認めて謝罪し、関係者の処罰及び再発防止を約束すると同時に、家族の面会及び被害者の帰国への便宜を保証すると約した。
その後、9月28日から10月1日に日本政府派遣による事実調査チームが北朝鮮へ派遣され、生存者と面会、安否未確認の方についての情報収集に努めた。しかし、北朝鮮提供の情報はそもそも限られている上、内容的にも一貫性に欠け、疑わしい点が多々含まれていた。同年10月29日から30日に開催された日朝国交正常化交渉においても、日本政府は矛盾点の指摘と同時に更なる情報提供を要求したが、今日まで北朝鮮側からの回答はない(3月14日現在)。
一方、日本政府から北朝鮮側への要求に基づき、2002年10月15日、拉致被害者5名が帰国し、家族との再会を果たした。しかし、これら拉致被害者の家族は依然北朝鮮に残されており、自由な意思決定を行いうる環境にない。このため、日本政府としては、北朝鮮側に対し、家族の早期帰国の実現を求めてきたが、北朝鮮側から前向きな反応は見られなかった。