【アジアの平和と繁栄に向けた取組】
北朝鮮による核計画は、日本を含む東アジア地域の平和と安定への直接の脅威であるのみならず、国際的な不拡散体制への重大な挑戦であることから、米国及び韓国とも緊密に連携しつつ、核計画に関する問題の解決に積極的に取り組んできた。特に、8月及び2004年2月に北京にて開催された六者会合においては、日本、米国、韓国の3か国が一致して、北朝鮮による核計画の完全、検証可能かつ不可逆的な廃棄を要求した。また、同時に、日本は拉致問題の解決の重要性についても提起した。拉致問題に関しては2月に平壌で日朝政府当局間でも協議を行い、拉致被害者5名の家族の帰国、安否不明の10名の方々の真相究明といった問題の解決を強く求めるとともに、今後も政府間協議を継続していくことで一致した。拉致問題の解決は、日本外交の最も重要な課題の一つであり、その一刻も早い解決に向けて北朝鮮側に強く働きかけている。さらに、北朝鮮をめぐる問題の解決には「対話と圧力」の双方が必要との観点から、日本は、あらゆる機会を捉えて、北朝鮮に対し諸懸案の包括的な解決を働きかけるとともに、船舶検査や輸出管理など国内法の執行を強化した。
日韓関係については、2月25日に就任した盧武鉉(ノムヒョン)新政権の下で良好な関係が維持・強化され、特に北朝鮮問題をめぐる両国間の連携が一層推進された。6月に盧武鉉大統領が訪日した際に発表された「日韓首脳共同声明」に基づき、11月より金浦(キンポ)-羽田間の航空便の運航が開始され、12月にはFTA締結交渉が開始されるなど経済関係が進展した。また、2004年1月より第4次日本大衆文化開放が実施され、音楽をはじめとする日本の大衆文化の開放が韓国で進展する一方、韓国の映画やドラマなどの韓国文化も日本に浸透するようになり、特に若い世代を中心に国民の間で親近感が増大している。
日中平和友好条約締結25周年を迎え、中国とは幅広い分野で活発な交流・協力が進められた。3月に発足した胡錦濤(こきんとう)新体制は対日関係重視の姿勢を明確にし、3度の首脳会談等により、日中関係の重要性と未来志向の関係構築に向けた努力が確認された。特に、北朝鮮等の地域情勢及びSARSをはじめとする地球規模問題における協力が進展した。経済面では、貿易や投資が活発化するなど相互補完関係を礎とする緊密化が進んだ。一方、関係の緊密化に伴う種々の摩擦や、チチハル市における毒ガス事故等も発生した。これらの問題に冷静に対処できるような感情に左右されない日中関係の構築に向け、幅広い分野での政府間対話を着実に進展させつつ、人的交流の拡大を通じ国民間の相互の理解・信頼を強化することが重要である。
韓国、中国との間では、それぞれ二国間関係の強化に加え、日本、中国、韓国の三国間協力の強化を図っている。10月のインドネシア・バリ島における日中韓首脳会合の際には、参加国首脳による史上初の共同宣言となる「日中韓三か国協力の促進に関する共同宣言」が発出され、政治、経済、文化等の幅広い分野における協力の促進が謳われた。
日露関係では、2003年1月に小泉総理がロシアを訪問した際に今後の日露関係を幅広く進展させていくための「日露行動計画」が採択された。現在、この「行動計画」に基づき、幅広い分野における協力が進展しており、12月には「行動計画」に基づく日露協力の1年間の成果を総括するものとしてカシヤノフ首相が訪日した。このように日露関係が全体として進展していく中で、今後も早期に四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するとの方針に基づき、平和条約交渉についても粘り強く前進させていく。
アジア・太平洋地域の平和と繁栄を確保するには、持続的な経済成長を実現することが必要である。日本と東アジア諸国の経済連携を強化し、自由な貿易を通じて双方の発展・成長を確保するとの観点から、日本は東アジア諸国との経済連携強化に努めてきており、10月の日・ASEAN首脳会議では、日・ASEAN包括的経済連携の「枠組み」につき合意した。二国間レベルの経済連携協定(EPA)ではシンガポールとの間で2002年に締結された経済連携協定が2003年1月に発効した。また、韓国との協定交渉が12月に開始されたほか、同月の日・ASEAN特別首脳会議の際にタイ、マレーシア、フィリピンとの交渉開始について合意されたのを受け、2004年1月にマレーシアと、2月にはタイ、フィリピンとそれぞれ交渉が開始された。なお、2002年に開始されたメキシコとの交渉は、10月のフォックス大統領訪日の際に合意に至らなかったものの、2004年3月に関係閣僚間で協定の主要点について大筋合意に達した。
<開発問題/平和の定着に向けた取組/人間の安全保障>
2003年は、開発の分野で日本が一連の大規模な国際会議を主催し、注目すべき成果を上げた。
3月に京都・大阪・滋賀で第3回世界水フォーラム及び閣僚級国際会議を開催した。本フォーラムは水分野の国際会議としては最大規模のものであり、閣僚級会議では飲料水や衛生分野の目標達成等に向けた努力を謳った閣僚宣言~琵琶湖・淀川流域からのメッセージ~を採択した。この成果は同様に水問題への取組を焦点の一つとした6月のG8エビアン・サミットでの水に関するG8行動計画に繋がった。なお、地球環境分野では、京都議定書の発効の鍵を握るロシアに対して批准に向けて粘り強く働きかけを続けている。
9月29日から10月1日まで東京で開催された第3回アフリカ開発会議(TICADIII)には、23か国の元首・首脳を含む89か国、47国際機関の代表が参加し、アフリカ開発を扱う最大規模の国際会議となった。アフリカ自身が掲げる開発計画である「アフリカ開発のための新パートナーシップ(NEPAD)」への国際社会の支援の結集と開発パートナーの拡大が謳われ、「TICAD10周年宣言」にその成果がまとめられるとともに、日本は主催国として教育・保健等人々に直接裨益する分野において5年間で10億ドルの無償資金協力の実施等を内容とする「日本の対アフリカ支援イニシアティブ」を発表した。
5月16、17日の両日に沖縄で開催された第3回太平洋・島サミットには、太平洋諸島フォーラム加盟15か国・地域から、9人の首脳を含む代表が参加した。太平洋の隣人として日本と太平洋諸島地域との開発戦略について議論し、首脳宣言文書と共同行動計画として「沖縄イニシアティブ」を発表した。
12月11、12日の両日東京で「日本・ASEAN交流年2003」の締めくくりとして開催された日・ASEAN特別首脳会議は、ASEAN10か国の全首脳が初めて域外国で一堂に会した歴史的な首脳会合となった。同会議では日本としての対ASEAN重視政策が不変であるとの方針を再確認したほか、「共に歩み、共に進む」率直なパートナーシップを強化していくことで一致し、日・ASEAN関係の指針となる「東京宣言」及び「行動計画」が採択された。また、日本はメコン地域開発及びASEAN諸国の人材育成への各々15億ドル規模の協力を軸とする貢献策を発表した。
厳しい財政事情下にある昨今、政府開発援助(ODA)予算は依然として削減傾向にあるが、ODAは日本外交の重要な柱であることに変わりはない。8月にはODAをめぐる内外の情勢の変化を踏まえて、ODA大綱が11年振りに改定された。国際環境の変化に伴い、貧困、環境、感染症、紛争、テロ等の新たな開発課題が注目される中、人間の安全保障の視点を基本方針に盛り込むとともに、平和の構築といった新たな要素を重点課題の一つに位置付け、さらには近年のODA改革の成果と方向性を取り入れた新しいODA大綱の下で、幅広い国民参加と理解を得ながらODAをより一層戦略的かつ効果的に活用していく方針である。
日本は、人間一人一人の安全に着目した「人間の安全保障」の考え方を外交政策の重要な視点の一つとしている。日本の呼びかけにより設立された「人間の安全保障委員会」は、5月、報告書をアナン国連事務総長に提出した。この報告書は、紛争状況並びに低開発状況にある人々の安全に関し、人間一人一人の保護と能力の必要性を強調し、とるべき具体的政策を提示したものである。人間の安全保障はG8サミットをはじめとする国際会議でもその重要性が指摘されており、国際社会で共有されるようになっている。
紛争の解決に向けた取組として、日本は、和平の促進、紛争地域の安定・治安の確保及び人道・復興支援という要素に重点をおいて支援を行う「平和の定着」構想を推進している。例えば、先述のアフガニスタンにおける取組に加え、スリランカの和平プロセスについては、2002年10月に明石元国連事務次長を平和構築及び復旧・復興に関する政府代表に任命したほか、2003年3月に第6回和平交渉を箱根で実施した。さらに、6月には約50か国と20の国際機関の参加を得て「スリランカ復興開発に関する東京会議」を開催し、日本は今後3年間で、最大10億ドルの支援を行う用意がある旨表明して復興に向けた道筋を示した。また、日本は、従来より国連平和維持活動(PKO)への協力を推進してきており、現在、東ティモールやゴラン高原で展開中の自衛隊部隊等の人的貢献は、国際的に高く評価されている。