第4節 人 質 問 題
1. 人質問題の発生と解決
湾岸危機は同時に、邦人保護の観点からも先例のない事態を引き起こした。すなわち、イラクはクウェイトに侵攻した後、クウェイト及びイラクに在留していた一部外国人の出国を国際法に違反して禁止したのみならず、その一部を拘束し、「人間の楯」としてイラクにとって戦略重要な施設に分散して収容した。政府は、イラクのクウェイト侵攻に際し、安全の確保のため合計261人のクウェイト在留の日本人を在クウェイト大使館に収容した。同大使館がイラク軍に包囲された後、クウェイトに在留していた日本人のうち在クウェイト大使館で保護していた者を始め245人はバグダッドに移動し、そのうち213人はバグダッドでイラク政府に拘束され、多数が戦略上重要な施設に分散して収容された。また、イラクに在留していた日本人のうち8月14日までに出国しなかった214人が出国を認められなかった。
このような事態に際し、政府は、これら日本人の一刻も早い解放と自由な出国を実現すべく、同じ立場にある他の諸国とも協力しつつ、現地大使館を通じイラク政府に対し日本人を含む在留外国人の無条件かつ即時の解放と出国の実現を強く要求するとともに、国連や赤十字国際委員会(ICRC)を通じて同国政府に働き掛けを行うなど、最大限の努力を行った。また、バグダッドに移動した後にイラク政府に拘束された日本人に対しては、現地の大使館を通じ食糧、医薬品、書物等の差入れ、留守家族との書簡のやりとりの援助など、可能な限りの措置を講じた。このほかにも政府は、短期の旅行者及び在留の日本人の安全確保のために様々な安全対策を講じた。
この間、政党や民間においてもイラク政府に対し釈放を訴える様々な動きが行われた。
イラクに対し外国人の出国を認めるよう求めた国連安保理決議664の採択を始めとして、国際社会が総意として外国人人質の解放を求めた結果、12月6日、フセイン・イラク大統領は人質の全員解放を発表するに至った。政府は出国を認められたイラク在留の日本人及び解放された日本人の帰国のため政府救援機を3便派遣した(9月に婦女子が解放された際に派遣した1便を含め救援機派遣は合計4便に上る)。
2. 邦人保護にとっての教訓
湾岸危機は、本来、在留外国人を保護すべき滞在国であるイラクの政府が、外国人を国策上人質として拘束する措置をとったという点で極めて異例な事態であり、現地の大使館及び外務省は24時間の勤務体制を組み、長期にわたる援護に当たる体制を整え、事態の解決に最大限の努力を行った。
他方、湾岸危機を契機に、政府の邦人保護に対する取組やそのための体制等につき、様々な観点から意見が示された。
第1に、イラクのクウェイト侵攻をなぜ事前に予測できなかったのかという疑問が表明された。
この点については、90年8月のイラクの奇襲攻撃によるクウェイト侵攻のような事態を予測することは不可能に近いことであったと言わざるを得ない。91年1月の多国籍軍による武力行使が行われた際には、武力行使が行われる蓋然性が極めて高かったため、現地公館と外務本省の間で緊密な連絡をとりつつ、現地の在留邦人に対し十分説明した上で退避の勧奨、勧告といった措置をとることができたが、緊急事態においてこのような準備を行うことができるのは例外的な場合に限られる。ただし、政府としては、今後日本人の安全確保のための情報収集、分析に一層力を入れるとともに、迅速な連絡を可能とする通信体制の整備に努めていくこととしている。
第2に、クウェイト大使館への在留邦人の収容や、バグダッドへの移動の勧告といった政府のとった措置は誤りだったのではないかという意見も一部にはある。
しかし、イラクによる侵略を受けた後のクウェイトの治安は非常に悪化しており、政府は日本人の希望もあって、クウェイト在留邦人を在クウェイト大使館に収容した。さらに、イラクは8月24日をもってクウェイトにある外国大使館の機能を停止させ、大使館は一般家屋と同じ処遇を受けると通告してきた。このような事態にあって、在留の日本人はバグダッドに移動した。イラクが国際法に違反して大使館の外交特権を無視するということであれば、イラクが電気、水道、通信を止めるという挙に出ることが考えられたのみならず、館内に侵入し乳幼児を含む日本人を連行することも十分考えられ、これを阻止し得る有効な手段はない状況であった。政府がとった措置は、非友好的な外国の主権または軍事占領下にあるため極めて限られた選択肢の中からより小さな危険を選択せざるを得ない状況の中でとられたものである。
第3に、政府は、自国民の保護をすべてに優先させるべきであり、人質はある意味で国益や国の政策の犠牲になったとする意見や、政府は特使を派遣するなど、人質を救出するための努力を行わなかったという批判がある。
この問題について、政府は、現地の大使館を通じて、日本人人質との面会、日本人医師による診察、日本食料品の差入れ、家族等との通信の実現をイラク側に直接申し入れた。また、国連安全保障理事会、国連事務総長、赤十字国際委員会を通じ、人質の解放や待遇の改善についてイラク側に働き掛けた。しかし、イラク側からの厳しい制約もあり、この面で政府のなし得ることも極めて限られ、現地で拘束されていた日本人、その安否を気づかう家族、企業関係者の立場から見て、十分な措置をとり得なかったことも事実である。
しかし、そもそもイラクによる外国人の抑留は、国際法上も人道上も容認できない行為であり、その意味において、個人の保護と、国全体の利益との均衡が問われ、さらには、国際社会の責任ある一員として、自国民の保護のみならず、国際社会全体の利益を念頭に置いて行動することが求められた事態であった。したがって、独り日本政府だけが自国民の救出のために国連加盟国の義務に反するような譲歩をイラクに対してしたり、問題の解決に向けた国際的努力に水を差すような取引をイラクとしたりすることは許されることではなかった。
以上の点に限らず、今回の湾岸危機は、海外における邦人保護のあり方について多くの教訓を残した。政府としても、これらの教訓を踏まえて、緊急事態における邦人保護体制の一層の整備を図っていがなければならない。