第2節 湾岸危機への日本の対応
1. 外交努力
日本はイラクのクウェイト侵攻当日の90年8月2日、イラクに即時撤退を申し入れ、それ以後、イラクのクウェイトからの撤退及びクウェイト正統政府の権威の回復を含む国連安保理決議の完全な実施を基礎に平和的に問題が解決されるべきであるとの立場を一貫してとり、そのための外交努力に全力を傾けた。海部総理大臣は日本の貢献策の策定作業を指揮するべく、90年8月に予定されていた中東諸国訪問を延期し、代わって中山外務大臣が8月17日よりサウディ・アラビア、オマーン、ジョルダン、エジプト、トルコを訪問した。また、同年10月に海部総理大臣がエジプト、ジョルダン、トルコ、サウディ・アラビア、オマーンを、中山外務大臣がシリア等をそれぞれ訪問した。これらの訪問を通じて、日本はイラクの周辺諸国との間で湾岸危機の解決のための基本的な立場が一致していることを確認し、そのための共同の努力を行うことに合意した。また、日本は、湾岸危機全般を通じ、国連総会や二国間会談等の機会に国連安保理常任理事国を始めとする主要国との緊密な連絡、協議を通じ、事態の平和的解決のための環境を醸成するための努力を続けた。同時に、イラクに対しては、10月にジョルダンで海部総理大臣が西側首脳として初めて行ったラマダン・イラク第一副首相との会談や、12月のフセイン・イラク大統領に対する海部総理大臣の親書の発出、国連事務総長、現地の大使館等のルートを通じて、イラクがクウェイトから無条件に撤退することにより問題を平和的に解決するべきことを繰り返し呼び掛けた。また、12月に小和田外務審議官がジュネーヴにおいてフセイン大統領の側近と接触するなど、イラクに対する直接的な働き掛けを行った。
さらに、91年1月に入り、武力行使の可能性が高まる状況の中で、日本は、最後まで国連安保理決議に従った事態の平和的解決を望むとの立場から、可能な限りの外交努力を展開した。具体的には、国連事務総長のイラク訪問に際し、事務総長の仲介にあらゆる支援を与える旨の海部総理大臣のメッセージを伝達したほか、中山外務大臣が国連安保理決議678が定めた撤退期限である15日を目前に訪米し、米国首脳と協議を行うとともに、撤退期限14時間前にデ・クエヤル国連事務総長と会談し、国連事務総長の努力の継続を要請した。また、地上戦が開始される見通しが強まった2月中旬から戦闘の終結に至る期間においては、海部総理大臣がブッシュ米国大統領やゴルバチョフ・ソ連大統領と電話会談を行い、中山外務大臣がベーカー米国国務長官と連絡をとるなど、関係各国との緊密な連絡を維持した。
2. 経済制裁
イラクによるクウェイト侵略に際し、日本は直ちに国内にあるクウェイト金融資産を保全するための措置をとるとともに、イラクの侵略行為を強く非難し、国連安全保障理事会が経済制裁に関する決議を採択するのに先立って、8月5日にイラクに対する経済制裁措置を自主的にとることを決定した。これは、(あ)イラクとクウェイト両国からの石油輸入の禁止、(い)両国への輸出の禁止、(う)両国に対する投資、融資その他の資本取引の停止のための適切な措置の採用、(え)イラクに対する経済協力の凍結を内容とする包括的なものであった。
また、8月6日に国連安保理決議661が採択され、(あ)イラクとクウェイト両国の製品の輸入の禁止、(い)両国の製品の輸出に対する協力の禁止、(う)両国への自国製品の輸出の禁止、(え)両国との役務取引の禁止が加盟国に求められた後は、先の決定に加え、この決議を履行するために必要な国内的措置をとった。
3. 湾岸地域の平和回復活動への支援
イラクのクウェイト侵略という事態に際し、国際社会は国連安保理決議の採択、多国籍軍の活動、国際的な経費分担等を通じて、当初より国連の権威の下に先例のない協力関係を築いて対応した。特に米国を中心とする29か国が民族や、思想、信条を越え、国内の経済困難を抱える中で国民の犠牲と膨大な支出を覚悟して多国籍軍に参加し、またサウディ・アラビア、クウェイト、アラブ首長国連邦のほか、日本、ドイツ等が資金的援助を行った。域外国からは、日本とドイツが多くの資金的貢献を行い、特に日本は最大の資金的援助を行った。
隣国を武力によって侵略し、併合するというイラクの行為は、国連憲章において「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない」、「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」という規定で明確化されている国際法の最も基本的な原則を踏みにじる行為であり、日本としても、見過ごすことのできない事態であった。しかも、国際社会で主要な地位を占めるに至った日本が、財政支援と日本としてなし得る人的協力の両面でこの事態に積極的な貢献をすることは当然の責務である。また、国際社会においても日本が相当の経費分担を行うことについての強い期待があった。
このような認識に立って、政府は、90年8月29日、湾岸における平和回復活動に対する協力として、輸送協力、物資協力、医療協力、資金協力からなる貢献策を決定し、9月21日に1,228億8,000万円(9億ドル相当)を湾岸平和基金(注)に拠出し、また、141億円を政府が行う輸送協力、医療協力に充当した。さらに、9月14日、追加的協力を行う用意がある旨表明し、これを受け1,300億円(10億ドル相当)を補正予算に計上し、この補正予算の成立を受けて同額の資金を湾岸平和基金に拠出した。
91年1月17日、多国籍軍が国連安保理決議678に基づく武力行使に踏み切ったことを受けて、日本は国連加盟国としてこれら諸国の行動に対し確固たる支持を表明するとともに、1月25日の閣議了解を踏まえ、湾岸における情勢や日本の国際社会における地位等諸般の要素を総合的に勘案して、関係各国が当面要する経費に充てるため、1兆1,700億円(当時のレート1ドル130円で換算して90億ドル相当)を補正予算に計上し、この補正予算とその財源の確保に係る臨時措置に関する法律(増税を含む)の成立を受けて同額の資金を追加的に拠出した。国連安保理決議678によりすべての国連加盟国は関係諸国の平和回復活動に対し「適切な支援」を与える責務があり、日本の1兆1,700億円の追加拠出はこうした責務をも果たすものであった。また、このように日本が率先して資金拠出を行ったことは、その後のクウェイト、サウディ・アラビア、ドイツによる資金拠出を促すことになったとも考えられる。
そして、湾岸地域での実力の行使に一応の終止符が打たれた後も、同地域の平和と安定の回復のために引き続き種々の活動が必要となり、こうした中で1兆1,700億円の拠出を決定した時点では想定されていなかった新たな資金需要が発生していたことにかんがみ、91年2月9日の閣議決定を受けて、日本として必要かつ妥当と考えられる700億円(5億ドル相当)の追加拠出を行った。
また、政府は、90年8月29日、周辺国に対する支援と避難民援助を発表し、9月14日湾岸危機により深刻な経済的困難に直面しているエジプト、トルコ、ジョルダン等の周辺諸国に対して総額20億ドル相当の経済協力を行うことを決定した。さらに91年3月、周辺国支援の一環として、シリアに対し約5億ドルの円借款を供与する旨を発表した。
避難民援助については、政府は合計6,000万ドルの資金面の協力に加え、民間航空会社の協力を得て、国際移住機関(IOM)に協力、90年9月及び10月、ジョルダン滞留のフィリピン人を、91年1月及び2月にはヴィエトナム人及びタイ人を本国まで輸送した。また、実施するには至らなかったものの、これらの被災民の輸送のために自衛隊機を使用することが検討され、これに必要な政令が90年1月に制定された。
4. 国連平和協力法案
湾岸危機に際して、国連は国際秩序を維持するための国際社会の一致した行動の中心となり、これによって国際の平和と安全の維持のために果たす国連の役割の重要性が改めて認識されることとなった。
このような国連の努力に対しては、日本としても国際社会の責任ある一員として国力にふさわしい貢献を行うべきことは当然であるが、その際、単に資金面や物資面での協力にとどまらず、人的側面で効果的な協力を行う必要があることが痛感された。このような考えに基づいて、国際の平和及び安全の維持のために国連が採択する決議を受けて行われる国連平和維持活動やその他の活動に対し、人的及び物的側面での協力を適切かつ迅速に行うことができるように国内体制を整備することを目的として政府が作成したのが、国際連合平和協力法案であった。第119回国会における審議の結果、同法案は廃案となったが、同法案をめぐる広範な国民的議論等を通じ、国際平和に関する活動、特に国連平和維持活動に対して人的及び物的側面での協力を行うべきことについて国民の意識は確実に高まった。政府としては国民の理解が得られる形でこのような協力を行うための国内体制を整備していく必要があると考えており、引き続きこのための努力を行っていく方針である。
5. 国際社会の評価
湾岸危機の諸問題について日本が行った多額の資金協力を始めとする様々な協力は時間の経過とともに、国際的にも評価されるようになっている。しかし、湾岸危機の近況が国際社会を支配していた段階においては、日本の協力について「遅過ぎる、少な過ぎる」という批判や日本の協力に人的側面の協力が含まれていないことについての批判があった。
他方、今回の湾岸危機は、第二次世界大戦後の日本が経験したことのない多くの問題についての判断と対応を迫るものであっただけに、政府の対応の決定に時間を要したり、行動に限界があったことはある程度止むを得ないことであった。
(注) | 湾岸の平和と安定の回復のため国連安全保障理事会の関連諸決議に従って活動している各国を支援するため、日本と湾岸アラブ諸国協力理事会(GCC)との間の9月21日付の交換公文に基づいて同理事会に設けられた基金。 |