第2節 日本の外交の課題

 

 90年11月12日,即位の礼の中心的行事である即位礼正殿の儀が行われた。即位礼正殿の儀には、世界158か国、欧州共同体(EC)及び国連の代表、並びに在京外交団総計474名が参列した。湾岸危機が進行中であったこの時期にこれほど多くの参列者が即位の礼のために訪日したことは、89年2月の大喪の礼に引き続き、日本の皇室に対する各国の尊敬と親しみの深さとともに、今日の世界における日本の地位の高まり、各国の日本に対する関心の大きさを再び示すものとなった。こうした日本重視の姿勢は、また、日本に対する期待の高まりを反映したものでもある。

 国際社会が新しい秩序を摸索する中、このような関心と期待に対し、日本外交はいかに応えていくべきであろうか。

 

1. 湾岸危機の影響―国内の変化

 

(1) 湾岸危機は日本の外交にとっても大きな試練であり、日本外交の変化を促した。多国籍軍支援と周辺国支援のために、新規増税も行いつつ130億ドルに上る協力を行ったこと、停戦直後に環境対策と難民救済のために7チーム、66名の国際緊急援助隊を現地に派遣したこと、停戦後の残存機雷の処理のために海上自衛隊の掃海艇をペルシャ湾に派遣したことなどの中に、世界の平和と安定を確保するための国際協調行動において、自らの経済力と国際的な地位にふさわしい責任と役割を果たすことを模索し始めた日本の新しい姿を見出すことができる。また、国連平和協力法案についても、法案自体は廃案となったものの、その審議の過程を通じて、国連の平和維持活動等の国際協調活動に参加、協力するための法制面を含む国内の準備体制を整備することの必要性については国内的な合意ができた。

ペルシャ湾で機雷の処理にあたる海上自衛隊

(海上自衛隊提供)

 湾岸危機に際しては、国際協調行動における日本の存在感の小ささが国際的に批判されることにもなったが、このような緊急事態に対応するために必要な政策や体制、法制面の準備、さらには、それらの課題についての世論の総意といった、所要の備えがないままに多くの未経験な問題に対処せざるを得なかった以上、日本政府の対応に不足や遅れがあったことは、ある程度止むを得ないことであった。

(2) 湾岸危機が日本外交に与えた影響を総括的に判断するのは時機尚早である。しかし、湾岸危機をめぐる国内各方面の論議を通じて、少くとも次の2つの点が明確になったと考えられる。

 その第1は、憲法の禁じている武力行使を目的とした自衛隊の海外派兵についての世論の強い反対が再確認された反面、世界の平和と安定のために、資金的な協力にとどまらず、日本人が参加する形の人的な協力を行うべきであり、そのためには、憲法の範囲内で自衛隊や自衛隊員も活用すべきであるという声が高まってきたことである。

 政府が、停戦後の湾岸地域へ環境対策や難民救助のための緊急援助隊を派遣し、また、残存機雷の処理のために掃海艇を派遣した背景には、こうした世論の高まりについての認識がある。また、湾岸危機を契機として、海外における人道的な支援活動に従事するための民間のヴォランティア活動が盛んになってきたのも、こうした世論の反映と考えられる。

 人的な協力の面では、87年に国際緊急援助隊が正式に発足してから、例えばソ連のアルメニア地震(88年12月)、フィリピンのルソン島地震(90年7月)等の際の災害救助といった実績があり、最近では、先に触れた湾岸地域における環境対策、難民救助のほかに、バングラデシュの洪水(91年8月)に、2機のヘリコプターを含めて、50名の消防隊員から成る国際緊急援助隊を派遣した。そして、これまでに海外に派遣された国際緊急援助隊は25か国に対し、延べ38件、286名となっている(注) 。

 また、国連の平和維持活動等のいわゆる「平和のための協力」の分野でも、88年以来、アフガニスタン問題及びイラン・イラク紛争に関する国連平和維持活動に外務省員を派遣したほか、ナミビアの選挙監視団への参加(89年11月、27名)、ニカラグアの選挙監視団への参加(90年2月、6名)の実績があり、湾岸危機との関係でも、イラクにおける大量破壊兵器の廃棄に関する国連の特別委員会に専門家(外務省参与の元自衛官)を委員として派遣した。

 国際緊急援助隊の行う災害救助や国連の平和維持活動等の国際平和を確保するための活動に、今後どこまで自衛隊を活用するかは、国会における関係法案の審議を通じて決定されるべきことである。しかし、国際社会の平和と安定を確保するための国際協調活動に日本が人的な面での参加や協力を行っていくことは、これからますます重要になっていくと判断される。湾岸危機を契機としてこの問題に関する国民の関心が高まってきスことは、その意味で心強いことと言うべきである。

(3) 湾岸危機をめぐる国内の議論を通じて明らかになってきたもう一つのことは、日本外交の独自性を求める声が高まってきたことである。他方、日本が国際政治上の問題について、率先して自らの判断を示し、自らの持てる力を使って独自性のある外交活動を行っていくことは国際的にも期待されている。

 停戦後の湾岸問題について、日本が環境対策やイラン、トルコにおける難民救済のために積極的に行動し、また、湾岸危機の反省に立って、通常兵器の移転規制の重要性を国際社会に訴えたことは、日本の独自性のある外交活動として国際的にも評価されている。こうした外交活動をいかにして強化していくかが、これからの日本にとって、国内的にも国際的にも重要な課題である。

 

2、転換期の日本の外交

 

(1) 上述の通り、湾岸危機という大きな試練に直面し、日本外交は新たな展開を見せた。しかし、仮に湾岸危機がなくても、日本外交は新たな展開を示すべき時期にさしかかっていたと考えられる。

 第二次世界大戦後の日本外交は、大きく分けて2つの段階を経て発展してきた。第1の段階は戦後処理と復興の時代であって、1945年の終戦から1970年代初めまでの時期がそれに当たる。この時代の外交の目的は、平和条約の締結、国交の回復、国連を始めとする国際機関への参加といったことを通じて、国際社会への復帰を図るとともに、日本経済の復興に必要な国際関係を構築していくことであった。

 外交における戦後の時代がいつ終ったかということは、色々議論があり得るところである。しかし、少くとも日本政府が公にしてきた認識としては、1972年の沖縄返還をもって「戦後」は終ったとされている。同じ1972年に日中関係も正常化し、対外関係における主要な戦後処理としては、北方領土問題を解決して日ソ間で平和条約を締結することと、北朝鮮との関係を正常化することを残すだけとなった。そしてこの2つの懸案についても、今や、ゴルバチョフ大統領の訪日によって日ソ間の平和条約締結のための準備作業を加速化することが合意され、また、日本と北朝鮮の国交正常化のための交渉が開始されている。

(2) 日本外交の発展の第2段階は、日本が「西側先進民主主義工業国」の一員として、その責任と役割の拡大に努力してきた時代であって、1970年代と80年代の20年間がほぼその時期に当たる。

 上述の「戦後」の時代における経済復興を通じて日本は、1960年代後半にはA国民総生産(GNP)で自由世界第2位になるまでの力をつけていた。その経済力を背景に、日本が西側先進民主主義工業国の一員としての地歩を確立したのが1970年代であり、そのことを象徴的に示したのが、米国、英国、フランス、西ドイツ、イタリアの5か国に日本を加えて1975年に発足した主要国首脳会議(経済サミット)である。

 西側先進民主主義工業国としての日本に求められた役割は、1970年代には経済の分野に限られていた。しかし、1979年末のソ連のアフガニスタン侵略を契機にして、日本は対ソ経済制裁という西側の政治行動に参加した。また、ソ連のSS-20ミサイルという西欧とアジアの双方に脅威を与え得る輸送可能な核ミサイルの登場や、極東ソ連軍の急速な増強を前にして、83年のウィリアムズバーグ・サミットにおいて、当時の中曽根総理大臣が、西側の安全保障の不可分性についての認識を米欧の指導者と共有する旨を表明した。サミットにおける日本の発言力はその後更に強まり、90年のヒューストン・サミットにおいては、中国の改革・開放を促進するという見地から、中国に対する第三次円借款を徐々に再開するという日本の主張に対して、最後まで反対する国はなかった。このことは、アジア・太平洋地域の問題に関して日本が自らの判断と責任において決定したことについては、各国もそれを尊重するという時代になったことを示すものであった。そして、ロンドン・サミットにおいて明らかになったように、対ソ支援問題や通常兵器の移転規制問題といった世界的な政治問題について、日本の主張が、西側世界の問題認識や政策判断に相当な影響を与えるようになっている。

(3) しかしながら、西側先進民主主義工業国という概念も、今や、国際政治上の意味を失いつつある。東西冷戦の終焉は、「西側」という概念のもつ意味をあいまいなものにした。また、「先進民主主義工業国」という概念についても、アジア・太平洋地域について日本のことだけを指す時代は終りつつある。韓国や東南アジア諸国連合(ASEAN)の国々の工業化が進展し、いわゆるアジアの新興工業国・地域(NIEs)のダイナミックな経済活動の世界経済に与える影響力が大きくなってきたからである。

 この結果、日本の行う国際的な政策協調も、より幅の広いものにしていかなければならない。もちろんこのことは、日本が米国との同盟関係やサミット参加国(G-7)の間の特別な政策協調関係から離れるべきことを意味するものではない。先にも触れた通り、日米関係と日欧関係の強化は、日本外交にとってますます重要になってきている課題である。しかし、日米間やG-7の間の政策協調関係に加えて、アジア・太平洋地域の国々との間で国際問題についての政策協調を行う関係を構築していくことも日本にとって重要になってきた。これからの日本外交の展開を第3段階と呼ぶかどうかは別として、これからの日本外交に70年代、80年代には見られなかった新しい局面への展開が求められることは疑いを容れない。そしてその一つが、アジア・太平洋地域の国々との間の国際問題についての政策協調関係の構築であろう。

 アジア・太平洋地域の国々との政策協調については、これまでもヴィエトナム難民問題やカンボディア問題に関するASEAN諸国との協力のような例がある。しかし、これまでの日本とアジア・太平洋諸国との関係は、どちらかと言えば、経済協力や貿易、投資関係を中心とする二国間関係が中心であった。

 しかしこれからは、経済面では、アジア・太平洋経済協力(APEC)のような多数国間協力が重要になってくるし、また、朝鮮半島、カンボディア、南シナ海といった、対立や抗争のある地域の緊張緩和と安定、北朝鮮の核開発の防止といった政治や安全保障に絡む問題についての政策協調も大きな課題になってくると考えられる。さらに、環境、難民、麻薬、テロといった、国境を越えた問題も、これからの日本とアジア・太平洋地域の国々との間の政策協調の重要な課題である。

 それだけに、アジア・太平洋地域の国々と日本との間の相互信頼関係を一層深めることが不可欠の課題になってくる。日本が軍事大国にならないという政策を堅持していくことはそのために重要である。しかし、それにとどまらず、アジア・太平洋の国々の日本に対する不安や懸念に率直に耳を傾け、そのような問題についての議論を深めるために、日本が自ら進んで、これらの国々との政治対話の場に参加することが、これらの国々との間の相互信頼を深めるために重要である。ASEAN拡大外相会議を、「友好国間で安心感を高めるため」の政治対話の場として活用したいという、中山外務大臣が91年7月のASEAN拡大外相会議で明らかにした考えも、このような認識に立ったものである。

(4) 日本外交が新しい段階に入ろうとしていることは、このような政策協調関係の局面の広がりにとどまらない。むしろ、より重要なこととして、日本が今や、新しい国際秩序の構築にかかわりのある問題のほとんどすべてに影響を与える立場にあることが指摘されなければならない。第1節で述べてきたところからも明らかなとおり、世界経済の持続的発展の確保、対ソ支援、地域紛争の解決、軍備管理・軍縮の促進、国境を越えた問題についての協力の促進、国連の強化、そして日米欧三極関係の調整といった、これからの国際秩序の基本に係わる問題のいずれについても、日本はその帰趨に大きな影響を与え得る立場に立っている。そして、これからの国際秩序のもう一つの重要な局面であるアジア・太平洋地域の安定と発展には、日本は正に中心的な役割を果たしていかなければならないのである。

 新しい国際秩序の構築に影響を与える立場からの日本の外交がこれまでの外交とかなり異なったものになることは当然期待されているところである。

 

3. 日本の外交の課題

 

 (1) 国際秩序の構築に影響を与える立場に立った日本の責任の一つは、日本外交がよって立つ理念を明確にし、日本が国際的に追求する理想や目標を国際社会に対して常に明らかにしていくことである。日本外交の独自性もこうした努力の過程で追求されていくべきであり、また、「日本外交には顔がない」という、内外で繰り返し聞かれる批判に対しても、このような努力を通じておのずから答えが出されていくことになると考えられる。

 日本外交のよって立つ理念が憲法の精神の中に見出されることについてはあまり異論がないと考えられる。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とする憲法第9条の規定や、「日本国民は、・・・・・・、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」、「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる」といった、憲法前文に示された「崇高な理想ニ目的」は、いずれも日本外交のよって立つ理念にほかならない。

(2) 他方、日本が国際秩序に大きな影響を与える存在となった今日、このような普遍的な理想と目的を日本が自らの理想と目的として受けとめることを内外に誓うだけではなく、より積極的に、こうした理想と目的の実現のために、日本がある程度の犠牲を払ってもその責任と役割を果たすことが何よりも重要である。

 また、国連憲章を中心に各国が追求すべき理想とか理念が普遍的になり、その意味で各国の独自性は失われつつあることを考えると、日本が外交上の独自性を追求するとすれば、日本が追求する世界の理想的な姿や、その実現のために、日本として重視する政策目標を内外に示すことが重要である。

 90年3月の施政方針演説で海部総理大臣が明らかにした新しい国際秩序についての考え方はその意味で重要である。欧州の変化、冷戦の終焉という情勢の展開の中で国際社会が新しい国際秩序を模索し始めたことを踏まえて、海部総理大臣は日本が求める国際秩序について、「第一に、平和と安全が保障されること、第二に、自由と民主主義が尊重されること、第三に、開放的な市場経済体制の下で世界の繁栄が確保されること、第四に、人間らしい生活のできる環境が確保されること、第五に、対話と協調を基礎とする安定的な国際関係が確立されること」を目指すものでなければならないことを明らかにした。この考え方は、その後のヒューストン・サミットにおいてうたわれた民主主義の確保の重要性、そして、ロンドン・サミットにおいて打ち出された国際秩序の強化の重要性といった、国際社会の思想の流れにも一致している。

(3) この考え方は、竹下内閣以来政府が推進してきた、「平和のための協力」、「政府開発援助(ODA)の拡充」、「国際文化交流の強化」を3本柱とする「国際協力構想」が目指してきたところとも一致する。また、「国際協力構想」の内容は、変化する国際社会の要請に応えるものとすべく、竹下内閣の下で打ち出された当時のものに比較して、拡大強化されてきている。例えば、「平和のための協力」は、東欧諸国、ソ連、モンゴル等の民主化や市場経済の導入を支援するための資金援助や技術協力、さらには、湾岸戦争後の難民支援のための緊急援助隊の派遣や同じく湾岸戦争後の掃海艇派遣を含むようになっている。また、90年6月に、日米安保30周年を記念して安倍元外務大臣が訪米した際に明らかにした提案を契機として開設された国際交流基金日米センターは、より緊密な日米関係を構築していくことを目的とする日米各界の交流や両国間の知的交流の幅を画期的に拡充しようとする点で、「国際文化交流の強化」の面においても従来見られなかった意欲的な構想として、日米双方の関係者の高い関心を集めている。

(4) しかしながら、国際社会が新しい国際秩序を模索している今日、そして日本外交自体も新たな転換期にさしかかっている今日、日本外交のあり方についても、外交政策の目標と、それを達成するための政策手段の両面において、新たな視点を加えつつ見直していく必要がある。外交政策の目標については、次の4点が特に重要である。

 第1に、世界の平和と安全保障を高めることに役立つ政治外交を積極的に展開することである。

 このことは、日本の防衛政策における専守防衛という基本政策を変更することを意味するものではない。日本が米安保体制を堅持し、アジア・太平洋地域における米軍の存在を確保するための各種の支援や日米間の防衛協力を強化しつつ、自らの自衛力については、軍事大国にならないとの基本方針の下に専守防衛に徹する姿勢を貫いてきたことが、アジア・太平洋地域の安定に役立ってきたことは明らかであり、日本が今後ともこの政策を堅持することが重要である。欧米の一部にある、日本が北大西洋条約機構(NATO)加盟国のように軍事行動に参加することを期待する声に応えることは、現行憲法下の日本にはできないし、また、日本の置かれた国際政治上の立場だけから見ても、そのようなことはすべきでもない。

 しかし、日本が常に、世界の平和と安全保障に係る問題に関心を持ち、その確保のために、積極的に指導的な役割を果たす姿勢を明確に示すことは重要である。そのためには、憲法の枠内でなし得ることを実行するために、法制面を始めとする諸般の準備を整えておくことが不可欠であることは言うまでもない。これまでの日本に世界の平和と安定のための責任と役割を果たすことについての国内的な準備に裏打ちされた明確な姿勢が欠けていたことが、米国等からの要求や圧力を生んだ一つの原因であったとも考えられる。

 平和と安全保障を高めるための外交の中で日本がその特色を出すべき分野が、核兵器の軍備管理・軍縮の促進と拡散防止、生物・化学兵器の包括的禁止と通常兵器の移転規制といった課題を中心とする、広い意味での軍備管理・軍縮であることは当然である。唯一の核被爆国でありAまた、武器やその製造関連設備の輸出を事実上行っていないという、この分野では極めて先進的な政策をとっている日本が、この分野の問題で指導的な役割を果たすことは国際的にも重要である。その意味では、湾岸危機が終わってからロンドン・サミットに至る間において、日本が国連と協力して京都で軍縮会議を開催し、通常兵器の移転規制の問題を中心に軍備管理の規制強化の必要性を訴えたこと、また、国際原子力機関(IAEA)保障措置制度の整備と強化を提唱したことは、国際的にも評価され、また、日本の独自性を際立たせる上でも効果的であった。

 同じ範疇に入る問題が、北朝鮮の核兵器開発問題である。朝鮮半島への核兵器の拡散を防止する上で日本が関係諸国と協力しつつ積極的な役割を果たすことは、核兵器の拡散防止を願うすべての国が強く期待しているところと言っても過言ではない。

 世界の平和と安全保障を高めるために日本がその特色を出すべきもう一つの分野はアジア・太平洋地域における対立や抗争の解消である。その見地からは、朝鮮半島、カンボディアの2つの地域が当面最も重要である。そして、日本がアジア・太平洋地域で政治的な役割を効果的に果たすためにも、アジア・太平洋地域の国々との間で、お互いの信頼感を高めるための努力を一層強化することが必要であることは、先に指摘したとおりである。

 これからの外交政策の目標として重要なことの第2は、民主主義や基本的人権のような国際的に普遍的な価値を守るための国際努力に、積極的に参加、協力する姿勢を明確にすることである。

 先にも指摘したとおり、国際秩序に大きな影響を与え得る存在となった日本は、単に自らが自由と民主主義、法の支配、基本的人権といった普遍的な価値を信奉するということにとどまらず、自らの行動によって、そのような価値を守っていくことの重要性を自覚しなければならない。89年6月の天安門事件に際して日本が毅然とした態度をとったこと、ソ連のクーデター事件に際してクーデター側の行動を批判したことなどは、この意味で重要であった。

 これからの国際情勢を展望すると、東欧諸国やソ連における共産党一党支配の崩壊は、他の地域の社会主義国にも影響を与えることになると考えられる。また、これから予想される国際問題として、民族問題に起因する内乱や国際紛争が発生する可能性が指摘されるが、民族問題の解決のためにも、少なくとも民主主義の確保、基本的人権の尊重、生活条件の格差是正といった普遍的な価値の確保が重要である。さらに、東西間のイデオロギー的対立が国際関係を律する要因としての意味を減少させた後で、国際社会における普遍的な価値に対する姿勢を共にするか否かということが、国際政治における連帯感や協力関係を決める大きな要因になってくると考えられる。

 このような状況から見て、日本が普遍的価値に対する姿勢を外交政策の上で明確にすることが、これまで以上に重要になってくると思われる。このような普遍的な価値に対する姿勢の示し方には、政府の立場の表明から、民主主義の導入を図ろうとする東欧諸国やモンゴルに対する経済協力、最近までの南アフリカの場合のような人権を守らない国に対する経済制裁への参加等、様々な態様がある。しかし、この分野の問題で最も重要なことは、基本的な考え方を国際社会に明確にかつ時機をとらえて示すことである。その関連で政府が、91年4月に、今後の政府開発援助(ODA)の実施に当たり、被援助国の軍事支出の動向、核兵器等の大量破壊兵器の不拡散に対する姿勢、武器移転に関する姿勢と共に、民主主義や基本的人権に対する姿勢を考慮することを明らかにしたことは重要であり、既に国際的にも注目されている。

 これからの外交目標との関連で重要な第3の点は、普遍的価値を守ることと重なる面もあるが、地球環境、難民、大規模災害復旧から、麻薬までを含む人道上の観点から重要な、あるいは国境を越えた協力を必要とする、全人類的な課題を日本外交の課題として重視することである。これらの課題が、後述する人的な協力の面でも日本がその特長を発揮し得る分野であることも、この関連で注目しておく必要がある。

 もう一つ、外交目標の関連で指摘しておかなければならないことは、国際経済の面における日本の責任と役割が今後更に大きくなってくるということである。自由貿易体制を維持し、強化するためにも、開発途上国の経済困難を解決するために、そしてソ連、東欧諸国やアジアの社会主義国における民主化、市場経済導入の努力を支援するためにも国際的な協力の中で日本が指導的な役割を果たすことが、自他共に認める経済大国としての日本の国際的な責務となっているといっても過言ではない。

(5) 日本が国際的にその責任と役割を果たしていく上で最も重要な政策手段は、今後とも、経済協力であり、その意味でODAの拡充は最優先の政策課題である。

 日本は、開発途上国が多く、経済発展が主要な政治課題であるアジア・太平洋地域に位置し、また、日本自身、欧米先進国から技術や知識を学び、近代国家として発展を遂げてきたといういう経験を有する。それだけに、開発途上国に対する協力は日本の国際社会における使命とも言うべき課題であり、日本の独自性を発揮する上でも最も重要な分野である。

 この関連で重要なことは、日本の場合、民間投資とか民間レベルでの技術移転に対する国際社会の期待が大きいということである。したがって、その方向での民間企業の努力を支援し、促進していくための政府レベルでの各種施策も、ODAと並んで重要である。

 また、経済・技術協力を使って何を達成するかという、政策目標の次元では、既に世界的な課題となっている環境問題を重視していくことが重要である。この分野では、産業開発に伴う公害の克服に心血を注いできた日本社会の経験と知見、2度のオイル・ショックを乗り越えた日本の省エネルギー技術などは、多くの開発途上国にとって参考とすべき貴重な材料であるという点に注目して、日本の特長を活かした協力を行うことも重要である。

 アジア、アフリカ、中米における紛争解決後の地域的な安定を確保するために、そしてまた、東欧諸国やモンゴル、さらには、最近のソ連のように、共産主義と計画経済に決別し、民主主義と市場経済を導入しようとしている国々に対し、経済・技術協力が不可欠の重要性を持っていることは言うまでもない。また、開発協力という見地からは周辺的な問題ではあるが、難民問題や麻薬問題の解決のためにODAを活用するという視点も、世界の平和と安定のために役立つという見地からは重要である。

 外交政策の手段の面で重要なもう一つの課題は、難民救助、災害復旧支援、環境保護、緊急医療といった分野における国際的な支援活動や、国連の平和維持活動などに対して、日本人が身をもって参加する、いわゆる人的協力を積極的に拡大していくことである。

 この人的協力も、上述の経済・技術協力と同様に、基本的には政策手段であって、より重要なことは、それを通じて何を達成しようとするかという政策目標である。しかし、この人的協力の分野では、これまで日本の参加や協力が少なく、そのことが国際的に問題視されてきたという事実がある。それだけに、ODAについて計画的に拡充を図ってきたように、人的協力についても、今後かなりの期間にわたって、民間援助団体(NGO)に対する支援強化も含めて政策的に拡充や強化を図っていくことが必要である。

(6) 近年、外交政策の手段として、情報の収集、分析、評価から伝達までの各段階について、ハード・ソフトの両面にわたる充実強化の必要性が指摘されている。情報の面にとどまらず、新しい時代の要請に見合う外交を実施するための体制の強化、人材の育成が一層重要になってきていると言えよう。

目次へ


(注) 物資の譲渡及び状況の調査のための調査員の派遣を除いて、海外に派遣された医療チーム、救助チームまたは専門家チームは、13か国に対し、延べ19件、266名。