2. わが国の行った主要演説等

 

(1) 竹下内閣総理大臣の西安記念講演

 

「新たなる飛躍をめざして」

(1988年8月29日,西安人民大厦)

首席接伴員王蒙(オウモウ)部長閣下

侯宗賓(コウソウヒン)陜西省省長閣下

並びに御在席の皆様

 

 このたび,中国政府の御招待により,日中平和友好条約締結10周年という意義深い年に中国を訪問し,長い歴史と文化を誇る古都西安において所信を述べる機会を得ましたことは,私にとりましてこの上ない喜びであり,光栄であります。中国政府,陜西省,ならびに西安市の関係者の皆様に厚く御礼申し上げます。また,私は日本政府と国民を代表して中国の皆様に心から友好の御挨拶を申し上げたいと存じます。

 私は,当地到着に先立って,永年の夢であった敦煌訪問を実現することができました。敦煌については,すでに我が国でもさまざまな形で紹介されておりますが,初めて莫高窟に足を踏み入れ,飛天の舞う壁面の美に触れたとき,私は一瞬,千年余の時空を超えて,これを描いた人々が直接に語りかけてくるように感じ,思わず大きな感動に包まれました。

 私は,古来戦乱の地として知られた西域にかくも優れた文化が花開き,それが幾世代を経て継承・保存されて今日に至ったことの貴さにあらためて深い感銘を受けると共に,これを守り伝えた人々がいかに強くこの世の平和を願っていたかを知らされる思いがしたのであります。

 

 御在席の皆様

 私が政治に志したのは終戦直後のことであります。日本海に面した山陰地方のふるさとに帰る途すがら,「国破れて山河あり」(注1)の観を目のあたりにして,二度と戦争を起こしてはならない,二度と国土を荒廃させてはならない,との切実な思いを抱き,平和で豊かな国づくりに一身を捧げようと決意したのがその動機でありました。

 平和こそ,日本の進むべき道であり,平和以外に日本の生きて行く道はありません。これが,歴史の経験から学んだ私自身の信念であり,また日本国民の総意でもあります。我が国は,この国民的願いを謳った憲法の下で,軍事大国への道を歩まず,政治,経済,文化の面で持てる力を生かして世界の恒久平和の実現のために貢献するとの立場を守ってきました。

 幸い日本国民のたゆまぬ努力と恵まれた国際環境の中で世界屈指の経済力を有する国家へと発展した今,日本は,平和国家としてのこれまでの立場を堅持しつつ,国際社会から寄せられる関心と期待の高まりに応えて国力に相応しい役割と責任を果たし,平和を希求する各国民との密接な協力を通じてより一層積極的に世界に貢献すべきであります。このような認識に立てばこそ,私は総理就任以来,「世界に貢献する日本」の建設を最も重要な政策目標として掲げ,力を尽くしてきたのであります。

 本日は,かかる外交理念を踏まえて,まず,日中関係に関する私の考えを申し述べたいと存じます。

 

 御在席の皆様

 日中国交正常化以来,日中両国は,体制を異にする国家間の友好のモデルを目指して努力を重ねてまいりましたが,この間日本も中国も力強い発展を続け,両国関係は急速に拡大してきました。そして,さらに大きな発展を図るための基盤は着々と整えられつつあります。日中両国は過去2,000年の交流の経験の上に立ち,来るべき21世紀に向けて新たな飛躍へのスタートを切るべき時にきていると確信するものであります。

 とりわけ今日,世界は政治・経済両面において大きな変革の時期にあります。今後の国際社会に占める日中両国の比重の大きさを考えるとき,日中関係は両国の利益のみで完結されるには余りに重要であると言わなければなりません。私は,めまぐるしく変化する国際情勢の中で,とくに目覚ましい興隆を遂げつつあるアジア・太平洋地域に位置する日中両国が協力し,世界の平和と繁栄のために積極的に貢献し得る分野は極めて大きいと思うのであります。

 私はここで,我が国がその対中基本政策として,過去の歴史に対する厳しい反省を出発点とし,日中共同声明,日中平和友好条約,日中関係4原則の精神に則って,日中友好協力関係の一層の強化発展をはかり,いかなることがあっても揺らぐことのない関係を築き上げるため,引き続き全力を傾注していくことを改めて表明いたしたいと存じます。

 このたび,北京において趙紫陽総書記閣下,トウ小平主席閣下,楊尚昆主席閣下及び李鵬総理閣下と共に,国際情勢と二国間関係につき胸襟を開いて意見の交換を行いました。これらの会議を通じて私は中国の指導者の考えを明確に知り,信頼関係を一層強化することができたと自負しております。

 日中両国は体制を異にしており,今後も時として困難な問題や摩擦が生ずることがあるかもしれません。しかし,私は,相互信頼の基礎の上に双方がお互いの国情を尊重しながら,友好関係の発展という大局に立って対処していくならば,いかなる問題も必ず解決できると信じております。今次訪中の経験は,このような私の信頼を一段と深めるものとなりました。

 また,我が国は,貴国指導者及び国民が英知を結集し近代化に取り組んでおられる努力と熱意を高く評価し,可能な限りの協力を行ってまいる決意であります。貴国の近代化事業は決して容易なものではないと思いますが,広大で豊かな国土と活力ある10億の国民の底力は必ずそれを成功に導くものと確信いたします。日中両国政府間には1979年以来,経済・技術協力が活発に行われておりますが,この訪中を機に,我が国は貴国に対し新規円借款約8,100億円の供与をお約束いたしました。

 貴国の「改革と開放」の政策は,我が国のみならず世界各国でも歓迎されております。それは,この政策が貴国の近代化にとって重要であるばかりでなく,日本はじめ近隣諸国との関係の安定強化,並びにアジア・太平洋地域ひいては世界の平和と繁栄にとって極めて重要な意味を持っているからに他なりません。その意味で貴国指導者が現行の政策を堅持し,今後更に加速する旨繰り返し明言しておられることは誠に喜ばしいことであります。日中経済関係の健全な発展は,両国の将来にとって極めて重要であり,今後大いに前進させていかなければなりません。今回正式署名の運びとなった日中投資保護協定は,投資及び技術移転の促進に新たな弾みをつけ,両国経済交流促進に適切な刺激を与えるものとして大いに期待されます。今後貴国におかれても投資環境の整備に引き続き一層の努力を払われ,我が国の民間企業の対中投資が増大することを願うものであります。

 また,私は最近両国間の貿易不均衡が改善しつつあり,拡大均衡の方向で発展する傾向が見られることを歓迎いたしております。経済構造の調整の下で内需拡大に取り組む我が国と,開放政策の下で輸出拡大に努力されている貴国との間では,貿易の一層の拡大は十分に可能であり,両国の繁栄にとっても必要不可欠であると信ずるからであります。

 私は,近年,貴国が祖国の平和統一の実現に向かって尽力してこられたことを承知いたしております。すでに香港及びマカオについては関係国との間で平和的話合いを通じて円満なる解決への途が開かれました。これは,我が国としても高く評価するところであります。また私は,最近中国大陸と台湾との間の交流が活発化し,人的,物的往来に顕著な進展が見られることを歓迎いたします。日中共同声明に述べられている台湾に関する我が国の基本的立場は不変であり,かかる立場から台湾海峡の両岸の交流が今後一層発展することを期待いたします。

 本年は日中平和友好条約締結10周年に当たります。この10年の間,日中両国民の友情の高まりを背景に,両国の友好関係は目覚ましい発展を遂げ,アジア及び世界の平和と安定に大きく寄与してまいりました。我々は,今後一層両国民の交流をはかり,日中関係を双方の努力によって更に大きく飛躍させ世界に貢献するものとしなければなりません。私はそのため,自らの持てる力の限りを尽くす決意であります。

 

 御在席の皆様

 私は,「世界に貢献する日本」の理念をより具体化する重要な一環として,「国際協力構想」を提唱し,積極的にこれを実現すべく努力いたしております。それは,我が国の,平和のための協力の強化,発展途上国の社会経済開発のための協力(ODA)の拡充,国際文化交流の推進を3つの柱とし,この3つが調和のとれた形で諸外国との協力関係を打ち立てることを狙いとするものであります。

 日中両国関係を将来に向けてさらに揺るぎないものとするにも,各分野にわたって調和のとれた関係の発展をはかることが必要であります。すなわち,私は,両国間で政治,経済関係が大いなる前進を見せつつある現状に鑑み,文化面の交流もこれにふさわしい充実したものとなってこそ,幅広い両国関係の発展が可能になると考える次第であります。

 私は,国際社会には多様な文化が存在し,それらは何れも人類共通の財産としてその普遍的価値を広く各国民が享受すべきものであり,文化交流は,体制や価値観の相違を超え民族と民族が互いに尊敬し理解しあう基礎を作る上で,また政治,経済の関係を円滑に促進する上でも,極めて重要な意義を持つものと考えております。そして,このたびの中国訪問によって,私は2つの点で重要な示唆を受けたのであります。

 1つは,文化を継承する心は平和希求の原動力であり,平和は文化発展の必須条件であるということであります。文化の基礎があってこそ平和は意味あるものとなり,平和の基礎なしに文化の発展が望めないことは申すまでもありません。

 もう1つは,文化はまた,異なる文化との交流を通じ,互いに刺激し合うことによって更に豊かさを加え,そこに各民族の創意工夫が加わって新たな独自の文化を生み出すということであります。

 繁栄と文化を誇った「長安の春」の背景には長い平和がありました。戦乱に倦み疲れた人々は,何よりも生活の安定と平和な社会の永続をこいねがい,その中でこそ文化の隆昌も現実のものとなったのであります。

 長安は,シルクロードの起点であったのみならず,中国の伝統文化を中心としながら,西域から敦煌を経て流入した文化を融合した新たな文化の発信地でもありました。奈良時代の我々の祖先は,幾多の困難を乗り越えてそれを消化し吸収して,新たな独自の文化を創造しました。いまなお私共日本人が,シルクロード,敦煌,そして長安という言葉を聞くにつけ心の高まりを覚えますのは,かかる来歴を持つ文化が日本人の心の中に今も脈々と生き続けているからでありましょう。つまり,私が今立っているこの地は,日本人の文化の源流の1つであり,いわば心のふるさとであると言っても過言ではありません。

 日中両国間の文化交流は,先人の努力により更に様々の分野で花開いておりますが,これを更に大きく前進させていくためには,賢明な継承と大胆な創造を目指す両国国民のたゆまぬ努力が必要であります。

 このような視点から,私は本日この由緒ある西安の地において日中文化・学術交流に関する次のような提案をいたしたいと存じます。

 第一に,人的交流の拡大であります。

 長い日中間の歴史において,人的交流は一時たりとも途絶えたことはなく,またその友情は極めて深いものがありました。今を去る1200年前,長安の都で育まれた日本人阿倍仲麻呂即ち晁衡(ちょうこう)と詩仙李白の麗しい交友は,日中両国民の友情を象徴するものとして両国それぞれに今日まで語り伝えられており,それは,当市興慶宮(こうけいきゅう)公園の碑にも刻まれているとおりであります。

 また,我が国が17世紀から19世紀半ばの間,海外に門戸を閉ざしたいわゆる鎖国時代においてさえ,日中両国は長崎を通じて人や文化の交流を続けていたことも事実であります。

 こうした日中2,000年の交流史をふりかえると,人的交流の波は,遣隋・遣唐使時代を第1次とし,明治時代を第2次とすれば,現在は,あらゆる分野で量的にも質的にも未曽有の,第3次高潮期に入っていると申せましょう。

 この好ましい傾向は更に助長すべきであり,とりわけ21世紀を担う,我が国への留学生を含む両国青少年の交流の充実は極めて大きな意義があると存じます。若い頃,青年団のリーダーとして活動した私としては,この面について特に留意していく所存であります。先日私が北京滞在中に,日中青少年平和友好祭に出席して両国の青少年の皆さんにお会いしましたのも,このような私の考えを直接お伝えしたかったからに他なりません。

 第二に,心の交流の活発化であります。

 貴国においては,優れた伝統文化の基礎の上に,近年における近代化の進展に伴って学術,絵画,音楽,演劇,映画,スポーツ等の各分野で活気がみなぎり,目覚ましい躍進が見られます。最近では,両国間の学術交流も本格化するとともに,両国民相互の関心もかつてない高まりを見せております。貴国のご協力を得て,今年4月から我が国の古都奈良で開催中の「なら・シルクロード博」は毎日4万人の観衆を集めていますし,当地の西安映画製作所で製作された映画「古井戸」やこのほどチェコの国際映画祭でグランプリを獲得した「芙蓉鎮(ふようちん)」は我が国で多くの共感を得ています。

 我が国における中国研究・中国語学習熱は高いものがありますが,貴国でも日本研究・日本語学習熱が最近とみに高く,また日本研究者の層も厚みを増してきているとお聞きいたしております。これは,我が国に対する貴国民の関心の高さを物語るものとして大変喜ばしいことであります。こうした対日関心に対応する事業は着実に実績を上げておりますが,私は,これに弾みを付けるため,貴国の放送大学による日本語普及の充実等の具体的な協力の方策を検討して行きたいと考えております。

 文化の交流は,究極的には心の交流に帰着するでありましょう。いかなる交流も心の交流なしには絵に描いた餅に等しく,心の交流あってこそ生気躍動したものとなると考えます。日中両国間では伝統文化の交流に加え,現在の両国民の心情を代表する新しい文化活動の面でも民間と一体となって大いに交流を活発化させていくことが肝要であると思います。

 第三に,文化財,遺跡保存に対する協力であります。

 文化遺産は有形と無形とを問わず,それを保護しなければ,やがて変化し消滅していく運命にあります。このため文化遺産の保全には各国それぞれ対策を講じており,また国際間の協力や国際機関を通じての保護策も立てられていますが,私は,一国の文化財や遺跡は人類全体の遺産として維持・保存に協力していくべきであると考えております。我が国としても出来る限りこれら人類の文化遺産の維持,保存,研究に協力してまいりたいと存じます。

 今次訪中の機会に,敦煌石窟の保存及び西域研究のため,これまで日中両国官民により続けられてきた努力を踏まえ,さらに我が国政府として応分の新たな協力を申し出ましたのも,そのような認識に基づくものに他なりません。

 私は,日中間のこれらの文化面の交流と協力を通じて,両国のあらゆる層の人々の心の絆が今後更に強化され,それによって両国国民の間の相互信頼関係が揺るぎないものとなることを心から希望し,政府としても民間を含む各方面との密接な協力を通じて,日中文化・学術交流の一層の促進に努力してまいる所存であります。

 

 御在席の皆様

 21世紀を間近に控え,我が国は,これまでの経済発展の成果を真の豊かさに結び付け,さらに大きく世界に開かれた社会を築くため努力いたしております。即ち,物心両面において調和がとれ,文化の香り高い活気に満ちた平和国家を築き,世界的視野に立ってより大きな責任と役割を積極的に果たしていくべきであると確信するからであります。私の政治理念の根幹にあるこのような「ふるさと創生」の考え方は,単に日本にとって適切なものというばかりではなく,世界の多くの国々にもあてはまるものであると思っております。我が国は貴国の悠久の歴史と優れた文化から,これまでと同様今後とも多くのものを学び多くの示唆を得て,私共の「ふるさと創生」を進めてまいりたいと存じます。

 大自然は今,豊かな実りの秋に向けて準備を始めております。日中両国もまた,これまで先人が手塩にかけて育んできた花と果実を,より美しく実りのあるものとして,あらたなる飛躍をめざして共に努力すべき時期が到来したと信じます。我々は日中友好の花と果実を両国国民のみの財産とすることなく,アジアや全世界の人々と分ち合い,平和で繁栄した世界を築き上げるため共に協力していこうではありませんか。

 最後に,当地の古名・長安の名の通り,貴国が近代化を達成され(とこ)しえに安寧であることをお祈り致します。また,日中両国の友好が末永く発展し,あたかも盛唐の詩人が「塔勢湧出する如く」(注2)と形容した大雁塔さながらに,力強く揺るぎないものとなることを祈念いたしまして,私の講演を終りたいと思います。有難うございました。

 

塔勢 湧出する如く 孤高 天宮に(そび)

登臨 世界(世俗間)を出で 磴道 虚空を(めぐ)

突兀(とうこつ)(高く突出する)として神州を圧し 崢こう(そうこう)(高くけわしい)として鬼工の如し

四角 白日を(さまた)げ 七層 蒼穹(そうきゅう)()

下窺して高烏を指さし 俯聴(ふちょう)して驚風を聞く

連山は波涛の若く 奔走 東に朝するに似たり

青松 馳道を(はさ)み 宮観 何ぞ玲瓏たる

秋色 西より来たり 蒼然として関中に満つ

五陵 北原の(ほとり) 万古 青きこと濛々たり

浄理(仏法の清浄な理)了として悟る可く 勝因(すぐれた因縁)(つと)(そう)とする所

誓って(まさ)(かんむり)を挂けて去り 覚道(正しい悟り)して無窮に(たす)けんとす

 

目次へ

(2) 第43回国連総会一般討論演説における加賀美国連大使演説

(1988年9月28日)

議長,並びに御列席の皆様,

 私は,閣下が第43回国連総会議長に選出されたことに対し,日本政府及び国民を代表して衷心より祝意を表明いたします。閣下の豊かな経験と卓越した識見によって,今次総会は必ずや成果をあげるものと確信致しております。日本代表団は,閣下の重要な責務の遂行に対し協力を惜しむものではありません。

 また,私は,第42回総会議長フローリン閣下の達成された業績に対し,心から敬意を表します。

 最近,国連は世界各地の国際的諸問題の解決に向けてめざましい活躍を見せております。国際の平和の維持という最重要の役割を今や積極的に果たしつつある国連に対し,世界中の賞賛と熱い期待が寄せられております。これこそ国連の権威の回復であり,私はこれを心より歓迎いたします。かかる国連再生のきざしは,背後にある国際関係の反映でもありますが,同時に,ペレス・デ・クエヤル事務総長以下の国連関係者が,その才幹を縦横に発揮され,たゆまざる努力を重ねたからこそ,かかる国連の再活性化が実現しつつあるのであり,私は同事務総長以下に対し,深甚なる感謝の意と敬意を表したいと思います。

議長,

 まず,世界の平和と人類の繁栄にとって重要な動向につき,我々の基本認識を申し述べたいと思います。

 第一に,米ソをはじめとするここ1年間の東西関係の進展であります。米ソ両国は,IMF全廃条約を締結し,両国首脳の相互訪問も実現しました。この米ソ間の対話により,東西関係が安定化し,また,全世界的な規模においても話合いによる紛争解決への流れを促すことを期待しており,その意義は,高く評価されるべきものであります。

 かかる流れを背景にして,アフガニスタン問題については,本年4月ジュネーヴ合意が成立し,イラン・イラク紛争も停戦が実現し,更にはアンゴラ・ナミビア問題,西サハラ問題,カンボディア問題等についても,解決に向けての動きが生じつつあります。また,中東和平問題についても,新しい要素がみられます。もっともこうした動きは今,始ったばかりであり,地域紛争の全面的な解決は,今後の努力に待たねばなりません。しかし,解決への曙光が見えてきたことは確かであり,心強い限りであります。

 かかる状況の下で,我々は,「新しい思考」に基づくソ連の外交政策が,アジア・太平洋地域においても,北方領土問題の解決,極東におけるソ連軍事力の削減等,この地域の平和と安定に貢献する,より具体的な行動となって表れるよう強く期待するものであります。我々は,ゴルバチョフ書記長が先般のクラスノヤルスク演説において対日関係改善の意欲を示されたことを歓迎するとともに,年末の外相間定期協議をはじめとする両国間の政治対話の一層の進展を希望するものであります。

 第二には,経済発展のもつ重要性に対する正しい認識の定着であります。経済発展のためには政治の安定が不可欠であり,政治の安定のためには民生の向上が必要であり,民生の向上は,経済の成長を前提とします。このような一連の問題を全体として解決していくためには,経済発展を可能とする平和な国際環境が不可欠であり,そうした認識が定着したことは,戦後43年を経過した今日の特徴と考えられます。

 世界経済を見渡しますと,依然として大幅な対外不均衡や根強い保護主義圧力,あるいは途上国における累積債務問題といった不安定要因も継続しておりますが,ガットの場では多角的自由貿易体制の強化を目的とするウルグァイ・ラウンド交渉が進められ,また,我が国をはじめ先進工業国間の貿易収支不均衡の明確な改善の兆しや,雇用の拡大,あるいは新興工業国・地域,いわゆるNIEsの目ざましい発展といった明るい材料も出てきております。平和な国際環境の中で国内的な政治的条件が整い,経済政策が当を得れば,開発途上国はNIEsの段階に発展し,またNIEsは今後更に先進国の仲間入りが可能となることが,事実をもって証明されつつあります。

 第三に,永続する平和と繁栄の確保に対する最も深刻な挑戦の1つである,人口と環境の問題があります。人口は,昨年7月に50億人に達し,就中アジアの人口は去る8月10日,30億人を突破したと言われております。戦争は我々にとって無論大変な痛みです。しかし,人口問題は,食料問題,エネルギー問題,環境の悪化等とも関連し,戦争とはまた異なった痛みを引き起こしていると思います。さらに,人類は,熱帯林の破壊,砂漠化,オゾン層の破壊,気候変動と言った深刻な危険に直面しております。我々は,かかる地球的規模での痛みを黙視することはできません。私は,やはり経済の発展と地球の環境保全とを適切に調整しつつ,かかる問題に尚一層力強く対処せねばならぬと考えます。

議長,

 21世紀を間近に控えた我々としては,これらの動向の積極面を一層推進するとともに,諸問題の解決のため,地球的視野に立って協力することが必要であります。これを進めるに当り,忘れてはならないことは,世界の諸国民が,人間と人間の交流の原点に立ち帰り,「心」の交流を更に増大することであります。独自の文化を持つ諸国民が,幅広い国際交流をくり広げることは,異なる文化に対する理解と寛容の心を培うとともに,地球的尺度での物の考え方が各国民に広く行き渡ることになります。ここに開かれた国際社会の素地が形成されるものと信じます。

 かかる観点より,我が国としては,世界の平和と繁栄のために積極的に貢献することが益々重要との認識に基づき,世界の主要な問題の解決に向けて我が国の積極的協力姿勢を打出しました。即ち,「世界に貢献する日本」を竹下内閣の最大目標に掲げ,その実現のため,平和のための協力の強化,政府開発援助の拡充及び国際文化交流の推進という3本柱からなる「国際協力構想」を具体化していくことといたしました。これは,去る6月1日,竹下総理が第3回国連軍縮特別総会の演説において明らかにしたところであります。議長,

 以上のような国際情勢に対する基本認識と我が国の政策を踏まえながら,以下,これからの国連の役割と我々の取り組みにつき所信を申し述べたいと思います。

 まず何よりも重要な問題は,世界の平和をどのように確保するかであります。近年この問題に大きな影響をあたえてきたいわゆる地域問題,地域紛争の動向につき私の認識を申し述べます。

 アフガニスタン問題については,ジュネーヴ合意に従い,ソ連軍が明年2月15日までに,アフガニスタンから完全に撤退することを強く期待するものであります。また,この問題から発生したアフガン難民の自発的帰還を早期に実現することが肝要であります。このため,アフガニスタンに,国民の総意を反映した幅広い基盤を有する政権が樹立されることが不可欠であります。アフガン人が「アフガン問題はアフガン自身の問題」として認識し,祖国再建のため尚一層,一致団結して努力するよう強く訴えるものであります。

 イラン・イラク紛争については,先般実現した停戦を心から歓迎するとともに,今後,撤兵,捕虜釈放,両国にとっての未解決の問題の包括的,公正かつ名誉ある解決を含め安保理決議598の完全な実施が一日も早く実現するよう強く期待するものであります。このため我が国は,今後とも引き続き事務総長の努力を全面的に支持するとともに,本件紛争の解決に向けてできる限りの協力を行う所存であります。

 カンボディア問題につきましては,本年7月,宇野外務大臣は,ASEAN拡大外相会議において,問題解決のため必要な3本の柱として,ヴィエトナム軍の完全撤退の確保,真の独立・中立・非同盟のカンボディア樹立,政治解決に関する国際的保証の確保をあげ,我が国としてもシハヌーク殿下並びにASEAN諸国の和平努力を引き続き支持する決意を明らかにいたしました。今後,関係当事者の話し合いを通じ,和平過程が一層進展することを願っております。

 朝鮮半島問題は第一義的に南北両当事国の直接対話により平和的に解決されるべきと考えます。かかる観点から我が国は,7月7日の盧泰愚大統領特別宣言に示された韓国側の柔軟かつ建設的姿勢を歓迎し,支持するものであります。本年1月より,我が国は,テロ行為に対する毅然たる立場を示すため対北朝鮮措置を実施してきましたが,先般ソウル・オリンピック開催に先立って同措置を解除しました。これは,緊張緩和の雰囲気に貢献するとの大局的見地から決断したものであります。我が国としては,目下開催中のソウル・オリンピックが最後まで平和の祭典にふさわしいなごやかな雰囲気の下に行われ,地域の緊張緩和に資する事を期待いたします。また,我が国は,今次総会の場で韓国及び北朝鮮の代表による演説が実現の運びとなったことを歓迎するものであります。さらに,朝鮮半島統一に至る過渡期の措置として,南北が国連に加盟することを考慮するのであれば,緊張緩和及び国連の普遍性を高めるものとしてこれを歓迎し支持するものであります。

議長,

 これら世界各地の地域紛争の解決に向けて,国連は今や注目すべき積極的な役割を演じております。これは平和維持の分野における国連の重要性がまさに証明されたものと言えます。

 今後の課題としては,和平への動きを更に促進し平和を維持する努力を強化する一方,今後起こり得る,紛争防止のための措置を講じることも国連の重要な任務と考えます。この観点より,私は,安保理,総会及び事務総長が紛争の発生を未然に防ぎその脅威を除去し紛争が大事に至らぬ段階で解決することを目的として,わが国等6か国が共同提案している「紛争予防宣言」が今次総会で採択されることを期待しております。そして,同宣言の趣旨が機動的かつ効率的に履行されるよう,全加盟国が協力していくことが重要であると考えます。

 また,安全保障理事会が憲章に規定されている機能を一層発揮するための努力の必要性を強調したいと思います。このため重要なことは安保理の全理事国が,大局的立場より,虚心坦懐,一致協力して事に当たり,事務総長のイニシアティヴを結束して支援し,常任理事国はその特権に応じた重大な責任を果たすことが肝要であります。かくしてこそ初めて紛争当事国は国連の声に耳を傾け,解決への道が開けてくるものと信じます。現在,我が国も非常任理事国として諸問題の解決に鋭意努力しておりますが,理事国の地位を離れた後も,安保理がその役割を十分果たしうるよう積極的に協力していく所存であります。

議長,

 我が国としては,このような世界各地の紛争の解決並びにそのための国連の努力に対し,最大限の支援を行ってまいる所存であります。これは,平和国家たる我が国が,国際社会の平和と安定のために積極的に汗を流すとの政策の一環であるからであります。

 具体的には,まず第一に,我が国は,国連等国際的枠組で行われる平和維持活動に対し,可能なかぎりの財政的支援を行うよう努力したいと考えます。

 次に資金面での協力のみならず,わが国にとって適切な協力分野における要員の派遣についても協力を強化いたします。最近,アフガニスタン及びイラン・イラク関係の国連監視団に我が国より文民が参加しておりますが,今後は,選挙監視,輸送,通信,医療等の分野で協力を検討していく考えであります。

 第三に,紛争に関連して発生する難民に対する各種援助を強化していく方針であります。この関連で私は,去る6月国連事務総長が発表したアフガン難民援助に関するアピールも踏まえ,UNHCR,WFP等の国連機関の活動を支援すべく,さし当たり6,000万ドル相当の拠出を行うことを誓約いたします。

 本件アピールにある通り,この事業には巨額の経費が必要である旨見積られていますが,我が国としては更に,アフガニスタン国連調整官事務所信託基金を通じる拠出などを検討して参りたいと思います。これらに加え,アフガン難民の帰還を助けるため医療分野等で,人的協力も行うことを検討中であります。

 第四に,世界各地の紛争の終了後には,戦禍をこうむった国土や経済の復興再建,及び被災者等の民生の安定,向上のため,可能な限りの協力を行いたいと考えます。

議長,

 次に,21世紀を見すえて平和の問題と切り離せないのは,軍縮の問題であります。

 軍備管理・軍縮が真に全世界の平和と安全に寄与し得るためには,世界中の国々が,その安全を出来るだけ低い水準の軍備により確保し得るように多国間で互いに努力をすることが必要となります。米ソ2国間の軍備管理や軍縮の努力と,国連や軍縮会議等の多国間の努力の間に有機的な相互作用があって初めて世界的軍備管理・軍縮が可能となります。

 核軍縮の重要性は論を待ちません。その重要な課題の1つとして核実験全面禁止が重視されるべきであり,それに至る現実的過程の探求がなされるべきであります。竹下総理は,先般の国連軍縮特別総会において,核実験検証制度の設立に資するため,我が国において国際会議を開催する意向を表明致しましたが,これをできれば来年春にも開催すべく国連等と協議を進めております。

 この機会に,来る1990年に第4回核不拡散条約再検討会議を控え,現在緊急の課題となっている核不拡散体制の拡大・強化のための努力の必要性を改めて訴えたいと思います。

 本年8月19日付の国連の調査団の報告等によれば,化学兵器が実際に使用されたとの報告がなされておりますが,人道に反するこの兵器は,いかなる場合においても絶対に使用されることがあってはなりません。26日の総会演説において,レーガン大統領は,化学兵器の使用を禁じたジュネーヴ議定書の信頼性を高めることを目的とした同議定書締約国会議を提唱しましたが,我が国はかかるイニシアティヴを歓迎するものであります。また,現在,軍縮会議において,精力的に行われている化学兵器全廃条約交渉が早期に妥結するよう,我が国としても一層の交渉努力を傾注することを約します。

議長,

 21世紀を迎える人類が直面する最大の課題の1つは,開発途上国の発展の問題であります。この解決のためには,世界経済は一体であるとの見地にたって,途上国及び先進国が協力することが肝要であります。我が国としてはかかる視点より,政府開発援助(ODA)を計画的に拡充すべく,先進援助国のODA総額に占める我が国の分担割合を,計画期間中に,先進援助国中の我が国の経済規模の割合に見合った水準に引き上げることを念頭において,ODA実績総額について過去5年間の250億ドルを1988年から今後5年間で500億ドル以上とするよう努めることとし,併せてODAの対GNP比率の着実な改善とともに,後発開発途上国(LLDC)に対する無償資金協力の一層の拡充等を図ることとしております。

 また,途上国への資金フロー確保のため我が国が1987年に発表した200億ドル以上の資金還流措置については既にその約7割を具体化する等,債務問題等の諸困難に直面する途上国を支援するための諸施策を着実に実施をしております。特に,債務救済措置については,従来とってきた措置の対象を拡大し,1978年度から1987年度末までに取極めた後発開発途上国向け円借款約55億ドルについても,今後,その返済額に見合う無償援助を供与することを決定したところであります。

 サハラ以南アフリカ諸国は,長期的経済停滞状態にあり,依然として特別の配慮が必要であります。我が国はこれらの諸国に対し,87年度以降の3年間における約5億ドルのノンプロジェクト無償資金協力や,上記の資金還流・債務救済措置及び国際機関を通じる協力等の一連の政策により強力に支援してきています。

 他方,途上国の発展のためには,先進国から途上国への民間の資本及び技術の移転が円滑に行われることも重要であります。途上国としては,今後とも環境問題等先進国において経済成長が引き起こした弊害を回避しながら,民間企業にとって魅力的な投資先となるよう諸条件の整備に一層努力していくことが重要と考えます。

 我が国は今後とも,「世界に貢献する日本」という基本目標の下で,途上国問題の解決に努力していく所存であります。

議長,

 国連も,従来より,開発途上国に対する協力や人権・人道援助等の分野で地道な成果をあげている面もありますが,議論が必ずしも効率的に行われず,また,組織・機構の肥大化・複雑化に伴い非能率に陥っている面があることも遺憾ながら認めざるを得ません。

 経済,社会,文化等の専門分野にありながら,問題を不当に政治化する傾向もみられました。

 国連がダイナミズムを回復しつつある現在,更にその動きを加速するため,一言次の点を指摘したいと思います。

 我が国は,国連の機能強化をはかるため1985年の総会において行財政改革の推進を目的として賢人会議の設立を提唱いたしました。この改革は,事務局の再編成や職員ポストの削減自体が目的ではなく,国連活動の成果を最大限にするため組織と運営を考え直そうというものです。国連の活性化を望む加盟国の大きな支持を得た賢人会議の報告書に従い,現在改革が実施に移されております。これを更に推進し,より効率的な機能をもった国連をつくり上げようではありませんか。またその一環として国際社会の要請に真に応じられるように,経済社会分野の機構及び機能の一層の改善を図っていく必要性を強く訴えるものであります。このため我が国も最大限の努力を行っていく決意であります。

 この関連で1つ重要な問題につき注意を喚起したいと思います。即ち,国連の財政危機が慢性化している事実であります。我が国は本年3月,かかる国連の窮状に鑑み,アフガニスタン問題,イラン・イラク紛争等に係る国連の平和維持活動等の一助とすべく2,000万ドルの特別拠出を行ったところでありますが,国連の平和維持活動の分野での資金的需要が急激に増加しつつある今日,財政赤字は,国連の再活性化の大きな障害となっております。

 その原因が義務的分担金の滞納にあることは明らかであります。加盟国159の中で,本年末に大なり小なり未払い額をかかえている国は約70か国,その滞納総額はおよそ4億5,000万ドルにものぼる見込みですが,このことの持つ深刻な意味合いを考慮し,緊急に現状の是正が図られるよう強く要望いたします。

 この関連で,最近米国等,関係国が滞納分担金の支払いにつき,積極的姿勢を見せ始めたことを我が国は歓迎するとともに,今後これらの国が可及的速やかに滞納分のすべてを支払うことを強く期待するものであります。

議長,

 第二次大戦後,国連は,世界の平和と繁栄の希望の星として登場し,これまで多くの分野で数々の成果をあげてまいりました。しかし同時に,当初期待されていた機能を充分に果たし得ない局面も多くあったことを認めざるを得ません。国連発足以来,半世紀にならんとしている今日,変わりゆく世界のニーズと現実に適切に対応する構造への改革が必要であります。硬直化した組織は滅びます。西暦2000年まであと11年余,我が国としては国連のあるべき姿を展望し,加盟国政府及び国連に関心を有する民間団体とともに真剣に考えかつ具体的に行動していきたいと考えております。

 国連は唯一の普遍的国際組織であります。世界の平和と繁栄の維持,文化の発展といった人類にとっての現在と未来をになう国連の役割は増々大きくなっております。更に,世界人権宣言の採択40周年を迎えた今日,世界の人権の擁護の分野で国連に対する期待は一層高まっています。このため,すべての加盟国が国連を支援し,盛り立てて行くことが重要であります。我が国としては,この演説の冒頭で申し述べた「国際協力構想」に基づき,今後とも誠意を貫く頼りがいのある加盟国として,国連を強力に支援していく決意であります。

 

 ありがとうございました。

目次へ

 

(3) 「国際協力の日」宇野外務大臣挨拶

 

「21世紀へ向けての開発援助」

(1988年10月6日,東京プリンスホテル)

 

1.

 本日と明日の2日間,「国際協力の日」を記念して,我が国の中心的援助実施機関である国際協力事業団(JICA)と海外経済協力基金(OECF)の共催により国際シンポジウムが開かれます。この意義深い催し物を共同で企画されたJICAとOECFに対し敬意を表するとともに,本日,私の所感を表明する機会を得ましたことを多とするものであります。

 このシンポジウムには国内はもとより海外から多数の人達が参加されております。私は先ず,参加者の皆様,特に海外から遠路はるばる来日された皆様を,心から歓迎したいと思います。

 「国際協力の日」は,戦後,独立回復まもない日本が,初めて海外技術協力に取り組むこととし,アジア・太平洋地域の開発機構の1つであるコロンボ計画への参加を決定した1954年10月6日に因んで決められたものであり,また国際協力に対する政府及び国民各位の認識を新たにすることを目的と致しております。このような特別の日に開催される今回のシンポジウムがその目的に大いに貢献することを心から期待致しております。

 

(概説)

2.

 さて,今回のシンポジウムは,21世紀を展望しつつ開発援助の抱える課題を探ることにあると理解致しております。将来を展望する前に,先ず80年代を振り返ると,私は,総じてこの時代は,国際社会において相互依存の関係が一段と進む中で,色々な意味で開放化が進み,また特に市場経済体制に対する信頼が益々強まった時代ではないかと思います。開放された経済体制は,人口のちょう密な地域を含めた多くの開発途上国,特に東アジア・太平洋地域の開発途上国の目覚ましい経済発展をもたらしております。開放化政策を進める中国経済の発展,そして,ソ連において経済効率化のために「ペレストロイカ」が進められていることも世界の注目を集めているところです。

3.

 しかし,残念なことに,開発途上国をとり巻く情勢は明るい材料ばかりでなく,多くの困難な問題が見られます。80年代に入り,一次産品価格の下落等種々の影響を受けて,多くの開発途上国の経済状況は悪化しました。輸出所得が減少したのみならず先進国からの直接投資も減退し,累積債務問題の悪化も見られました。

 世界銀行の報告によれば,ここ数年,贈与を除いた公的援助及び民間長期資金の先進諸国から開発途上国への流れの総量よりも,開発途上国から先進諸国への資金の流れの総量の方が大きいという事態になっております。いわば「逆流」現象が起きているわけで,その是正を図ることが国際経済の健全な発展を図る見地から大きな課題となっていることは御承知のとおりです。

 このような状況に対応するため,国際貿易,金融,援助等の各方面で努力が払われております。1つは先進諸国経済の回復による開発途上国からの輸入の拡大であります。この面では最近好転の兆しがあるように見受けられます。例えば,現在の我が国の経済成長は輸出主導型から内需主導型へと切り変り,内需4.7パーセント,外需マイナス1.0パーセントという今年度の経済成長見通しからも明らかなように,我が国の経済構造は,グローバルな経済均衡に資する方向へ転換しつつあります。特に開発途上国に対しより大きな輸出市場を提供するようになっており,例えば,アジア新興工業国・地域(NIEs)からの製品輸入は87年及び88年前半に,それぞれ約60パーセント増加しております。

 第二に,開発途上国への投資の拡大も重要であり,日本の開発途上国への直接投資は,対前年度比で35パーセント伸びているのは心強い限りです。

 第三に,開発途上国の債務負担軽減の問題があります。この面では,先進国サミットやパリ・クラブ,そして先週ベルリンで開かれた世銀・IMF等の国際的な場で種々の努力が続けられております。低所得債務国については,その構造調整努力に対する譲許的資金を中心とした公的支援の強化が必要であり,公的債務の棒引きその他の債務救済措置が実施されております。中所得重債務国についても,債務国の支払い能力を回復させることを基本とした解決策をケース・バイ・ケースの原則で探り,メニュー・アプローチによって解決手段の選択肢を広げる工夫がされております。

 今日世界のGNPの1割を超える力を蓄えるに至り,また世界一の債権国となった日本が,貿易,投資,国際金融の面での活動を通じ世界経済全体の安定と発展の為にふさわしい役割を果たすことは当然であり,政府としても今後積極的な対応を進めて参る考えであります。

 

(国際貢献に対する基本姿勢)

4.

 このような考えに立ち,日本にとりふさわしい国際的貢献として特に強調されるべきは,世界人口の4分の3を占める開発途上国の経済社会発展と民生向上に向けられた開発援助であります。

 第一に,南北問題の状況には,解決へ向けての大きな前進は見られておりません。サハラ以南アフリカ,南アジア等の後発開発途上国(LLDC)を始め多くの開発途上国の経済状況は改善するどころか悪化の兆しさえ見せております。最も関心を呼ぶべき貧困問題も広範に存在しています。自由世界第2位の経済力を有する日本が,途上国が直面する問題の解決に貢献することは,人道的見地からも,国際社会における相互依存の立場からも重要な責務であります。

 第二に,日本は戦後平和憲法を制定し,平和国家として生きる道を選択しました。経済大国になっても決して軍事大国にはなりません。そのような日本が,国力の中心である経済力を活用した協力を通じ国際社会の平和と安定に寄与することを我が国の政策の柱とすべきは当然であります。

  第三に,日本は,欧米諸国と歴史的・文化的に異なった土壌で自ら開発途上国から先進工業国へと発展を遂げた歴史があります。この非西欧的土壌の下での近代化・工業化の歴史とその経験は経済発展の1つのモデルとして,アジア・アフリカ等の開発途上国の参考ともなり期待ともなりえましょう。このような諸国に対し協力を進めることは,日本にとり極めてふさわしい国際貢献と考えます。

 

5.

コロンボ・プランに参加した1954年当時の日本の海外援助予算は僅か1,800万円(5万ドル)でした。その後,60年代の終わり頃まで我が国は海外から援助を受けつつ,同時に自ら援助国としての道を歩んで参りましたが,経済力の伸長に応じ,特に70年代の後半から格段の努力を払うことになります。即ち1978年から政府として4次にわたり中期目標を樹て,ODAの計画的な拡充に取り組んできました。この10年間,緊縮財政にもかかわらず,格段の努力を払った結果,ODAの予算,実績ともに着実に増大して参りました。

 竹下内閣は「世界に貢献する日本」というスローガンを掲げ,これを実現するための具体策の1つとして「国際協力構想」を打ち出しております。その中で,「平和のための協力」及び「国際文化交流」の強化と並ぶ3本柱の1つとして「ODAの拡充」が打ち出されております。これは以上申し述べたような問題意識に基づく我が国の真摯な努力の一環であります。

 

(第4次中期目標)

6.

去る6月,政府は,御承知の通り,1988年から1992年の5か年間を対象とする第4次のODA中期目標を新たに定めました。

 我が国のODA実績は,87年は約75億ドルとDAC諸国の中で第2位の規模となり,DAC援助国全体のODA総額(412億ドル)に占めるシェアも18パーセント程度となっております。しかし,これはDAC全体の経済規模(GNP総額)に占める我が国のシェア約20パーセントに比べると,なお下回っております。新目標では,その反省に立って,計画期間中に我が国のODAシェアを経済規模のシェアに見合うところまで引き上げることとしました。

 具体的目標としては,1988年~92年の今後5か年間のODA実績総額を500億ドル以上とすることを目指しております。多くの開発途上国が開発資金の不足に直面し,円滑な経済発展の制約要因となっている状況の中で,ODAを含む先進諸国からの資金の流れが減少ないし停滞しているのが現状です。そこで我が国が率先して途上国向け資金フロー,特にODAのフローの拡充に引き続き積極的に努力することを内外に宣明したものであります。

 併せて,ODAの対GNP比率の着実な改善を図ることとしております。我が国のGNPは今年度見通しでは365兆円という巨大な規模であり,ODAの対GNP比率の改善は決して容易ではありません。また ODAの対GNP比のみで各国の貢献度を図ることは,単純化のそしりを免れないとの議論もありえましょう。しかし国際的な0.7パーセント目標に一歩でも近づくため最大限の努力を傾けることが重要であります。その意味において,日本が近年中に現在の0.31パーセントからDAC諸国の平均水準まで引き上げるとの目標を明示したことの意義は大きいと考えます。

 また途上国の膨大な資金需要を我が国だけで手当てすることはもとより不可能であり,他の援助国に対し援助量の拡充を訴えていくことも重要と考えます。

 

(内容面での充実)

7.

 ODAについては,量的拡充とともに,内容面・質的側面での改善を図ることが重要であり,開発途上国の経済社会開発と民生向上のためニーズに合致した協力を総合的,機動的かつ弾力的に行う必要があります。

 例えば,援助ニーズの多様化が見られます。これについて申し上げれば,インフラ整備等による産業基盤の拡充や経済成長への支援,貧困と飢餓対策,保健衛生・人口家族計画,教育・人造りなど,従来型の協力分野は引き続き極めて重要でありますが,これらに加え,近年特に途上国における森林破壊や砂漠化の進行等,地球的規模での取組みが求められている課題や大気汚染,水質汚濁といった先進国型の環境問題も顕在化して来ております。こうした多様化は今後も強まると思いますが,ニーズに適切に応じていくために,援助形態・援助メニューの多様化と弾力化が求められております。

 我が国は,これまでもノン・プロジェクト援助の拡充,内貨融資供与の拡充,リハビリテーション型の援助の拡充などにより個々のニーズに対応しておりますが,更に科学技術,文化,環境保護等の新しい分野にも積極的に取り組んで参る考えであります。

 また,我が国の二国間援助は-ODA全体の約70パーセントがこれに当たりますが-従来ASEAN諸国を初めとしてアジア諸国に重点配分されて来ております(87年実績で約65パーセント)。これは,日本とアジア諸国との地理的,経済的,歴史的関係の緊密さを反映したいわば自然の姿と申せましょう。今日,このアジア地域,特に東アジア・太平洋の地域が世界でも最も力強い発展を遂げており注目を浴びておりますが,もし,日本の長年にわたる資金協力と技術協力の数々の集積がこの地域の経済成長と発展に重要な貢献をしているとすれば,誠に幸いであります。

 配分に当たってアジア地域の重要性は今後とも不変でありますが,同時に我々は,より広い視野をもつべき時にきていると考えます。アジア諸国の中には,既にかなりの発展段階にある国も多く,長期的に見れば,政府レベルの援助から民間レベルの協力へ次第に重点が移行して然るべき例も生じてくるものと思われます。他方,国際援助社会において,長期的な経済停滞状況にあり依然として特別な配慮が必要なサハラ以南アフリカ諸国等に対する援助の拡充が緊急の課題となっております。

 我が国はサハラ以南諸国を中心に対アフリカ援助を着実に拡充しております(87年,二国間援助全体の約10パーセント)。昨年より「3年間5億ドルのノン・プロジェクト,アンタイドの無償援助」を実施中であるほか,後に申し上げるLLDC諸国に対する円借款分の債務救済のための無償資金協力の拡充,更には国際機関を通じる協力により,アフリカ諸国の割合は更に高まるものと期待されます。

 同時に,我々は中南米地域,南太平洋地域等に対しても援助努力を拡充したいと考えております。

 

(今後の展開)

8.

 以上のような情勢の変化をも踏まえ,我が国は次のような考えで今後ODAの展開を図ることとしております。

 その第一は,貧困問題に対処し,農業・農村開発,教育,保健・医療等の基礎生活分野における協力を一層強力に進めるため,今後とも無償資金協力を拡充することです。また,特にアジアやアフリカの後発開発途上国(LLDC)に対する従来の債務救済措置を拡大することとし,1987年度までの10年間に供与を約束した約55億ドル(約6,800億円)の円借款について,今後約30年にわたり,その元本返済及び利払いを実質的に免除して参ります。この決定は,去る6月のトロント・サミットで発表したとおりです。

 第二に,我が国は毎年約6,000名の技術研修員を受入れ,約2,000名の技術専門家を海外に派遣し,また現在約1,800名の青年海外協力隊員が37か国で活動しております。技術協力は人と人の交流を通じ開発途上国に技術を移転し,人造りを進める重要な分野であり,その一層の拡充を図る方針であります。このため優秀な人材を幅広く求め,我が国の民間セクターに蓄積された知識・技術を一層活用するため民間技術者を専門家として派遣したり,民間企業で行う研修員受入れを拡大強化して参りたいと考えます。また,開発途上国からの留学生の受入れも拡充していく所存であります。

 第三に,経済発展の基盤整備に大きな役割を果たしてきた円借款を今後とも重視したいと思います。円借款については,ODAの質の改善を図る見地から,これまで金利の引下げや一般アンタイド化の促進のために種々の措置をとって参りました。金利については,最近の引下げにより,その平均金利は,2.6パーセントまで引き下げられております。今後とも,内外の情勢を踏まえつつ,借款の質の改善や一般アンタイド化の推進に努め,合わせて途上国の構造調整政策の実施状況や債務負担の状況を勘案しつつ,途上国の経済政策を支援するための資金供与の弾力的実施を図ってゆくこととしております。

 第四に民間活力の活用があります。民間援助団体(NGO)による開発協力活動は,草の根レベルで肌理(きめ)細かい効果をもたらしうるという点で政府レベルの事業と補完関係にありますし,また,国民参加による経済協力の推進の見地からも重要な役割を果たしております。今後政府と致しましては,NGOの自主性を尊重しつつ,NGOとの連絡体制の一層の強化,NGO援助活動への支援強化を図る方針であります。更に,日本国内のNGOだけでなく,開発途上国にあるNGOとも連携して活動できるよう検討を進めたいと思います。

 ここで,ODAのみならず民間レベルの協力をも含む総合的な経済協力のもつ重要性について一言触れておきたいと思います。経済協力が援助供与国の輸出振興策と混同されてはなりません。累積債務問題を抱える数多くの開発途上国にとり,限られたODA資金だけでは問題の解決にはならず,経済そのものの体質を強くするために適切な資金フローの確保が重要であります。この点,特に民間の途上国向け資金フローが低迷していることが懸念されます。そこでODAを触媒として民間資金の途上国への還流が図られることが望まれます。日本政府が87年5月に発表し,現在までにコミットメント・ベースでその約70パーセント以上を達成した「200億ドル以上の完全アンタイドの資金還流措置」は,かかる総合的経済協力の考え方の1つの具体例であります。また,日本が最近アセアン諸国との間に合意した「アセアン・日本開発基金」におけるツー・ステップ・ローンの供与も同様な考えに立つものであります。また,我が国はOECDの開発援助委員会(DAC)に対し,開発途上国に対する投資促進のためにODAが果たしうる役割の検討につき提案しております。

 このような総合的経済協力の考え,あるてはその他の新たな構想に基づいて,ODAが累積債務問題の解決の呼び水となることは望ましいことであり,一層の研究が求められております。

 第五に,国際機関を通じる多数国間援助であります。いわゆるマルチ援助は各々の国際機関の専門性を活用し得ること,政治的中立性を確保し得ること,等の長所があり,我が国ODAの約3割(22億ドル)が世界銀行等の国際開発金融機関やUNDP等の国連機関を通じる協力に向けられております。我が国としては,今後とも二国間援助とともに,これら国際機関の財政基盤を強化するための出資・拠出の強化等を通じ,多国間援助を積極的に推進していく考えであります。さらに,国際機関への邦人職員の派遣を増やすとともに,二国間援助と多国間援助の連携により,国際機関のもつ専門知識を生かし,援助の内容改善を図ってゆくことも重視して参ります。

 第六に,今後大きく拡充されるODAを十分にこなし,一層効果的,効率的に実施していくためには,要員の拡充,国別専門家の育成,地域研究の充実,案件発掘・形成機構の強化,評価活動の充実等を含む実施体制の充実が不可欠です。この面での我が国の対応の遅れは否めないところであり,格段の努力が必要であると考えております。またコンサルタントの活用を含む民間活動との連携強化を図っていくことも重要であります。

 以上述べたような具体的な政策に沿い,これらを着実に実行に移していくことが当面の重要な課題であります。

 

(効果的援助をめざして)

 

9.

我が国のODA実績は,今年中もしくは,明年中にも世界一の規模になることが確実視されて来ております。また,我が国は,現在すでに25か国に対して二国間援助の最大援助供与国となっております。このように,今や我が国のODAは量の拡充だけでなく,今後ますます,質の面,内容の面での一層の充実が大切であり,そのための努力と工夫が望まれております。

 私達はこの挑戦を正面から受けとめ全力を尽くす所存ですが,申すまでもなく,最も大切なことは,援助が相手国の経済開発と民生向上に真の意味において役立つことであります。これを実現して初めて,我々は国民の付託に応えるだけでなく,相手国政府及びその国民の期待に応え,その経済と社会の発展のための自助努力を有効に支援し得ることになります。成果を具体的に上げていくことによって,世界の平和と安定に向けての前進が可能となるのであります。

 我々の援助供与国としての経験は,欧米先進諸国に比べれば決して長いものではありません。大きく伸びてきたのはここ僅か十数年のことであります。我々は援助国として,この短い間に既に相当の経験を積み,誇りうる実績を上げ,日本型とも称しうる手段を生み出しつつあると自負し得るかと思います。しかし同時に,先達の他の諸国や国際機関の経験や英知から学ぶべきものがあれば謙虚に学ぶ姿勢は不可欠であります。援助という営みは,その実体において援助側と被援助側の共同作業であります。途上国の自助努力を支援するという基本的考えに立てば,相手国との政策対話を深め,押しつけを排し,効率化をめざす努力が何よりも重要であります。

 また,この事業は貴重な国民の税金を使ってなされるものであります。無駄を排し,効率的・効果的に実施されるべきであり,瞬時も気を緩めてはなりません。更に,情報の公開をはじめとするODAに対する国民各位の理解を引き続き得ていくための努力を怠ることがあってはなりません。

 外務省はじめ関係省庁にあって援助政策の企画立案に携わる人々及び実施の責任を預る事業団及び基金の関係者各位に対し切に要望しておきたいことであります。

 最後に私は海外の現場にあって,種々困難な状況の下で日夜苦労を重ねておられる政府及び民間の多数の関係者及びその家族の皆様に対し敬意を表し,心から感謝を申し上げたいと思います。

 

10.

重要な点は他にも多くありますが,時間の関係でこの辺にしておきます。

 歴史的に見て,大きな国力を持ちそれぞれの時代において中心的な地位にあった国々は,それぞれに国際的役割を果たしております。英国はかつて産業革命の普及,貿易通商面での貢献を通じ世界経済の発展に大きな貢献をしてきました。また米国は,第2次世界大戦後その膨大な国力を背景に安全保障面をはじめ,自由貿易,国際通貨秩序の確立等により世界の平和と安定に指導的な役割を果たしてきております。

 援助は,今日の我が国にとり,直接の見返りを期待する利己的なものでもなければ,海外依存度の高い日本が国際社会で生きて行くために止むなく支払うコストという受動的な意味合いのものであってはならないと思います。それは,日本の将来にとり,ひいては世界の安定と発展により積極的な意義をもつものとして認識されるべきであり,経済大国となっても決して軍事大国にならないと決意した我が国にとっての歴史的使命とさえ申しても過言ではないと思います。

 国際協力の日を記念して開かれる今回のシンポジウムが,様々な角度からこの重要な問題に光を当て,よりよき明日を導くための1つの契機となることを確信し,その成功を心から祈念して私の挨拶と致します。

 

目次へ

 

(4) 化学兵器禁止パリ国際会議(「1925年ジュネーヴ議定書の締約国及びその他の関心国会議」)における宇野外務大臣代表演説

 

(1989年1月7日,パリ)

議長

 私は,日本国政府を代表して,閣下がこの国際会議の議長の重職に就かれたことに対し,衷心より祝意を表します。閣下の卓越した見識と,国際舞台における豊富な経験に基づく公正な指導の下に,この会議は必ずや実り多き成果を上げるものと確信致しております。

議長

 化学兵器は,強力な毒性をもって,戦闘員のみならず一般市民に対しても,広範かつ無差別に計りしれない被害を与える兵器であります。また,生産され易く,更には,戦闘において使われ易いという点で,極めて危険な兵器であります。

 他方,化学兵器の使用は,たとえ戦闘の有利な展開に一時的には効果があっても,一般市民までも犠牲にする非人道的な性格故に,歴史に汚点を残す卑劣な手段と認識されてきたのであります。

 特に,第1次世界大戦では化学兵器が大規模に使用され,一般市民を含めおよそ130万人の死傷者が出るという悲惨な事態を起しましたが,その経験と反省を踏まえ,当時の先人達は,1925年,化学兵器の戦時における使用を禁止するジュネーヴ議定書を作り上げました。その後,今日まで六十有余年の歳月を経ましたが,その間,このジュネーヴ議定書が風化するというようなことが無かったでありましょうか。もし風化しつつありとすれば,それは我々の怠慢であります。故にそれを直ちに是正するためにも,我々は躊躇することなく同議定書の原点に戻るべきであります。

 かかる観点からも,最近,国連の調査団によって化学兵器の実際の使用が確認されたことは,国際社会にとって極めて重大かつ深刻な問題を提起しました。即ち,化学兵器が実際に使用され,兵士のみならず,乳児とその母,あるいは老人を含む多数の一般市民が無惨な死に至らしめられたとの報道ほど,日本国民の心を痛めたものはありません。我々は改めて歴史の教訓をかみしめるべきであり,化学兵器は使われてはならないとの第1次大戦の教訓を肝に銘ずる必要があると考えます。

 竹下総理大臣は,昨年6月1日,第3回国連軍縮特別総会における代表演説の中で,「化学兵器を戦争に使用することは国際条約により禁止されております。にもかかわらず,イラン・イラク紛争等においてそれが実際に使用されていることは誠に遺憾であります。武力紛争において化学兵器の使用が一般化していくとすれば,世界の平和と安全にとって重大な事態であります。」と述べられましたが,それは,今も私が申し述べた基本的認識に立ってのことであります。

議長

 化学兵器の使用の広がりを示す極めて憂慮すべき最近の事態を背景として,昨年9月米国のレーガン大統領は,化学兵器の使用を禁じたジュネーヴ議定書の信頼性を高めるための国際会議の開催を提唱されました。またそれに呼応して,フランス政府は同議定書の寄託国政府としてこの国際会議を招請されました。このようなイニシアティヴは誠に時宜を得たものであり,高く評価されるべきものであります。私は,この国際会議の開催を支持し,かくも多数の国の参加を得たことを心から歓迎するものであります。私はまた,この会議開催のために諸般の準備をされたフランス政府の努力に対し,敬意と感謝の意を表明するとともに,日本代表団としては,この会議の成功のためにいかなる協力をも惜しむものではないことを,明らかにしたいと考えます。

議長

 私は,今回の国際会議においては,次の4点が達成されるべきであると考えます。

 第一は,化学兵器使用を厳に慎むとの,ジュネーヴ議定書の定める国際的義務を厳粛に再確認することであります。

 第二は,未加盟国がジュネーヴ議定書に1日も早く加盟することを強く訴え,化学兵器使用禁止体制の強化を図ることであります。

 第三は,化学兵器の使用のみならず開発,生産,保有を禁止し,これら兵器の全廃を実現する条約,即ち,化学兵器包括禁止条約の早期締結の緊要性を再確認し,このためにジュネーヴの軍縮会議で行われている交渉に強い弾みを与えることであります。

 第四は,化学兵器の使用疑惑または申し立てに対する事実調査が,国連事務総長の指揮の下で円滑に実施される体制を強固なものとする政治的意思を確認することであります。

議長

 今申し述べた第1点と第2点については,説明は要しないでありましょう。

 そこで第3点の化学兵器包括禁止条約交渉について,若干敷衍(ふえん)したいと考えます。

 今回の国際会議においては,化学兵器の使用を禁止するとのジュネーヴ議定書の定める義務を再確認するのみならず,化学兵器の全廃に向かって積極的に行動すべく,我々は力強い前進をはかるべきであります。この行動の前提となるべき基本認識は,化学兵器の存在を許す限り,人類はその使用の危険から解放されず,また,化学兵器の使用の可能性を残す限り,世界から化学兵器はなくならないということであります。特に,現在では,科学技術の急速な進歩に伴い,第1次世界大戦当時では想像もされなかったような強力な毒性を有する化学兵器が,幾つかの国により開発・生産され,大量に保有され,兵器体系に組み込まれているのであります。

 これが,化学兵器包括禁止条約交渉を促進すべきであると考える所以(ゆえん)であります。

 また,化学兵器の包括禁止体制を完璧に作り上げるためには,この条約完成の暁に全ての国が遅滞なくそれに加盟することが必要不可欠であると考えます。

 化学兵器として使用される物質及びそれらの原材料は,一部の例外を除いて平和目的のためにも広く用いられるという特異な性格を有しており,これに由来する問題をはじめ,この化学兵器包括禁止条約交渉において解決すべき難問は,今なお数多く残されております。

 しかし,このような特異な性格を持つ兵器の全体を効果的な検証体制の下に包括的に禁止し,全廃することに成功すれば,軍備管理・軍縮の歴史において,まさに画期的な1ページを飾ることになると考えます。幸いこの条約交渉は最近とみに本格化しており,今しばらく力をふりしぼるならば我々は近く山頂が見える所まで辿り着くでありましょう。そのことは我々を一段と勇気づけるところであります。我が国としては,他の参加国と協力して,交渉の早期完了に向けて引き続き積極的に貢献して参る所存であることを,この機会にあらためて表明致します。

議長

 第4点の化学兵器使用に関する国連事務総長による事実調査に関しても所見を述べます。イラン・イラク紛争における化学兵器の使用申立てに対し,デ・クエヤル国連事務総長のイニシアティヴに基づいて実施された一連の事実調査団の報告が,化学兵器に対する国際社会の関心を高めたことは,否定し得ない事実であり,我が国は,この分野での国連事務総長の貢献とその重要な役割を強く支持致します。同時にこのような,国際的に権威のある公正な事実調査が,迅速かつ効果的に実施され得る体制を確立しておくことは,化学兵器の使用の抑止にも大きな役割を果たし得るものと考えます。

議長

 全世界は,一昨年末の米ソ両国によるINF全廃条約の締結を核軍縮の第一歩として高く評価し,平和と軍縮の時代の到来を予感致しました。

 化学兵器は,古代から不必要な苦痛を強いる兵器と言われ,歴史上,数々の戦史の暗部を彩ってきました。けれども我々は今や,この恐ろしい兵器の完全な廃絶に向けて手応えを感じることができる時期に差し掛かっており,新たな軍縮条約への歩みを確固たるものにすることができる時期に到達したと考えます。この機会をしっかりとつかむことができるかどうかは,この会議に参加している我々の意思と行動力と相互信頼にかかっていると思います。

 会議の成功を祈りつつ,私の演説を終えたいと思います。

 ありがとうございました。

 

目次へ

 

(5) 竹下内閣総理大臣のASEAN諸国訪問における政策演説

 

「共に考え共に歩む-日本とASEAN」

(1989年5月5日,ジャカルタ)

1.  (はじめに)
スドモ調整大臣閣下,
アリ・アラタス外務大臣閣下,
議長,
御列席の皆様

 

 タイ国訪問で始まった私のASEAN諸国訪問も終わりに近づきました。まだフィリピン訪問を残してはおりますが,バンコック,クアラ・ルンプール,シンガポールで旧知の各国首脳にお目にかかり,それぞれの国のたくましい発展ぶりを目のあたりにして,まことに力強いものを感じました。

 私は,今回初めて活力溢れる首都ジャカルタを訪問し,スハルト大統領指導の下で躍進するインドネシアの姿に深い感銘を覚えた次第であります。

 本日は,大統領閣下と親しく会談することができ,また,いまこうしてスドモ調整大臣,アラタス外務大臣をはじめとするインドネシア各界を代表される方々の御出席を賜り,権威ある外交政策フォーラムの場において今回の旅行に関し所信を表明する機会を与えていただきましたことは,私にとりまして誠に光栄であり,大きな喜びであります。

 

2. (ASEANの発展)

 御列席の皆様

 20世紀も終わりに近づいた今日,地球上には,新しい時代の到来を告げる息吹きが感じられるようになりました。米ソ間の対話は着実な進展を見せ,カンボディア,アフガニスタン,イラン・イラク,南部アフリカ等の各地域紛争は解決に向けて地道な努力が続けられております。また,昨年来,中ソ関係は両国外相の相互訪問等を通じて正常化が図られ,今月,北京において約30年ぶりに両国間の歴史的な首脳会談が実現する運びとなりました。このような世界情勢の推移は,国際政治の力学が対立から対話へと,また,問題解決の手段が軍事力から政治的交渉へと変わりつつある兆候を示しており,世界の平和と繁栄のために歓迎すべきことであります。

 しかし,世界にはまだ,解決を要する数多くの問題が残っていることも否定できず,楽観は許されません。いま見え始めてきた歓迎すべき兆候を,より確かな現実としていくには,各国,各国民が手を携えてもう一段の努力を払うことが必要でありましょう。そして,平和について語られた言葉は,誠意ある行動により実証されなければなりません。

 こうした中で,ASEAN諸国の輝かしい足跡は,多くの国々にとって,未来への確かな希望を与えるものであります。すなわち,ASEAN諸国はこの20年余りの間に、「多様性の中の統一」という精神の下で協調と連帯のきずなを強め,今日,この地域の平和と安定を確保し,ユニークで調和のとれた一つの国際地域社会を創造して,近隣諸国間の協調の良き模範となっております。また,ASEAN諸国は,自由市場経済の下で,国民の企業家精神と自ら汗を流す勤勉さによって目ざましい経済発展を遂げ,多くの開発途上国にとって,実現可能な成長の道筋を示してきました。今日,世界の一部の諸国が,過去における硬直化した計画経済運営への反省から,より自由で開放的な経済政策をとり入れようとつとめはじめていることは,まさに,ASEAN諸国の過去20年余りの道程の正しさを証明するものであるとも言えましょう。

 しかも,ASEAN諸国は,東南アジア全体の平和と安定が重要であるとの認識に基づき,カンボディア問題の政治的解決に向けて力強いイニシアティブを発揮してまいりました。特に,私は,貴国インドネシアが2回にわたるジャカルタ非公式会合及び今回のシハヌーク・フンセン会談の開催等を含む粘り強い和平努力を続けてこられたことに,改めて深い敬意を表したいと存じます。

 さらに,スハルト大統領閣下は,長年途絶えていたインドネシア・中国関係の改善についても強い意欲を示しておられます。本年2月末,昭和天皇の大喪の礼に御参列いただいた際,同大統領が東京で,中国の銭其シン外相との間に,そのための具体的な話合いを進められたことは記憶に新たなところであり,両国の関係正常化は,アジア地域の安定をより確かなものとするためにも歓迎すべきことであります。

 私は,今回の旅で,インドネシアをはじめとするASEAN諸国がアジア・太平洋地域の平和をいかに強く求めておられるかを痛感するとともに,今後さらに力を合わせて,人類の明るい未来を築いていきたいとの願いを一層深めた次第であります。

 

3. (国際協力構想と東南アジア)

 御列席の皆様

 私は,総理就任以来,我が国の最大目標として,「世界に貢献する日本」の建設を掲げてまいりました。国際社会の主要な一員たる我が国にとって,世界の平和と繁栄を確保するため,その増大した国力にふさわしい役割を果たすことは当然の責務であると信ずるからであります。

 このような信念に基づき,私は,次の3つの柱から成る「国際協力構想」を提唱し,これを世界に向けて推進してきたところであります。

 第一は,平和のための協力強化であります。

 我が国は平和憲法の下,他国に脅威を与えるような軍事大国にはならないことを不変の方針として,その国力を平和に向けてなしうる限りの協力を行うべきであると考えております。このような観点から,我が国は紛争解決のための外交努力を積極的に展開いたします。具体的には,要員の派遣,資金協力等を含む新たな「平和のための協力」の構想に基づき国際平和の維持強化に対する貢献を高めてまいりたいと存じます。

 第二は,我が国の政府開発援助(ODA)の拡充強化であります。

 政府開発援助は,我が国の国際的貢献を進める上で最も期待されているものであります。我が国はこれまで4度にわたりODA拡充のための中期目標を掲げ,開発途上国に対する支援の強化につとめてまいりましたが,我が国は,今後とも,その量,質両面における改善をはかり,より積極的な貢献を行っていく所存であります。

 第三は,国際文化交流の強化であります。

 広い意味での文化交流こそ,体制や価値観の相違を超え,異なる国民が互いに人間として尊敬し,理解し合う礎をつくるものであります。また私は,多様な文化の相互交流がもたらす刺激は,国際社会の新たな発展への活力を生み出すものと信じております。

 我が国は,今後とも東南アジアを「国際協力構想」の最も重要な対象地域の一つと位置付け,これを推進していく考えであり,すでに4月28日,この構想を反映した我が国の新年度予算は衆議院を通過いたしました。我が国の外交は,継続性と一貫性を有しております。これは,日本とASEANの関係についても同様であります。

 

4. (日本の対ASEAN基本政策)

 御列席の皆様

 日本とASEANとの関係は,政治,経済のみならず,社会,文化等の幅広い分野で,真の友人として「心と心のふれあう相互信頼関係」を築くという精神の下,年ごとにその深さと広がりを増してまいりました。そして,今日では,日本とASEANは,「共に考え,共に努力する」との成熟した関係にまで成長いたしております。私は,一昨年12月,マニラにおける日本・ASEAN首脳会議の席上,この関係を一層充実させ,日本とASEAN諸国が21世紀に向けての新しいパートナーシップを築いていくため,我が国がとるべき経済,政治,文化面の基本政策を明らかにいたしました。この政策は,先程申し上げた「国際協力構想」をASEAN諸国との間で具体的に推進する意味を持つものであります。

 そこで私は,この機会に,新しい時代を展望し,国際協力構想と日本・ASEAN関係の発展について,私の見解を申し述べたいと思います。

 

5. まず,経済の分野について申し上げます。

 近年我が国は,自らの経済構造を国際的に調和のとれたものに転換し,世界経済の安定的発展に貢献することを国民的政策目標と位置付け,種々の努力を傾注してまいりました。内需主導型の経済成長の維持・定着を図ること,市場アクセスをできるだけ改善し輸入拡大に努力すること,蓄積された黒字を世界に役立てること等はその例であります。

 こうした我が国の努力と目覚ましい経済成長を可能としたASEAN諸国との努力が相俟って,両者の間により緊密かつ互恵的な経済関係が構築されつつあることは,喜ばしい限りであります。すなわち,ASEAN諸国からの我が国の輸入は近年大きく増加し,中でも製品輸入は,1988年においては前年に比べ約49パーセントと大きな伸びを示し,その後も引き続き着実な増加傾向にあります。我が国の対ASEAN投資は,1987年度において,対前年度比78パーセント増という顕著な伸びを見せ,88年度においても対前年度比50パーセント以上増加する見込みとなっております。総じて,我が国及びASEAN諸国の経済構造の調整が進む中で,水平的分業の兆しが現われ始めていることは好ましい動きと存じます。

 我が国は,「国際協力構想」の柱のひとつである「政府開発援助の拡充」という基本方針に基づき,開発途上国への支援について格段の努力を払ってまいりました。更に昨年6月,政府開発援助の新たな中期目標を設定し,1988年より1992年までの5年間のODA総額をこれまでの5年間の2倍以上にあたる500億ドル以上とするよう努めております。

 そのような努力の中で,我が国は,ASEAN諸国を我が国の経済協力の最も重要なパートナーの一つと位置付け,政府開発援助の約30パーセントをASEAN諸国に振り向けてまいりました。その結果,我が国はいまやASEAN諸国に対する政府開発援助の最大の供与国となり,近年,ASEAN諸国に対する外国からの二国間政府開発援助の50パーセント以上を我が国が占めるに至っております。

 我が国としては,一貫してASEAN重視の姿勢を維持してまいります。また,我が国のこれまでの経済協力がASEAN諸国の国づくり,人づくりに多少なりとも役立ってきたとすれば嬉しい限りであり,今後ともこれが有効に活用されることを希望するものであります。

 一昨年の日本・ASEAN首脳会議において,私は,「ASEAN・日本開発基金」の供与を表明致しましたが,同基金はその後着実に実施されており,今後,ASEAN各国の民間部門の発展及び域内協力推進のために効果的に利用されることを期待致しております。

 一方,開発途上国の累積債務問題は,途上国経済の健全な発展のみならず,世界経済全体の安定的発展にとっても深刻な問題であります。我が国は,一昨年来,資金還流措置を実施し,既に約9割の還流を具体化する等これまでにもこの問題の解決に向けて努力してまいりましたが,今後ともそのために積極的に取り組みたいと考えております。

 現下のウルグァイ・ラウンドは,自由で開かれた国際貿易体制の維持・強化を通じ,世界経済の持続的発展を実現するために欠くことのできない努力でありますが,その成功は,ASEAN諸国や我が国にとって死活的な重要性を有するものであります。我々は,自由貿易に対する揺るぎない決意をもってこのラウンドを推進し,それぞれの経済発展段階に応じた貢献を行わなければなりません。我が国としては,ASEAN諸国の利益にも十分配慮しつつ,ASEAN諸国との緊密な協力の下にラウンドに取り組んでまいりたいと考えております。我が国がASEAN諸国の重視する熱帯産品につき,他の諸国に先駆けて本年4月より我が国オファーを一方的に実施することにいたしましたのも,このような考えに基づくものであります。また,経済構造の調整及び市場アクセスを改善する一連の措置においてもASEAN諸国との協調関係を重視してきたことは申すまでもありません。

 

6. (カンボディア問題)

 御列席の皆様

 我が国は,「平和のための協力」を推進しつつ,アジアの平和と安定に大きな係わりを有する国際政治問題についてASEAN諸国との間で対話と協力を深めてまいりました。カンボディア問題につきましては,ASEAN諸国をはじめとする関係当事者による積極的な対話を通じて有益な進展が見られ,本年はその解決のため決定的な重要性を持つ年となりましょう。私はカンボディア問題の早期かつ公正な解決の達成により,カンボディアをはじめとするインドシナ諸国の国民が自らの国づくりに邁進し,更にはこれらの国々とASEAN諸国との協力によって東南アジア全体の力強い発展と繁栄がもたらされる日が来ることを念願いたしております。もちろん我が国としてもそのためにあらゆる協力を惜しまぬ考えであります。我が国は,この地域に恒久的な平和と安定をもたらす公正な政治解決へ向け国際社会が構築すべき柱として,次の四点が重要であると考えます。

 一つは,国際監視下におけるヴィエトナム軍の完全撤退とポル・ポット政権が行ったような非人道的政策の再来の防止を確保することであります。

 二つは,カンボディア人の民族自決を実現し得る,公正かつ自由な選挙の実施とこれを通じての真の独立・中立・非同盟のカンボディアの樹立であります。

 三つは,これらの目的を達成するための効果的な国際監視メカニズムの導入であります。

 そして最後に,いかなる政治解決もカンボディア国内の安全が確保されるとともに周辺国全ての安全保障に十分配慮したものでなくてはならず,このためにも包括的な政治解決の達成が不可欠であると信じる次第であります。

 これらの四点を実現するためには,未だ関係当事者間に存在する意見の対立を,率直かつ現実的な対話を通じて打開していくことが必要であります。

 我が国といたしましては,今後の和平プロセスにおいて,効果的な国際監視メカニズムの導入及びその実施に必要な資金協力,要員の派遣,必要な非軍事資機材の提供等につき積極的に検討するとともに,政治解決達成後はインドシナ地域の復興と開発に対する協力を行っていく所存であります。特に,カンボディアについては,効果的な支援を行うための国際的な協力の枠組のあり方について,今後関係国と協議していきたいと考えております。さらに我が国は,カンボディア問題の政治解決の一環として,タイとカンボディアの国境にいる多くのカンボディア避難民がふるさとにもどり新しい国づくりに参加できるよう,他の関係国や国際機関と協調しつつ協力を行いたいと考えております。またより広く,インドシナ難民問題の包括的解決に向けて国際的枠組の中で協力を強化すべく引き続き努力していく所存であります。

 

7. 御列席の皆様

 文化・人物面の交流は,日本・ASEAN関係に幅と深みをもたらす上で経済・政治面の交流に劣らず重要であります。

 そのような観点から,私は,日本・ASEAN首脳会議において,ASEAN諸国と我が国がそれぞれに特色を持つ貴重な伝統や文化を尊重し合いながら多様な分野の交流を推進することを目的とする「日本・ASEAN総合交流計画」を提唱いたしました。その際,私は,交流は一方通行ではなく両面通行とするための配慮が重要であること,交流の幅を広げ深める必要があることを強調いたしましたが,過去1年半の間に,着実にその成果が上がっていることを喜ばしく思います。

 昨年末,1週間にわたり東京において開催されたASEAN映画週間においては,インドネシアの「カルティニ」を始めとするASEAN諸国の優れた映画が数多くの人々により観賞され,大きな感動を巻き起こすなど,日本・ASEAN相互間の文化的理解を促進する上での新たな1ページが開かれました。

 一方,インドネシアにおいては,テレビ・ドラマの「おしん」が大変な人気を博しているとのことでありますが,このドラマは,我が家においても大好評でありました。「おしん」は,多少古い時代の日本を題材にいたしておりますが,日本人の生き方の一端を御理解いただく上で有益かと思われます。

 近年,東南アジアで日本語学習や日本研究にいそしむ人が急速に増えていることは,日本への関心の深まりを物語るものとして,大変嬉しいことであります。本年7月,東京近郊に新たに開設される国際交流基金の日本語国際センターは,東南アジアにおける日本語学習に大いに役立つものと確信いたしております。

 更に,一昨年ASEAN各国に派遣した東南アジア文化ミッションの提言に基づき,国際交流基金の日本・ASEAN文化交流センターが本年東京に開設される運びとなりました。今後,同センターの活動等を通じて,ASEAN諸国の様々な文化が我が国において広く紹介され,日本・ASEAN双方の文化交流が一層促進されることを心から期待いたします。

 文化の交流とともに教育分野における交流は,明日の国づくりを担う若人の未来を開くものとして大変重要であります。ASEAN諸国の将来を担う多くの青年達は,1980年より「ASEAN奨学金制度」により域内及び域外へ留学し研讃の実をあげてまいりました。私は,この制度によりこれまで5,000人を超える奨学生が勉学の機会を得たと聞き大変力強いものを感じております。我が国としては,この制度がASEAN諸国において高い評価を得ていることに注目し,明年以降,更に内容を充実するため,5年間にわたり合計1,000万ドルの資金に基づく新たな計画を実施する予定であります。

 また,我が国への留学生は年々拡大の一途をたどり,現在,2万5,000人余りに達しております。このような留学生のために,我が国は,日本政府奨学金留学生受入れ人数の計画的増加,私費留学生に対する援助,宿舎の整備等の施策の充実を図っておりますが,ASEAN諸国からの留学生の受入れについてもその量的拡大と質的充実を引き続き実行してまいりたいと考えているところであります。

 若人には明日の世界を切り開く無限の可能性があります。私は,30年近く前,若き政治家として日本の青年海外協力隊の創設に情熱を注いだ経験がありますが,昨年から貴国にも我が国の青年協力隊の若人が派遣されることとなり,大変嬉しく思っております。また,1974年から毎年実施されてきた「東南アジア青年の船」により,これまでに3,000人を超える日本・ASEAN双方の青年が相互の友好と理解の輪を広げてまいりました。私は,一昨年12月,「21世紀のための友情計画」を本年以降更に5年間延長し,その内容を一層充実したものとした上で,4,000人のASEAN諸国の青年を日本に招聘することを明らかにいたしましたが,これは,日本・ASEAN間の青年の交流を更に深めたいとの思いからに他なりません。

 

8. (ふるさと創生)

 なお,ここで,私が,日本国内で推進してまいりました「ふるさと創生」という政策について一言触れたいと思います。インドネシアでは,「生まれ故郷」のことを「カンポン・ハラマン」(村と庭)と呼ぶとのことでありますが,日本語の「ふるさと」すなわち「古い里」という言葉もこれと似ており,いずれも人間が自分の心の絆を感ずる土地を意味しているように感じられます。私の唱える「ふるさと創生」とは,一人一人が自らの地域を「ふるさと」と感じることができるような,充実した生活と活動の基盤をつくり,物質的に豊かなばかりでなく,精神的にも豊かで,バランスのとれた社会を建設すると同時に,一層開かれた国づくりを進めることを目指すものであります。これは,人類共通のふるさとである地球の美しい自然と尊い生命を末永く後の世に残すことにつながるのではないでしようか。

 

9. (環境問題)

 御列席の皆様

 この地球と自然というテーマに関連して,私は,今日,世界の人々が強い関心を抱いている環境問題について一言したいと思います。

 私は,今度の旅で,洋々たる海原や緑なす森林の上を飛びながら,いまさらのように自然の恵みの貴さというものを感じさせられました。産業の発展や開発に伴う地球の温暖化,成層圏オゾンの減少,酸性雨,大気及び水の汚染,熱帯林の破壊などの問題は,地球的規模の影響を及ぼすものであります。これらの問題を解決して豊かな自然環境を維持し,将来の世代に伝えることは,人類全体に課せられた重要課題と申せましょう。我が国は,地球温暖化に関する知見の集積および世界的観測・監視体制の充実等の協力により環境問題の解決に積極的に取り組む考えでありますが,その一環として,私自身の提案により本年9月中旬に地球環境保全に関する国際会議が国連及び各国との協力により,東京で開催される予定であります。

 我が国としては,環境問題の解決に当たって,全地球的視野から取り組むこと,経済の持続的成長と調和すること及び開発途上国の立場に十分配慮することが必要であり,特に環境保全を目指すこれらの国の努力を支援するための国際協力が極めて重要だと考えております。

 近年,ASEAN諸国においても環境問題に強い関心が払われ,積極的な取組みが見られることは喜ばしい限りです。我が国としてもASEAN各国の努力を支援するため,植林,林業研究等を含む各種のプロジェクトを実施しており,また,大気汚染防止・水質保全等の幅広い分野において環境保全のための協力を行ってまいりました。今後とも,環境問題の重要性に鑑み,このような分野での協力を更に強化していきたいと考えております。

 このうち特に,熱帯林の保全・研究の問題は,緊急の課題としてASEAN諸国においても重要視されてきていますが,我が国としては,これが地球的規模の問題であるとの認識に立ち,関係国の立場を尊重しつつ,二国間協力の充実はもとより,国際熱帯木材機関その他の国際機関の一層の支援にも努めてまいりたいと存じます。

 

10. (1990年代のアジア・太平洋地域)

 御列席の皆様

 私たちが目前に迫った21世紀を人類にとって平和と繁栄の時代とするには,1990年代という20世紀を締めくくる最後の10年を通らなければなりません。そして,今や世界で最も活力があり輝かしい発展をとげつつあるアジア・太平洋地域は,この重大な時期に世界の牽引力としての大きな役割を果たすことを求められております。このため,今日,各方面から,アジア・太平洋諸国間の協力をより一層緊密なものにしようとの諸提案が出され,活発な話合いが行われておりますが,私は,アジア・太平洋地域の発展が政府の施策と民間部門の活力が相伴い,自由闊達に生かされる形で達成されてきたことは注目に値することであり,この経験は今後の展開の上にも活用されるべきであると考える次第であります。

 自由にして開放的な経済交流を志向し,アジア・太平洋地域で広範な経済活動を有する諸国が,今こそ21世紀に向けて,アジア・太平洋諸国間の協力の可能性を真剣に考えなければならない時を迎えております。アジア・太平洋地域の発展のためには,次の三点を確保することが重要であり,ここで我が国としての基本的な考えを明らかにしたいと存じます。

 第一は,この地域において最も活力ある地域協力を進めてきたASEAN諸国の考え方を尊重すべきだということであります。

 ASEAN諸国は加盟各国の豊かな多様性を肯定しつつ,連帯と協力の強化を通じて,発展を求めようとする試みにおいて確かな成功を収めてまいりました。私は,このような多様性を許容しつつ協力を実らせてきたASEAN諸国の貴重な経験と実績はアジア・太平洋諸国間の今後の協力のあり方を考えるに当たり範とするに足るものであると信じます。

 第二は,世界に開かれた活力ある自由貿易体制の維持強化であります。

 自由貿易体制こそは第2次世界大戦後の世界経済の力強い発展を可能にしてきた重要な礎石であります。アジア・太平洋諸国間の協力は,多角的な自由貿易体制の強化を通じ,世界経済の活力ある発展に資するものでなければなりません。

 第三は,多面的かつ着実な協力の推進であります。

 アジア・太平洋諸国間の協力は,貿易・産業をはじめとする環境,運輸,通信,科学技術等のさまざまな分野において何が共に取り組むべき課題かを見極め,共通の関心の高いものから推進することが重要であります。

 アジア・太平洋諸国間の協力が益々重要となる時代においてこそ,過去20年余りの間に日本とASEAN諸国の間で培ってきた協力関係の真価が問われることとなりましょう。我が国は,このアジア・太平洋地域において,世界に開かれ,世界に貢献する可能性を探求するとの建設的な精神に立脚し,ASEAN諸国とともに一歩一歩着実に歩んでいきたいと念願するものであります。

 

11. (結び)

 思い起こせば,私の外交の歩みは,一昨年12月,総理就任後初めての訪問地となったマニラの日本・ASEAN首脳会議出席に始まり,このたびのASEAN諸国訪問で11回目の外遊となります。この間,アジア・太平洋地域の各国首脳との実りある対話を通じて,お互いの協力関係が一層強化されたことは,喜ばしい限りであります。私は,この訪問を締めくくりとして,帰国後新年度予算の成立を待って自らの職を退き,次の政権にあとを託します。しかし,新しい政権においても,我が国は,外交の継続性と一貫性を堅持し,日本とASEANの絆を一層強めながら,更に努力することを確信いたしております。

 

 御列席の皆様

 これから21世紀にかけて,我々は何を目標として前進すべきでありましょうか。

 それは,生きること,働くことの喜びを共有しつつ力を合わせ,明日の平和で豊かな社会を築いていくことに尽きると思います。

 そのためには,来たるべき時代が我々にどのような役割を与えようとしているのかを明確に認識し,それぞれが真剣に考え,確固たる不動の信念をもって行動しなければなりません。たとえ前途はいかに厳しくとも,たゆみない努力を積み重ねることによって,道はおのずと拓かれるものと信じます。

 日本とASEANは,地理的・歴史的に結ばれたいわば「自然の盟友」でありますが,同時に,自由と個人の創意に立脚した同じ理想を目指して,「共に考え共に歩む永遠のパートナー」であります。

 日本とASEANの心で結ぶ交流の成果が,いま新しい時代を迎えたアジア・太平洋地域そして世界の未来へ向けての大きな原動力になることを切望して,私の講演を終わりたいと存じます。

 

 有難うございました。

 テレマ・カシ。

 

目次へ


 

(注1) 杜甫(712-770)の詩「春望」の第一句。

(注2) 岑参(715-770)の詩「高適,薛拠と同に慈恩寺浮図に登る」。