第4節 中 南 米

 

1. 内外情勢全般

 

(1) 概  観

 80年代にはいり、中南米においては政治面では、軍政から民政に移管される等、民主化の趨勢が顕著で、ほぼすべての国が民主主義体制となり、憲法に基づく政権移管が一般化し、政治環境が大きく変貌した。一方、経済面では、82年に顕在化した累積債務問題をめぐって国際的な種々の試みもあったが、ほとんどの中南米諸国は膨大な債務を抱え、インフレの(こう)進、財政赤字の拡大等の問題に直面している。これらの経済不安は、89年2月のヴェネズエラ暴動(約300名死亡)及び5月のアルゼンティン戒厳令発動などの社会不安を生み出すとともに、債務問題に強硬路線を打ち出す左派政党への支持層が増大するなど政局へも波及しており、定着し始めた民主化の今後を注視していく必要があろう。

 対外面では、従来の米国との関係を中心とした状態から、経済・外交の面で多角化を目指すとともに、中南米地域の統合を図ろうとする意図が看取される。その背景としては、経済面では債務問題の解決には米国以外の国及び国際機関の協力が不可欠であるということのほか、米国の経済的影響力の相対的な低下が挙げられる。外交面では中米紛争、パナマ問題等に関する米国と中南米諸国の意見の相違等が考えられるが、より基本的には米国、欧州など従来から関係の密接だった地域に加え、日本を始めアジア地域への関心の高まりが挙げられよう。またソ連との外交関係見直しの動きも注目される。

(2) 民主化の動き

 80年代に入り、中南米における民主化の傾向は顕著である。特に、88年及び89年には大統領・首相選挙が集中し、中南米の民主化の真価が問われた年といえる。89年に大統領選挙が実施されたアルゼンティン及びボリヴィアではそれぞれ61年振りと25年振りに、民選の大統領が任期を満了した上で選挙が実施された。また、パラグァイでは89年2月、35年弱続いたストロエスネル政権がクーデターで倒れ、5月に民主的選挙が実施された。しかし、89年5月にはパナマ大統領選挙が無効とされるなど、全体としては未だ民主化への過渡期にあるといえよう。

 このほか、前述の経済不安に加え、一部の国ではテロ活動による治安の悪化、麻薬問題等の社会問題を抱えており、民主主義体制及び政権の安定化のためにこれらの問題に対する対処も重要な課題となっている。

(3) 中米紛争

 79年、ニカラグァではソモサ独裁体制が打倒され、サンディニスタ政権が成立した。その後同政権は急激に左傾化し、反政府勢力(コントラ)との内戦を引き起こした。これが中米紛争の核心であるといえる。キューバ、ソ連がサンディニスタ政権を支援してきたのに対し、米国はニカラグァ反政府勢力(コントラ)を支援してきた。ニカラグァ革命の影響を受けてエル・サルヴァドルにおいても政府とゲリラとの間の内戦が激化するようになった。87年8月には域内当事国の努力によりグァテマラ和平合意が成立し、同合意を受けて、ニカラグァ暫定停戦合意(88年3月)が成立した。その後、事実上の停戦状態は継続したものの、本格的停戦交渉は難航し、中米和平の動きは停滞したが、89年2月、エル・サルヴァドルで開かれた中米5か国大統領会議において、国連が関与した形での和平の枠組みについて合意が成立した。この合意に基づき安全保障面での検証メカニズムを設立するとともに、中米諸国が共同でニカラグァ反政府勢力(コントラ)の帰還・転住計画を作成し、また、ニカラグァ政府は90年2月に総選挙を実施し、国連、米州機構(OAS)などからのオブザーバーを招請することとなった。

 加えて、米国は89年3月、超党派合意の成立により、対コントラ援助は人道援助のみに限定し、平和的手段による和平達成に努力するとの政策に変更した。ソ連側も88年末以降の対ニカラグァ武器供与停止を発表するなど、中米紛争をめぐる国際紛争にも改善がみられ、ニカラグア総選挙が中米和平の焦点となっている。

 中米では内戦によって中米地域の人口の1割にものぼる約200万人の難民・避難民が生じているが、わが国は、89年5月、グァテマラで開催された中米難民国際会議に出席するなど、同地域の難民問題に積極的に取り組んでいる。国連による安全保障及びニカラグァ総選挙監視につき、資金面、要員派遣面での協力等を検討していく方針である。さらに、真の和平達成の暁には可能な限りの復興開発援助を実施する考えである。

(4) 累積債務問題と経済情勢

(イ) 中南米諸国の累積債務は、中南米全体の輸出額の4年分に相当し、そのGNPの約6割にあたる。82年以降88年まで中南米諸国は1,500億ドルから2,000億ドルもの利払いをしたにもかかわらず、累積債務残高自体は1,093億ドル増加し、87年末には4,425億ドルに達した。

 年々膨張する債務に対し、債務国側においても国際協調による解決の必要が強く認識されるようになった。例えば、88年1月、民間銀行への利払いを停止していたブラジルは、国際協調路線に転換した。また88年10月、リオ・グループは第2回首脳会談で先進国との対話の重要性を強調した。他方、債権国側においても、89年3月米国は債務削減を中心とした新債務戦略を提案し、わが国などの支持を得てその具体化が進められている。

(ロ) 国連ラ米経済委員会(ECLAC)資料によれば、88年の中南米経済は、国内総生産の伸びが87年の2.5%に対しわずか0.7%にとどまった反面、インフレが急加速し、87年の200%から470%に上昇した。

 対外面では、非エネルギー一次産品価格の上昇、いくつかの国での輸出の好調等により輸出額は15%増加し、貿易収支黒字額も87年の218億ドルから88年は278億ドルに増加したものの、88年の債務利払いは332億ドルに達した。

 88年末には中南米全体の累積債務額は、新規融資の減少と各国の債務の債券化等の努力により、4,014億ドルと前年より若干減少したものと推定される。

 

中南米主要債務国の債務状況 (87年末現在)

(出所) 世界銀行「World Debt Tables」1988-89

 

(5) 国際関係と地域統合

 中南米諸国の対外関係は多角化の傾向を示している。

 民政移管に伴ってブラジルとキューバとの復交(86年)、ウルグァイの中国との国交樹立(88年)等、共産圏諸国との関係改善の動きがみられ、また、86年以降、アルゼンティン、ウルグァイ、ブラジルの各大統領が初めて訪ソする等、対ソ外交の面でも活発な動きがみられた。

 一方、ソ連もゴルバチョフ書記長就任以来、対中南米外交を活発化させており、89年にはゴルバチョフ書記長がキューバを訪問し、ソ連の最高首脳の中南米初の訪問として注目を集めた。

 また、中南米諸国は日本やアジアNIEs等の経済成長に注目し、これまで、あまり緊密な関係を持たなかったアジア・太平洋諸国に接近の姿勢を見せ始めている。

 米国と中南米諸国との関係では、中米問題等一部の問題で双方の意見の相違が見られたが、89年5月、パナマの大統領選挙に伴う問題で米州機構を中心として中南米諸国と共同歩調をとる等、民主化の進展した国と米国の関係はおおむね良好に推移した。しかし、米国は、一部の中南米諸国に対して民主主義の後退や麻薬対策の不十分さを批判している。

 なお、ブラジル、メキシコ、アルゼンティン等8か国からなる常設政治協議機構であるリオ・グループを中心に、地域の統合と団結に向けての動きが活発になっている。同グループは、88年11月、ウルグァイで第2回首脳会議を開催し、中南米の統合、債務問題、中米紛争等につき協議した。債務問題についても共同提案を発表するなど、その活動は中南米諸国独自の活動として注目され、徐々にその国際的なプレゼンスを確立しつつある。

 

2. 主要国情勢

 

(1) ブラジル

(イ) 民主化の風潮のなか、88年10月に新憲法が公布されたが、この憲法の特徴として、民族主義的色彩、人権擁護、立法府の権限、外資規制等の強化が挙げられる。他方、11月の全国市長選挙では、インフレ高騰など生活環境の悪化に対する国民の不満が反映され、左派政党の躍進が目立った。

(ロ) 外交面では、従来からの現実的、多角的外交が展開された。わが国との友好協力関係の促進が図られているが、他方、共産圏諸国との交流も推進された。また、情報産業、知的所有権をめぐり、米国との摩擦が顕在化してきている。

(ハ) 88年の経済は、国内総生産成長率がマイナス0.28%と低迷し、インフレ率は934%と急騰した。しかし、貿易収支では日本、西独に次ぐ世界第3位の黒字(190億ドル)を記録した。輸出に占める製品の比率は年々上昇し、88年のその比率は71%となった。89年1月には、インフレ抑制のため物価・賃金凍結措置が実施されたものの十分奏効しないまま、3月末より凍結価格の調整が漸次実施された結果、インフレ率も徐々に上昇した。

 対外債務問題では、国際協調路線をとっているが、88年末、経済目標の不達成により、IMF融資が中断されたため、ブラジルとIMFとの間で交渉が行われている。

(2) メキシコ

(イ) 88年7月の大統領選挙で当選した与党立憲革命党(PRI)のサリーナス前予算企画相が、12月、大統領に就任した。同大統領は、就任演説の中で、(あ)民主主義の拡大、(い)経済の回復・安定、(う)国民福祉の向上を今後の重点的な政策課題として掲げた。

 内政面では、歴代大統領が聖域視していた領域にもメスを入れて、石油労組幹部の逮捕、教員労組幹部の引退勧告等労組の再編、構造的腐敗の克服に努め、民主化に積極的に取り組んでいる。

 外交面では、円滑な米墨関係と現実的な多国間外交の推進を(うた)い、特にわが国との協力関係の強化を重視するとの姿勢を明確にしている。

(ロ) 経済面での最大の課題である債務問題については、負担軽減のための精力的な債務交渉を行い、これまで世銀・IMF融資、パリ・クラブ合意等、新債務戦略の具体化に向けて進展しつつある。88年の経済は、原油価格低迷等により国際収支は前年に比し大幅に悪化した。

 他方、国内面ではインフレ抑制にある程度成果が挙がった。新政府はインフレなき成長の達成を最大の目標に掲げ、公共料金の抑制継続、為替レートの漸次引下げ等を骨子とする「経済安定・成長協約」を発表し、その後90年3月末まで継続されることとなった。

(3) アルゼンティン

 89年5月の大統領選挙で、急激な経済悪化を背景に、労組を支持基盤とする野党ペロン党メネム候補が勝利し、7月8日、大統領に就任した。選挙による政権移行は同国の民主化定着努力の成果と評価される。

 他方、人権裁判続行への不満による一部軍人の反乱(88年12月)や、物価急騰を背景とした商店略奪の頻発(89年5月)等、民主体制に対する不安定要因は残存している。

 経済面では、構造改革の立遅れや大統領選挙に伴う不安感から、通貨価値の暴落、史上最悪のインフレ等困難が深まった。こうした状況の下で対外債務に関するIMFとの交渉は難航し、利払いも88年4月以降停止され、今後、メネム新政権が国際協調路線を堅持できるか注目される。

(4) パナマ

 88年2月、パナマでは政権交替が行われたが、今世紀末のパナマ運河返還を控えパナマ民主化促進を目指す米国は、同政権交替を認めず、これを機に米政策の阻害要因たるノリエガ司令官の退陣・出国を実現させるため、現在に至るまで経済制裁措置等を実施してきている。

 89年5月7日、米国など諸外国のオブザーバーが見守るなか、大統領選挙が実施された。しかし、開票作業が大幅に遅延するなか、野党候補者等が負傷する暴力事件が発生し、10日、選挙管理委員会は各政党による不正行為、外国人による干渉行為などを理由に選挙の無効を決定した。

 この事態に対し、多くの国が非難声明を発表、米国は大使召還、駐留米軍の増強等一連の措置をとった。また、米州機構は、エクアドル、トリニダッド・トバゴ、グァテマラの3外相よりなるミッションを構成し、問題解決に向けての外交努力を重ねてきており、今後は、米国、中南米諸国の対応、パナマ国内における話合いの動き等が注目される。

 

3. わが国との関係

 

(1) 全般的関係

(イ) わが国は中南米諸国と伝統的に友好協力関係にある。従来、中南米諸国の間には、地理的、歴史・文化的背景から、ともすれば欧米志向の傾向が認められたが、近年、わが国の国際社会での役割がますます重要なものになるにつれ、中南米諸国のわが国に対する期待と関心が飛躍的に増大した。このような中南米諸国の期待と関心は、国連等の場におけるわが国に対する高い支持率等に現れているが、わが国も、政治対話の推進、人的交流の活発化、経済協力の拡充等、活発な対中南米外交を展開している。

 88年9月、宇野外務大臣はメキシコを訪問し、友好修好100周年式典に参列した。他方中南米諸国からは、88年には30名以上の閣僚レベルの要人が訪日したが、これは中南米のわが国に対する大きな期待の現れといえよう。

(ロ) わが国は、資金還流計画の下で、二国間で還流する120億ドルのうち40億ドルをめどとして中南米諸国に対して還流することとし、89年6月までに11か国に対し、約23.52億ドルの資金を供与することをコミットした。中南米諸国の資金還流計画に対する関心も非常に大きく、今後本計画の円滑な実施を図るとともにそのフォローアップが極めて重要になっている。

(ハ) これまで経済が中心であった日本と中南米の関係も、最近は文化や科学技術といった分野での交流も活発化している。特に、88年9月から11月にかけて「中南米フェスティバル」を、官民の協賛を得て成功裡に実施した。これは、コロンブス新大陸発見の日(10月12日)を中心として、音楽、スポーツ、美術、文化関連行事等からなる中南米事情に関する啓発事業であり、今後の中南米諸国とわが国の関係に新たな方向づけを与えるものであった。

(ニ) 中南米には、130万人近い日系人・移住者が在住しており、ブラジル、メキシコにおいて日系人の大臣が誕生する等各国官・財界等において幅広く活躍し、その勤勉さが高く評価されている。また、最近は日系人のわが国に対する関心も高まり、わが国を訪問するケースが増大している。今後とも日系人・移住者がわが国と中南米諸国の相互理解の架け橋として活躍することが期待される。

(2) 経済関係

(イ) 中南米諸国は、経済活性化のために日本との協力に大きな期待を寄せており、わが国も中南米諸国との経済交流の活発化を図るために種々の方策を講じている。

 わが国より、数々の経済ミッションが派遣されたほか、89年4月には17年振りにヴェネズエラにおいて官民合同会議が開催された。他方、中南米諸国からも、経済閣僚、経済ミッションが来日し、日本からの経済協力及び投資並びに対日輸出の一層の増大を要請してきており、中南米諸国の対日期待の高まりが看取される。

(ロ) 88年の日本と中南米諸国の貿易は、日本の輸入が83億ドル(前年比30.8%増)、輸出は93億ドル(同6.1%増)と増加傾向にあるほか、日本の対中南米直接投資は、88年3月末累計で、316億ドルであり、わが国の対外直接投資全体の17.0%を占め、北米、アジアに次いで第3位である。

(3) 環境問題

 中南米諸国には、メキシコの大気汚染、ブラジルのアマゾン森林消失及びチリの大気汚染を始めとして、自然破壊、都市公害といった諸問題が存在している。わが国も、これら諸問題の重要性を認識し、89年6月にはメキシコ及びブラジルに環境ミッションを派遣した。

目次へ