第3節 北 米
1. 米 国
(1) 内外情勢
(イ) 内 政
(a) 米国の国内政治は、大統領選挙、新政権の発足及び政権基盤の確立を中心として展開した。選挙においては、レーガン政権で8年間副大統領を務めたブッシュ候補が当選したが、新政権においては同一政党による政権3期継続という連続性が強調される一方、次第にブッシュ色を反映した政策方針が示されてきている。
なお、前任のレーガン大統領は、退任直前も国民の高い支持率を維持し、憲法で許された2期を全うして政権を去った。
(b) 大統領選挙
88年の焦点であった大統領選挙は、全国的な争点がないこともあって、政策論争より選挙戦術に重点が置かれる傾向が見られた。共和党側は、大統領候補としてブッシュ副大統領、副大統領候補クウェイル上院議員、民主党側は、デュカキス・マサチューセッツ州知事、ベンツェン上院財政委員長が指名され、テレビ広告を重用した選挙運動が繰り広げられた。
当初デュカキス陣営が優勢であったが、ブッシュ候補は8月の共和党大会以降これを逆転し、結局11月8日の一般選挙では、全米50州中40州、選挙人538名中426名を獲得して圧勝した。
ブッシュ候補の勝利は、基本的にレーガン路線の継承・発展に対する国民の信任の結果として捉
(c) 連邦上下両院議員選挙など
共和党は大統領選挙で圧倒的強さを示したが、上院の3分の1の33議席、下院全435議席の改選が行われた連邦議員選挙では、両院で多数党たる民主党が、上院で1議席増、下院で3議席増とその優位を強化した。ブッシュ人気の余波はほとんどなく、有権者の間で大統領選挙と異なる投票態度をとる傾向が強化されていることがうかがわれた。
なお、12州で実施された州知事選挙では、民主党が1州純増し、全体で民主・共和両党の勢力は28州対22州になった。
(d) 新政権の発足
89年1月20日、第41代大統領に就任したブッシュ大統領は、就任演説で、国内宥和を求め、議会に対して超党派の協力関係を呼びかけた。また未解決の課題としてのホームレス問題、麻薬問題、犯罪対策等に取り組み、「より優しく思いやりのある国」を目指すとの姿勢を示し、国民の高い支持を得た。
新政権の陣容は、選挙直後に発表されたベーカー国務長官以下共和党主流・穏健派、実務家がそろい、前政権と比べてイデオロギー性の薄い、実務的また現実的な政権と見られた。国防長官人事で、タワー元上院議員の上院承認が得られず、新政権にとり最初の暗礁とも思われたが、後任として評判の良いチェイニー下院共和党院内幹事長を指名し、大きな痛手にはならなかった。
大統領は、実務的かつ合意達成に基づく問題解決というスタイルを確立する一方、人事、政策見直しを慎重に進めていたが、89年5月のNATOサミット、7月のアルシュ・サミットをこなし、また「封じ込めを超えて」とする対ソ政策を発表する等、対外的な指導力を示した。国内では、財政的制約もあって新機軸を打ち出しにくい状況にあるが、大気浄化法改正案、銃器規制を含む犯罪対策等を発表し、これまであまり顧
(e) 新政権の政策課題と議会との協調重視
政策面では、前政権からの「平和と繁栄」のための政策を一層発展させる一方、より「思いやりのある国」を目指すことを基本方針とした。
内政・経済面では、最重要課題である財政赤字削減について、大統領は依然増税せずとの立場を堅持している。このほか経済成長策(財政赤字削減、主に税制面でのインセンティブによる産業振興策)、将来の米国への投資(教育の改善、環境保護、麻薬・犯罪対策)、「優しく思いやりのある国」造り(育児対策の向上、ホームレス〔路上生活者〕対策、政治倫理問題など)を主要課題として掲げている。外交面では、対ソ関係、中米、中東和平、東欧、中国、累積債務、環境問題等が、これまで大統領の取り上げた課題となっている。
ブッシュ政権はこの間民主党優位の議会との協力を重視し、例えば、90年度予算案の大枠や対コントラ援助について超党派合意を達成し、またスーパー301条等の政策運営においても対議会配慮が見られた。議会の側も、基本的には大統領からの協調関係の呼びかけを歓迎している。他方ブッシュ大統領は、最低賃金法案に対しては、上げ幅に対する差違から、予告どおり初の拒否権を行使した。
(f) 第101議会(89~91年)の動き
89年の前半は、タワー問題の後も新政権人事の承認審議で忙殺された。また両院民主党指導部の大幅入れ替えが注目された。上院では、民主党院内総務がバード議員(歳出委員長へ)からミッチェル議員に、下院では、ライト下院議長、コエロ下院民主党院内幹事が政治倫理問題で辞任に追い込まれ、フォーレー下院議長、ゲップハート院内総務、グレイ院内幹事が新たに誕生した。
(ロ)外 交
(a) ブッシュ大統領は、大統領選挙中からレーガン政権の外交路線を踏襲する旨明らかにしていたが、89年1月20日の大統領就任演説及び2月9日の施政方針演説で、世界平和の確保に向けて強い米国を維持するとともに対外関係に積極的に関与していくこと、また、議会との協調により超党派外交を推進していくとの方針を明らかにした。3月24日、議会との超党派合意に基づき発表されたニカラグァでの総選挙が予定される90年2月まで対コントラ人道援助を継続するとの新中米政策は、議会との協調を重視するブッシュ外交の典型といわれている。
ブッシュ大統領は、さらに、一連の演説により、対ソ政策を始めとする新たな外交・国防政策を打ち出した。これらの外交・国防政策に見られるブッシュ政権の基本的考え方は、(あ)自由と民主主義の勝利に対する確信、(い)民主化の一層の推進、(う)西側体制の強化、(え)力の維持、である。
ブッシュ政権は、現在の世界における自由と民主主義の進展は新しい世界を築くための絶好の機会であり、この機会を有効に活用するべきであるとする一方、前途には多くの挑戦があり、特に、地域問題、ミサイル・化学兵器・核拡散問題、環境・テロ・麻薬等の世界的問題は、東西を問わず世界各国が緊急に取り組むべき課題であるとして、今後、これらの問題解決に向けて国際社会が積極的に取り組むよう呼びかけている。
(d) 東西関係
ブッシュ大統領は、5月12日、「封じ込め」を超えてソ連を国際社会に「統合」していくとの基本姿勢を示す一方、ソ連に対し、(あ)軍備削減、(い)ブレジネフ・ドクトリンの放棄、(う)地域紛争への積極的貢献、(え)政治的多元主義と人権尊重、(お)世界的課題への協力の5項目を要求する新対ソ政策を発表した。これは、ソ連の国内改革と新思考外交を歓迎するとともに、ソ連の変化に応じて米国及び西側諸国としても相応の対応を行う用意があることを表明し、今後の東西関係を協調と協力に基づくより安定した関係にもっていこうとするブッシュ政権の積極的姿勢を示すものである。
米ソ両国は、3月の米ソ外相会談で、従来の人権、軍備管理・軍縮、地域問題、二国間関係に加え、環境、テロ、麻薬等の世界的問題を米ソ間の新たな議題として追加することで合意し、5月の外相会談では、これら5議題について本格的な交渉を行った。また、5月の外相会談における合意に基づき、6月には既存のすべての米ソ備管理交渉が再開された。なお、5月末のNATOサミットにおいてブッシュ大統領が提案した欧州通常戦力交渉(CFE)に関する提案は、軍備管理・軍縮問題に対するブッシュ政権の積極姿勢を示すものといえよう。
なお、ブッシュ大統領は、89年7月9日から13日までポーランド及びハンガリーを訪問したが、その際、民主化を進めるこれら東欧諸国への支援姿勢を明らかにした。
(c) 対アジア政策
ブッシュ政権は、レーガン政権同様、アジア・太平洋地域を重視しており、同地域の重要性が今後ますます増大していくものと見ている。ブッシュ大統領が就任後間もない89年2月に日本、中国、韓国を訪問し、また、7月の東京での対フィリピン多国間援助会議にベーカー国務長官が出席し、さらにASEAN拡大外相会議において同長官が「環太平洋経済協力」の推進の必要性を訴えたのは、ブッシュ政権の当地域に対する高い関心を示すものといえよう。
中国当局による民主化運動の武力鎮圧に対しては、ブッシュ大統領は6月5日、武器輸出の停止、軍事指導者の交流停止を含む5項目の措置を発表し、さらに同20日には、米中間の政府高官による交流停止及び国際金融機関の中国に対する新規借款供与の検討延期を求めるとの追加措置を発表した。
ブッシュ政権は、中国における人権を無視した激しい抑圧を非難すると同時に、中国国民を苦しめることとなる経済制裁には反対し、中国との一定の関係を維持していくとの慎重な姿勢を示している。
(ハ) 経 済
88年の米国経済成長率は4.4%と高目の成長を遂げた。米国経済は82年秋以来平和時としては最長の景気拡大を記録している。この間、失業率は低下し(88年5.4%)、インフレ率も抑制された(88年消費者物価上昇率4.1%)。他方、景気の過熱兆候が現れ、インフレ再燃懸念から金融引締めが行われ、公定歩合が引き上げられた(88年8月、89年2月)。
89年については、個人消費と住宅建設の伸びが鈍化し、また、政府支出が減少する一方、輸出の伸びと堅調な設備投資に支えられて成長は持続すると米行政府は予測しているが、経済成長予測は当初の3.3%から2.9%に下方修正されている。米国経済ひいては世界経済の大きな問題となっている米国の財政赤字と貿易赤字のいわゆる「双子の赤字」問題については、一定の改善がみられたものの、依然高水準に留った。
財政赤字については、88年度は1,551億ドルとなり、前年度を54億ドル上回った。89年度についても当初計画を上回り、1,500億ドル弱になると見込まれているが、90年度予算案については89年4月に大統領と議会との間で予算の大枠に関する合意が成立し、グラム・ラドマン法上の赤字削減目標を達成するため、90年度の赤字を990億ドル台に縮小することが目指されている。
貿易赤字については、ドル安による競争力回復の要因により輸出が好調に推移し、88年の貿易赤字は1,198億ドルとなって、8年振りに赤字額が大幅に減少した。89年に入っても貿易収支の改善傾向は継続しているが、米国の対EC及びNIEs収支が大幅改善する中で対日収支の改善は足踏み状態にあり、このため米国の貿易赤字全体に占める対日赤字の割合が増加し、対日貿易不均衡が一層際立って表れている。
米国財政収支の実績と見通し
米国主要経済指標
(出所) 米商務省統計
(注) 実質GNPは前年比、前期比。失業率、消費者物価は年平均。
米国貿易統計
(出所) 米商務省統計
(2) わが国との関係
(イ) 全 般
(a) 近年、日米間の相互依存が深まり、日米間の貿易不均衡を背景として経済面での摩擦は恒常化しているが、88年後半から89年初頭にかけては、比較的穏やかな状況が続いた。公共事業問題、牛肉・柑橘問題などが解決したこと、円高・ドル安等による二国間貿易収支不均衡の改善傾向が見られたことなどがその要因であった。大統領選挙期間中に民主党側の候補者が経済面での対日批判を取り上げたこともあったが、結局大きな論点とはならなかった。
(b) しかしながら、日米経済摩擦は、89年初頭以来、より厳しくなってきた。その理由の一つは、縮小傾向にあった日米貿易不均衡が88年11月以降、一時再び拡大傾向を示したことにあるが、それ以外に、「双子の赤字」など米国自身の問題に対する解決の展望が不確実である中で、米国におけるわが国の経済的プレゼンスが大きくなるにつれ、わが国の経済・技術力に対する警戒感も見られるようになってきたことがある。次期支援戦闘機(FS-X)共同開発のような日米間の安全保障上の協力プロジェクトが、米国内において経済的競争の問題として受けとめる向きがあった背景にも同様の事情がある。
議会を中心とする対日経済関係に対する不満は、88年8月に成立した包括貿易法におけるスーパー301条に顕著に現れている。この条項は、米国通商代表部、(USTR)に対し優先的にとりあげる「外国」の貿易障壁慣行を撤廃するための交渉を義務づけ、交渉不成立の場合には、制裁措置を執ることを行政府に対し義務づけるもので、ガット規則との関係で多分に問題を含むものであるが、このような一定期間内の成果を求めて行政府を拘束する条項の法律化が、米議会における対日不満の強さを表している。また、このような条項の成立が、日米経済問題への対処を一層困難にしている。
(c) 経済摩擦とは別に、わが国の国際的地位の向上に伴い、強まっているもう一つの動きは、いわゆるバードン・シェアリング(負担の分かち合い)を求める動きである。議会を中心として、米国が膨大な財政赤字を抱えている時に、世界の平和と安定の維持のための負担を米国が負担し過ぎではないのか、経済力をつけるに至った西欧諸国及びわが国がもっと負担すべきではないのかとの主張には根強いものがある。
わが国は、「世界に貢献する日本」を目指して「国際協力構想」を自主的に推進し、国際的な軍事的役割以外のあらゆる面で貢献するとの方針であるが、これについては、例えば、ベーカー国務長官は、89年1月の議会証言その他において、「バードン・シェアリングではなく、『創造的な責任の分かち合い』と呼びたい」との表現で、また、ブッシュ大統領は、89年2月の竹下総理大臣訪米時のプレス・リマークスの中で、「(平和のための)責任が様々な形を取り得る」との表現で、わが国と一致した立場を表している。
ブッシュ米大統領を表敬する三塚外務大臣(89年6月)
(d) 自由と民主主義を共有し、自由市場経済原理の追求により世界経済の発展を支えていくべき立場にある日米両国は、多くの試練と機会に直面しているが、両国は試練を協力しつつ乗り越えて、両国関係の新たな発展を実現し得る時期にきている。ちょうどこの重要な時期に米国では新政権が発足したが、89年2月の竹下総理大臣とブッシュ大統領との間の会談は、新たな日米関係の発展に向けての両国関係の運営の基本方針に合意した点において重要な意義を有した会談であった。
そこでは、まず、日米関係を考える際の出発点は、両国が、自由と民主主義、そして、自由主義経済体制を共に信奉する同盟国であり、友好国であるということであり、そのような両国間の絆
そうして、日米間には、経済・貿易面を中心に種々問題が生じているが、これは日米関係の緊密な相互依存関係からして当然ともいえることで、大切なことは、両国が、「協力と共同作業」の精神に則
さらに、わが国の国際的な貢献の増大に伴い、日米協力関係は単に二国間の関係にとどまらず、世界的な課題に取り組むに際して協力するグローバル・パートナーシップとしても発展しており、今後、「政策協調」と「共同作業」を一層強化し、世界的な課題に取り組むに際しての協議・協力を強化しようという点についても合意が見られた。米国において、世界的な課題への取組みに際してのわが国の貢献に対する期待は極めて高い。日米協議・協力のテーマは限りないが、東西関係への適切な対処、アジア、中東、中南米を始めとする世界各地の平和と繁栄の確保、多角的開放貿易体制の強化、新債務戦略の推進を含む開発途上国の経済発展の支援、地球的規模の環境問題の解決などがある。
このような、日米関係の運営の基本方針は、宇野総理大臣とブッシュ大統領との間でも受け継がれている。
(e) 日米両国が両国関係にとって極めて重要な局面を経ている今、我々が忘れてはならないことは、米国における多様性であり、米国内において種々の相矛盾する対日観が存在することである。例えば、経済面での対日批判が声高に叫ばれる一方で、米国における日本への好意は依然として強いのである。この気持ちが端的に表されたのは、大喪の礼に際し、ブッシュ大統領が、自らの大統領としての正式就任を待たずして、早い段階で参列を決定、発表し、それを米国国民が歓迎した事実である。さらに、経済面でも、わが国は単に競争者として見られているのではなく、協力者としても見られているのである。
我々は、日米関係を世界的な視野からとらえるとともに、絶えず米国全体を視野に入れて、日米関係を総合的に見つつ、日米関係の積極的側面を強化していく必要がある。
(ロ) 日米経済関係
(a) 日米間の経済関係は近年ますます緊密化を増してきており、両国経済の相互依存関係は貿易、金融、技術等の面でかつてないほどに進んでいる。他方、日米間では、依然として大幅な貿易不均衡を背景に経済摩擦が続いており、また対日貿易不均衡が縮小しないことへの苛立ちを背景に、米国内では保護主義的圧力が高まっている。
(b) 日米間の貿易不均衡は、88年に6年ぶりに縮小した。わが国経済が内需主導型の成長に転換したこと等を反映して、88年のわが国の対米輸入額は前年に比べて大幅(105億ドル、33.5%増)に増加し、対米輸出額の伸びが鈍化したため、貿易収支は476億ドル(対前年比で8.6%減)となった。
(c) 88年前半に日米両国は公共事業市場参入問題、農産物12品目問題、牛肉・柑橘問題、科学技術協力協定改正問題、原子力協力協定問題等の多くの懸案を解決するに至り、88年後半には全米精米業者協会(RMA)によるわが国のコメ輸入に関する301条提訴があったことを除き、日米貿易摩擦は暫
(d) しかしながら、わが国の輸入拡大が進展しつつある中にあっても、日米貿易摩擦は89年初頭から再び高まりを見せるに至った。
89年1月には共和党のブッシュ政権が誕生し、民主党が多数を占める議会との協力関係を重視する現実主義的政策を進めており、この傾向は対日貿易問題にも反映している。
また、ブッシュ新政権の発足に前後して、米国内のいくつかの民間団体が、対日貿易問題について管理貿易的な政策提言を含む報告書を新政権に対して提出した。この中で注目されることは、米国大企業の経営者45名からなる米国貿易諮問委員会(ACTPN)が、米国が競争力を有するいくつかの分野では日本に対して一定のマーケット・シェアを求める交渉を提唱したこと、及び従来から自由貿易指向の強い米国の輸出企業団体(ECAT)が、対日貿易赤字を5年間で半減させるべきであると提唱したことがあげられる。このような提言の背景には、日米間で多くの個別案件が解決し、為替調整も進展しているにもかかわらず、依然として貿易不均衡に大きな改善が見られないことに対する苛
(e) 89年春には、前年8月に成立した包括貿易法が実施段階に入り、いわゆる「スーパー301条」、「テレコミ条項」等の対日適用問題が大きな問題となった。
89年4月、USTRはスーパー301条に基づき、諸外国の貿易障壁を列挙した年次報告書を発表し、5月25日にはブラジルの輸入制限、インドの貿易関連投資規制、保険市場慣行とともに日本を「衛星、スーパーコンピューター、林産物につき問題を有する優先国」と認定した。これに対しわが国は、米側のこのような一方的認定は「極めて遺憾である」と表明し、米国が一方的制裁措置の発動を前提として交渉を求めてくるのであれば、かかる前提の下での交渉には応じられないことを明らかにしてきている。また、「スーパー301条」に表れているユニラテラリズムに対しては、89年5月末~6月初のOECD閣僚理及び7月のアルシュ・サミットの場において、バイラテラリズム、セクター主義及び管理貿易への傾向とともに、多角的貿易体制を脅かし、ウルグァイ・ラウンド交渉を損なうものとして反対していくことが表明された。なお、わが国は、良好な日米経済関係を維持・発展させていくとの観点から、日米両国がそれぞれ抱える問題があれば冷静に話し合い、協力と共同作業を通じて問題解決に努力すべきであると考えており、この基本姿勢に変わりはない。
電気通信問題については、89年4月28日、USTRは包括貿易法1377条の「テレコミ条項」に基づき、電気通信の分野におけるわが国と米国との間のいわゆる「モス合意」についてレビューを行った結果、わが国に違反があると認定した。米側は、第三者無線と自動車電話の問題を指摘したが、これに対しわが国は、日米間で決着をみたことは日本側は誠実に実施しており、米側の一方的認定は極めて遺憾であると反発した。この問題は膠着状態に入ったため、事態を打開すべく国内調整に当たってきた小沢前内閣官房副長官が総理大臣及び外務大臣の依頼を受けて訪米し、政府間協議を補佐することとなった。この結果、紆余曲折を経ながらも、最終的には、(あ)自動車電話に関し、東京・名古屋地区でもモトローラ方式の使用を可能とすること、(い)第三者無線に関し、免許手続、新規システム割当等につき内外無差別の取扱いを一層確実なものとすること等の措置を講ずることで決着した。
(f) 89年5月25日、ブッシュ大統領はスーパー301条の認定の発表の際にスーパー301条と別個問題として、日米間で貿易に影響を与えている構造的障壁についてハイレベルで交渉することを提案した。その後日米間で、構造問題協議においては日米双方の問題を取り上げることとし、問題の性質上、交渉ではなく協議の形式とすること等を確認した後、アルシュ・サミットの際の日米首脳会談において、日米構造問題協議を開始し、約1年間行うことについて共同発表文が発表された。この協議では両国の貯蓄・投資バランス問題のほか、わが国の流通問題、米国の輸出に係わる問題等が取り上げられていくことになるとみられ、90年夏には最終報告が発表される予定である。
(g) コメ問題については、88年9月、全米精米業者協会(RMA)がUSTRに対し、日本のコメ輸入制限について301条提訴を改めて行ったため、わが国は同提訴が却下されるよう米国政府に強く働きかけた。
わが国は、コメ問題はウルグァイ・ラウンドで他国の重要な農産物の問題が討議される場合にはコメについても討議する用意があるとの立場をとっていることを改めて説明しつつ、コメ問題が日米間の二国間交渉の対象となることに反対することを表明した。この結果、米政府はウルグァイ・ラウンドの交渉を見守るとしつつ、本件提訴を再度却下した。
(h) 88年初めにバード上院院内総務が提案した日米自由貿易地域構想については、日本側は、ガットと整合性のとれたものであること、第三国の利益を害すべきでないこと及びあくまでも中長期的の問題として検討することを基本的方針としてとったが、米側内部の検討が進むにつれ、米側の熱意も次第に失われていった。
(3) 日米安全保障体制
(イ) 緊密な協議・協力
今日の国際社会では、わが国が単独で国の安全を確保することは難しい。わが国は、必要最小限の自衛力を整備し、米国との安全保障体制によって国の安全を確保している。わが国が、今日、武力侵略から脅威を免れ、平和の中に繁栄しているのは、日米安全保障体制があって初めて可能なことである。また、日米安全保障条約は、極東全体の平和と安全の維持にも大きく寄与している。今日、安保・防衛面においては、日米両国間で緊密な協議・協力が行われており、その関係は極めて良好に推移している。
(ロ) 日米安全保障体制の円滑な運用
日米安全保障条約・地位協定に基づき、わが国の安全並びに極東における国際平和と安全のために、約5万人の米軍がわが国に駐留している。政府はその駐留が実効あるものとなるよう各種の措置をとってきており、88年においても、施設・区域の整備や在日米軍の活動を円滑にするため、一層の努力が行われた(わが国が負担する提供施設の整備費は、89年度予算額において約890億円)。他方、これらの措置は、在日米軍の円滑かつ効果的な駐留の確保と、周辺地域の経済的・社会的生活との調和を図りつつ実施していくことが重要である。
また、在日米軍には約2万2,000人の日本人従業員が勤務している。在日米軍の効果的な活動のためにも、その雇用の安定を確保することが必要・不可欠であるとの観点から、毎年、わが国の負担し得る在日米軍従業員の労務費を増大させてきている(89年度予算額約532億円)。
さらに日米安全保障体制に基づく抑止力を信頼性あるものとするための努力は引き続き行われ、88年においても米軍艦船のわが国寄港が円滑に行われたほか、各種の日米共同演習・訓練が実施された。
(ハ) 安保・防衛面での米国との技術交流
(a) 米国の戦略防衛構想(SDI)は、非核の防御手段によって弾道ミサイルを無力化し、究極的に核兵器の廃絶を目指すシステムについての判断材料を得るための研究計画である。わが国は、87年7月、SDI研究に対するわが国の参加に関する日米政府間の協定に署名し、88年11月からは、わが国企業が1年間の予定で、SDI研究計画の一環である西太平洋地域戦術ミサイル防衛構想研究に参加している。
(b) 航空自衛隊の現有支援戦闘機F-1の後継機(FS-X)については、87年末、政府として米国のF-16を基に日米で共同開発を行うことを決定し、88年11月29日こは、FS-X共同開発に関する交換公文が日米政府間で署名された。
89年にはいり、米国議会を中心に本件計画を再検討すべしとの声が高まり、3月下旬、米国政府は生産段階の米側ワークシェア等に関するクラリフィケーションを日本側に要請してきたが、この話合いは、4月28日の松永大使とベーカー国務長官との会談において、上記米側ワークシェアを約40%とすること等により決着を見た。
FS-X共同開発は、日米間における装備品の初の共同開発協力案件として意義深いものであり、今後、日米間の信頼関係に基づき、予定どおり円滑に実施されていくことが重要である。
2. カ ナ ダ
(1) 内外情勢
(イ) 86年以降、支持率が低迷していたマルルーニー政権は、国内経済の好況、米加自由貿易協定の署名、ケベック州のカナダ憲法への参加合意(ミーチ・レーク合意)、トロント・サミットを始めとする国際舞台での活躍等で成果を挙げ、88年初頭より徐々に支持率を盛り返した。こうした状況の中で、同年11月マルルーニー首相は、総選挙を実施した。
(ロ) 総選挙の大きな争点は米加自由貿易協定であった。同協定は88年1月、米加間で署名された。しかし、同協定締結の是非をめぐって国民の議論が高まり、総選挙では、これを支持する与党・進歩保守党と反対派野党との間の主な争点となった。結局、4年間の実績を持つ進歩保守党が他党を圧し、過半数の議席を獲得して大勝した。また同時に、国民の支持を得た形となった米加自由貿易協定も、88年12月、上下両院を通過、89年1月1日に発効した。
(ハ) 第2期目を迎えたマルルーニー政権は、第1期目の実績を背景に89年には、内閣改造、財政赤字削減策等の諸課題に取り組んでいる。当面の懸案としては、難航しているミーチ・レーク合意の各州批准、財政赤字問題等で、今後の対応振りが注目される。
(ニ) マルルーニー政権は84年以来、民間活力の重視により経済の安定成長及び雇用確保に努めてきたが、カナダ経済は88年には4.5%と好調な経済成長を遂げた。その結果、雇用情勢は顕著な改善を見せて、失業率は89年5月には7.7%と、82年の大不況前の水準にまで低下した。しかしながら、こうした中で、国際収支の悪化(88年の経常収支は113億ドルの赤字で史上最高)、インフレ傾向、金利上昇等が今後の懸念材料となっている。
(2) わが国との関係
(イ) 日加両国は89年に外交関係樹立60周年を迎えた。両国の関係は極めて順調であり、カナダ政府も、わが国を中心とするアジア・太平洋諸国との関係強化策を打ち出すなど、関係強化を積極的に推進している。特に近年は良好な二国間関係に加え、国連、ウルグァイ・ラウンド、サミット等、日加間の幅広い協力関係が緊密となってきており、今後、一層発展することが望まれる。
(ロ) 経済関係も基本的に良好である。わが国にとってカナダは第8位の貿易相手国であり、またカナダにとってわが国は米国に次ぎ第2位の貿易相手国である。また、その内訳もカナダからの製品の対日輸出が増加する傾向にあり、よりバランスのとれた貿易関係を築くためにも望ましい方向にあるといえる。