第7節 アフリカ

1. 内外情勢

(1) 概観

(イ) 87年のアフリカ(サハラ以南のスーダンを除く45か国)においては,食糧不足問題に加え,累積債務問題が深刻化し,国際的議論の対象となった。一方,政治面では,南ア情勢に改善の兆しが見られず,さらに南アによる周辺諸国への越境攻撃も継続され,南部アフリカ地域においては,依然として流動的な状態が続いている。また,チャド問題については若干の進展がみられた。

(ロ) 経済情勢

経済面では,早魃等の影響により,緊急食糧援助を必要とする国が依然8か国(88年3月時点)ある外,人口増,食糧の輸送,貯蔵施設の不備等のため,構造的食糧不足に悩む国が多い。就中,エティオピアでは,84~85年の大早魃時以上とも言われる食糧不足が発生している。

また,一次産品市況の低迷,低成長,貿易赤字等の経済困難も続いている。特に累積債務問題が急速に深刻化しており,87年には国際的にも大きく取り挙げられるに至った。サハラ以南アフリカ諸国の対外債務残高総額は,86年末約1000億ドルであり,開発途上国全体の債務残高の1割程度ではあるが,近年急速に状況が悪化し,かつ,アフリカ諸国の経済規模からみて相当の負担(債務残高の対GNP比が86年末平均で57.5%)となっている。先進国側も本件を重視し,ヴェネチア・サミットを始めとする場において採り上げた外,87年12月には,世銀主催の下,アフリカ諸国の累積債務問題に関する援助国会合が開かれ,サハラ以南アフリカの債務困窮低所得国に対して特別の優遇措置を採ることにつき検討を行った。

他方,アフリカ諸国側はアフリカ統一機構(OAU)等の場を中心として,本件に関する議論を展開した。OAUは既に85年以来・アフリカの累積債務問題に関する国際会議の開催を呼びかけていたが,87年7月の第23回首脳会議では,本件が主要議題として採り上げられた。さらに同会議の決定に従って,11月30日,12月1日にはアフリカの累積債務問題に関するOAU特別首脳会議が開かれ,過去の公的二国間借款の無償化,10年間の債務返済停止等強硬な主張を盛り込んだ宣言を発出するとともに,88年末に債権国,国際機関を招いた国際会議を召集することを改めて呼びかけた。

(ハ) 政治情勢

(i)  内政上の主な変化

87年4月から88年3月の間,アフリカではブルンディ(9月),ブルキナ・ファン(10月),ニジェール(11月),及びジンバブエ(12月)の4か国で元首の交替が見られた。このうちジンバブエについては憲法改正に伴い,ムガベ氏が首相より大統領へ就任したものであり,また,ニジェールについてほ,クンチェ最高軍事評議会議長の病死に伴い,アリ・サイブ参謀総長が後任に就いたものであった。他方,ブルンディ及びプルキナ・ファンについては,クーデターによるものであった。このような内政の緊張には,経済困難も背景となっているが,上記2か国以外でも,数か国でクーデター未遂が起こった。

他方,西欧的民主主義の伝統を有するとされるセネガルでは88年2月,大統領選挙,国民議会議員選挙が行われた外,ナイジェリア,ガーナ等では,民政移管へ向けた動きが見られた。

(ii)  チャド紛争

チャド北部では,北緯16度線を挟んで,リビア・チャド両軍が対侍していたが,87年3月チャド政府軍は,激戦の末リビア軍を両国国境付近のアウズウ地帯にまで駆逐した。これにより両国間の紛争は,73年以来,リビアが領有権を主張して占領しているアウズウ地帯の帰属問題に収劔していった。8月,同地帯の帰趨をめぐって激戦が展開,この事態を憂慮し,カウンダOAU議長が両者に停戦を呼びかけた結果,9月11日,停戦が成立した。この後,アウズウ地帯の帰属問題は,OAUチャドーリビア紛争特別委員会に付託されることとなり,9月23,24日にルサカで第一回会合が開催された。また,88年2月には同委員会閣僚会議が開かれ,5月の同委員会首脳会議に勧告を行うため,両当事者が提出した資料の検討を行った。

(ニ) 域内協力

(i)  アフリカ統一機構(OAU)

アフリカ大陸の50か国が加盟するアフリカ統一機構は,87年7月,アディスアベバで第23回首脳会議を開き,ザンビアのカウンダ大統領が議長に選出された。同首脳会議では,従前と同様,対南ア制裁を強く呼びかけるとともに,チャド・リビア紛争等の政治問題を採り上げたが,さらに,アフリカ諸国の累積債務問題を重視し,11~12月,同問題に関する特別首脳会議を開催した。

(ii)  南部アフリカ開発調整会議(SADCC)

南アヘの経済的依存からの脱却を目的として,南ア周辺諸国がフロントライン諸国を中心に79年設立した南部アフリカ開発調整会議は,88年1月タンザニアのアルーシャ市において援助国・国際機関との年次協議会を開催,「インフラ開発と企業」をテーマに,インフラ整備と生産分野への投資促進の相互連携強化をうたった。援助国・機関によるSADCCプロジェクトヘの援助は,向う4か年に10億ドル以上が見込まれている。

(2) 主要国情勢

(イ) 西アフリカ地域

(i)  ブルキナ・ファン

ブルキナ・ファンでは,83年のクーデター以来,サンカラ大統領が政権に就いていたが,87年10月,同大統領が独裁的で強硬な政策を行っているとして,コンパオレ大尉(当時法相)親派が,クーデターによってサンカラ政権を打倒した。コンパオレ大尉は新たに「人民戦線」を設置し,自ら議長・大統領に就任している。

コンパオレ大尉はサンカラの右腕であり,かつ,このクーデターの過程でサンカラが殺害されたために,周辺国を驚かせ,当初は必ずしも好意的には受け入れられなかったが,国内的にも大きな混乱は起こらず,対外的にも,特に周辺国との友好協力関係を打ち出し,次第に受け入れられつつある。

同政権は,国民の独立,名誉,自由,尊厳を取り戻すというサンカラ前政権時の革命精神自体には変更がないとし,革命遂行の必要性を説いているが,今後の内外政策等が注目される。

(ii)  ナイジェリア

85年のクーデター以来政権に就いているババンギダ大統領が健康を回復したこと,構造調整計画が順調に進んでいること等を背景に,ババンギダ政権は,それまでの消極的姿勢を一変して積極的姿勢を採るようになり,87年7月1日には民政移管の具体的タイム・テーブルを発表し,9月には政府要職経験者の公職選挙立候補禁止措置を決定する等強力な指導力を発揮し始めた。

外交面においても積極的となり,経済再建のため西側先進諸国との経済関係促進に努め,パリ・クラブ,ロンドン・クラブでの合意に基づくリスケ交渉が順調に進展した。また,シュルツ米国務長官及びサッチャー英首相等のナイジェリア訪問が行われた。西アフリカ周辺諸国との関係促進にも力を注ぎ,前年に続き87年にもECOWAS(西アフリカ経済協同体)サミットをナイジェリアで開催し,3期連続議長国に選出された。

経済面では,世銀,IMF指導の経済構造調整を引き続き実施し,通貨(ナイラ)切下げに伴う農産物の輸出の伸び,原料の現地調達率の高い工業部門(セメント,繊維等)の稼動の上昇等かなりの成果が上がり,また,懸念された程のインフレも生じておらず,調整政策はまずまずの出来ばえであった。

(iii)  セネガル

セネガルは,多数党が存在し,民主主義が定着したアフリカで数少ない例として知られ,独立以来,社会党の長期政権が続いている。

88年2月には,大統領選挙及び国民議会議員選挙が行われ,予想通り,ディウフ大統領が再選されるとともに,与党社会党が絶対多数を維持した。今次選挙では,何よりも選挙運動,投票,開票が公正に実施されるか否かが注目されたが,おおむね民主的かつ平静に実施された。しかし,選挙実施後,学生,青少年による暴動を契機として,同国政府は,非常事態宣言,外出禁止令等の強硬策を採ったため,民主主義国家のイメージが損なわれたとの声も聞かれる。

経済的には,構造調整政策を引き続き推進しており,85~87年は降雨に恵まれたこともあり,情勢はかなり改善したが(86年末,総合収支が過去10年来初めて黒字に転換),依然,財政赤字,累積債務等深刻な困難が山積している。

(ロ) 東部アフリカ地域

エティオピア

87年6月の国民議会議員選挙をうけ,9月第1回国民議会が開催された。同議会は,エティオピア人民民主共和国の樹立及び同国憲法の発効を宣言し,エティオピアは1974年の革命勃発以後13年間続いた軍事政権から民政に移管された。

民政移管後,外交面では,政府要人を積極的に西側諸国に派遣し,また経済政策では,88年1月,市場経済志向型の農業セクター改善プログラムを実施する等,開放的政策の兆しが見受けられた。

一方,87年の大雨期に十分な降雨に恵まれなかったことから,同国北部を中心に深刻な早魃被害が発生,その被害は500万人にも及ぶものと懸念されている。

また,同じく北部では87年後半から反政府ゲリラの活動が活発化,88年3月からは政府軍との内戦が激化しており,諸外国の卓越災害援助活動に与える影響も含め,内戦がメンギスツ政権の安定性に及ぼす影響が注目される。

(ハ) 南部アフリカ地域

ジンバブエ

87年9月,所定の手続に従い,議会における白人のための特別の議席枠を廃止し,補充選挙を行った結果,全ての白人議員(上院4,下院11)がムガベ支持議員となった。

また,87年12月,2年にわたる交渉の結果,与党ZANU・PF(ジンバブエ・アフリカ民族同盟・愛国戦線)に野党ZAPU(ジンバブエ・アフリカ人民同盟)が統合され,ZANU・PFは議会における全議席140のうち139を占めるに至った。さらに,87年12月31日には,行政型大統領制への移行に伴い,ムガベ首相が大統領に就任し,独立後7年余りを経て,ムガベ指導体制は,確固たるものとなった。

経済面では,早魃による農業不振,商品市況の低迷等により,87年の実質経済成長率見通しはマイナス2~3%となっている。

2. 我が国との関係

(1) 概観

アフリカは,国連全加盟国の3分の1近い国数を背景に国際場裡において大きな発言力を有し,また,豊富な資源を擁し,世界経済上も重要な役割を担っている。他方,経済の基盤が脆弱で,累積債務問題等の経済困難に直面し,国際社会からの支援を必要としている。

我が国は,以上の認識に基づき,アフリカとの関係を一層深め,我が国の国際的責務を果たすとの観点から,これら諸国への経済・技術協力により,その開発に寄与するよう努めるとともに,かかる協力関係を一層効果的なものとするために,アフリカ諸国との人物・文化交流を促進して相互理解を深めるよう努めている。

(2) 相互理解の促進

我が国とアフリカとの間には,地理的・文化的懸隔があるため,従来交流が限られていた。

また,我が国におけるアフリカのイメージは,飢餓や自然災害等の暗い側面に偏りがちであり,アフリカに育まれた豊かな文化に接する機会は,極めて限られていた。他方,アフリカの町には日本の自動車や電化製品があふれているが,日本人の顔を見ることは少ない。

従って,我が国とアフリカとの間に確固たる相互理解の基盤を築くためには,人的交流により,直接対話の機会を持つとともに,一層の文化交流を行うことが不可欠であり,我が国としてもそのために努力している。

(イ) 人物交流

我が国は,政府指導者から青年層まで,あらゆるレベルの人的交流を行うべく,各種招へい事業の実施に努めている。

その結果,非公式訪問ながら,アブダラ・コモロ大統領(87年4月),ムソコトワネ・ザンビア首相(9月),ジャダノート・モーリシアス首相(88年1月),ハビヤリマナ・ルワンダ大統領(3月)が訪日し,また,外務省賓客として,ムキイビ・ウガンダ外務大臣(87年5~6月),ムカパ・タンザニア外務大臣(9月)が訪日した外,閣僚級の訪問が相次いだ。

他方,我が国からは浜野外務政務次官が,ガーナ,象牙海岸等を公式訪問した(87年9~10月)。

(ロ) 文化交流

外務省は,民間部門の協力をも得,次のようなイペントを行った。

(i)  日本・アフリカ・スポーツ・文化親善使節団

女子バレーボールチーム,マンドリン楽団及び生花講師より構成される同使節団は,87年夏,チュニジア,カメルーン,象牙海岸を歴訪し,現地の熱狂的な歓迎を受けた。

(ii)  アフリカ・カルチャーフェア'87

11月,東京で開催された同フェアでは,エティオピアに伝わるコーヒー・セレモニーに焦点を当て,アフリカの生活文化を多角的に紹介し,多くの観衆を集めた。

(iii)  アフリカの光と風―アフリカを知るための5日間札幌で88年3月開催された本イベントでは,マリ共和国より訪日したシセ監督の映画「ひかり」(87年カンヌ映画祭審査員賞受賞)を中心に,アフリカの姿を伝えた。

(3) 経済・技術協力

我が国は,近年,アフリカの食糧危機や累積債務問題をはじめとする経済困難への支援を強化しており,我が国の対アフリカODAは,この10年間で,約10倍の伸びを示しており(スーダンを含むサハラ以南アフリカ地域について,77年58.26百万ドル→87年593.42百万ドル),また,我が国二国間ODAに占めるシェアも6.5彩から11.3彩に増大した。

特に,87年6月のヴェネチア・サミットにおいて中曽根総理大臣が表明した通り,アフリカ諸国等の,累積債務増大,国際収支赤字拡大等による経済困難の最近の深刻化に鑑み,87~89年度の3年間に,これら諸国に対し,その経済構造改善努力を支援するため5億ドル程度のノンプロジェクト型無償資金協力を実施する予定であり,87年度については,スーダン,ケニア,タンザニア等の諸国に対し約1.5億ドル(約200億円)実施した。

さらにアフリカ諸国の構造調整を支援するため,85年以来の世銀「アフリカ基金」との特別協調融資を実施し,87年の二国間政府間援助は,593.42百万ドルとなり,前年を上回る実績を上げた(86年に比し31.5%増)。

(4) 貿易

87年の我が国のアフリカ諸国との貿易は,輸出が43.6億ドル(自動車,船舶等),輸入が33.1億ドル(石炭,白金等鉱産資源,コーヒー等農産品等)となり我が国の出超となった。対前年比では,輸出が39.2%増,輸入が2.4%増となっている。

国別では,輸出では南ア,リベリア,ナイジェリア,ケニア,エティオピアの上位5か国が全輸出量の78.3%を占め,輸入では南ア,ザンビア,モーリタニア,ジンバブエ,ガーナの上位5か国が全体の85.8%を占めた。

目次へ